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Re[5]: 哲学の雑談 11
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□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/05(Wed) 18:21:31)
| パニチェさん、こんばんは。
■No12410に返信(パニチェさんの記事) > クリスチャンではない私ですが、横レス失礼! > > ■No12409に返信(愛満開さんの記事) > >>無神論者が自動的に全員救われるのではないのですね、安心しました。 > > これってどういう感覚なんですか? > 無神論者が救われない方が愛満開さんにとっては安心できる? > 神を信じる者だけが救われるべきだと考えているということでしょうか。 > > 自分を信じる者だけを救うのが無償の愛と言えるのか? > 何かもの凄い違和感はあります。
日本人の神認識からは遠い話だと思います。 神が人間のためにあるのではなく、人間が神のためにあるからです。
『神はモーセに、 「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、 慈しもうと思う者を慈しむ」と言っておられます。(ローマ人への手紙9章15節)
これは、人の意志や努力には関係なく、あくまで全知全能の神の憐れみによるものだからです。
このように、神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。(ローマ人への手紙9章18節)』
また、『カトリック教会のカテキズム』846ー847項には、
「カトリック教会が神によってイエス・キリストを通して必要不可欠なものとして建てられたことを知っていて、しかもなおその教会に入ること、あるいは教会の中に終わりまでとどまることを拒否するとすれば、このような人々は救われることはないでしょう。
でも、これは、自分の過ちによらずにキリストやキリストの教会を知らない人々には当てはまりません。
本人の側に落ち度がないままに、キリストの福音ならびにその教会を知らずにいて、なおかつ誠実な心をもって神を捜し求め、また良心の命令を通して認められる神の意志を、恩恵の働きのもとに、行動をもって実践しようと努めている人々は、永遠の救いに達することができます。」とあります。
つまり、全くイエス様を知らずに良心に従い実践していた場合は、救われるとしているようです。 きっと、そこには、愛があるからだと思います。 三位一体の神が愛の神であるように人は、愛があれば救われるのだと思います。
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