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■12833 / inTopicNo.97)  Re[37]: キリストを食べる者
  
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/19(Wed) 19:35:37)
    ルカ福音書22・19〜20でイエスから与えられるパンとぶどう酒。ここで新契約、つまり新約が成立するわけですが、パンとぶどう酒はイエスの体と血そのものとされます。それは十字架上のイエスの体と血と完全にイコール。予告と先取りとも言えますね。この最後の晩餐に対して、ヨハネ福音書6章のパンはさらにその予告・先取りということだと思います。

    で、以後の二千年間の聖体の秘蹟にもまったく同一の出来事が起こっているとされ、それは最後の審判まで続くと。
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■12883 / inTopicNo.98)  パンにおけるリアルプレゼンス
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/20(Thu) 17:20:12)
    https://youtu.be/sCEP-z4rGSU

    この方はルター派。リアルプレゼンスはカトリックだけのものではなく、教義的には違うにしても、リアルプレゼンスを認めることにおいて、カトリック、東方正教会、英国国教会、ルター派は大まかなところでは一致しているはずです。

    パンは単なるシンボルではなく、そこにキリストがリアルプレゼンスしている。
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■12892 / inTopicNo.99)  Re[39]: パンにおけるリアルプレゼンス
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/20(Thu) 19:39:55)
    シンボルであることを否定する立場がなぜ多いかというと、天国のキリストは単なるシンボルでいいのか?最後の審判のキリストは単なるシンボルでいいのか?死後に出会うキリストがシンボルでいいのか?そもそも現世で出会っているキリストも単なるシンボル?などもその理由。シンボルでいいなら、なぜキリスト教を信仰しているのか、意味がわからんということです。
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■12962 / inTopicNo.100)  Re[40]: パンにおけるリアルプレゼンス
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/21(Fri) 19:56:15)
    パンがイコールでキリストの体、劣化コピー性を一切認めずに100パーセントキリストの体であるとする。これはどういうことかというと、二千年前の異国の出来事を遠く振り返って、信じましょうというレベルではなくなるってことだね。

    二千年前にキリストの十字架と復活が、いまパンを食べる自分の中で再現される。いつくるかわからない最後審判のために準備するどころの話しではなく、いまパンを食べるこのときが最後の審判になる。


    リニアーな歴史的時間の一点に成就したことが、時空間に遍在する。三位一体の恵みが時空間に遍在する。華厳的な発想でいえば、一即多、多即一。井筒俊彦ではないが、大乗仏教にも相通じる。
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■12963 / inTopicNo.101)  Re[40]: パンにおけるリアルプレゼンス
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/21(Fri) 20:00:09)
    knowing itselfさんこんばんは。

    福音書では、イエス様がパンとワインを、自分の体と血として飲食せよとあり、
    それは、ユダヤの過越祭の最中の出来事であり、最後の晩餐は過越の祭りの食事だったと考えられるみたいですね。

    この過越祭は、イスラエルがエジプト脱出を記念して祝われた祭りであり、各家族がいけにえの小羊をエルサレム神殿で捧げ、その後、ともにそれを食する神の前での神聖な儀式的食事だったようです。

    しかも、この小羊は、贖罪の犠牲として捧げられ、特にその血は罪の赦しを与える契約の血であり、この過越の食事は、贖罪のために捧げられた聖なる供え物を共に食することで人々と神との交わりがもたらされると考えられたようです。

    イエス様は、自分自身を過越祭の犠牲の小羊と対比させ、自分の死が人類に贖罪と救済をもたらす犠牲であることを語っています。

    さらに、パンとワインを、自分の体と血として弟子たちに飲食させることには、
    自分の死によってもたらされる贖罪と救済に彼らを与らせ、神との交わりに参入させようという意図を読み取ることができます。

    これは、私達が、パンとワインを飲食する度に、イエスの死の意味を心に刻み、その都度新たに救いの力にあずかるようにという意味ではないかと思います。

    聖別されたパンはリアルな意味でキリストの体であり、パンの形態のもとに神人キリストが真に現存することを意味しているのだと思います。

    > シンボルであることを否定する立場がなぜ多いかというと、天国のキリストは単なるシンボルでいいのか?最後の審判のキリストは単なるシンボルでいいのか?死後に出会うキリストがシンボルでいいのか?そもそも現世で出会っているキリストも単なるシンボル?などもその理由。シンボルでいいなら、なぜキリスト教を信仰しているのか、意味がわからんということです。

    仰る通りだと思います。
    私たちに求められているのは、如何にイエス様が、パンとワインという肉と血のシンボルだけではなく現存しているのかを認識できるのかだと思います。
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