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■12469 / inTopicNo.37)  Re[13]: こんばんは&はじめまして!
  
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/08(Sat) 09:26:47)
    pipitさんおはようございます。

    私の至らない点で皆様にご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。

    > みなさま、こんばんは(^○^)
    > 愛満開さん、はじめまして!
    >
    >
    > ■No12454に返信(エフニさんの記事)
    >>それからパニさんも、ピピットちゃんも、浄土三部経に通じています。<
    >
    > すみません、わたしは浄土三部経のことは知らないも同然なんです(^^;
    > エフニさんの方が絶対詳しいと思います!

    これからも、いろいろ学ばせていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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■12470 / inTopicNo.38)  Re[13]: 極楽浄土
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/08(Sat) 09:28:41)
    エフニさんおはようございます。

    > こんばんは、初めまして。
    >
    > 私のは、なんちゃって知識でして、謙遜でも何でもなく、ピピットちゃんや、パニさんのが詳しいと思います。
    >
    > たまたま私でも解る話題がありましたなら、参加させて頂きます。
    >
    > よろしくお願いいたします。

    ぜひお願いしたいと思います。
    自分自身、分かっているようでわからないことが多いものですから。
    日々これ学習だと思って取り組みたいと思います。
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■12471 / inTopicNo.39)  Re[10]: 警告>愛満開さんへ
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/08(Sat) 09:34:50)
    パニチェさんおはようございます。

    > 同じことを繰り返すならアクセス禁止にしますよ。
    >
    > 貴方が誰かは私は分かっています。いいかげんにしなさい。

    ご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。

    私も、まだまだ、学び足りないので、パニチェさんにもいろいろ教えて
    いただきたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。

    また、私が誰かというよりも、一人の生徒と思ってお付き合い願えればと思います。

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■12473 / inTopicNo.40)  愛満開さんへ
□投稿者/ パニチェ -(2021/05/08(Sat) 09:41:56)
    おはようございます、愛満開さん

    No12471に返信(愛満開さんの記事)
    > パニチェさんおはようございます。

    >>同じことを繰り返すならアクセス禁止にしますよ。
    >>貴方が誰かは私は分かっています。いいかげんにしなさい。

    > ご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。
    > 私も、まだまだ、学び足りないので、パニチェさんにもいろいろ教えて
    > いただきたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。
    > また、私が誰かというよりも、一人の生徒と思ってお付き合い願えればと思います。

    了解しました。
    指摘したことを守っていただけるなら、一人の生徒というより、ニークラメンバーとして歓迎します。
    今後ともよろしくお願いします。

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■12475 / inTopicNo.41)  Re[10]: 三位一体
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/08(Sat) 10:17:57)
    knowing itselfさん、おはようございます。

    > 聖書をとおして、また、宇宙・自然・人間をとおして、神が自己啓示するその在り方が、三位一体としかいいようがない。そういうことだと思います。人間が脳みそで拵えた虚構の真逆をいうのだと思います。

    うーん、何かとても、奥が深いように思います。
    生きた人格神として様々な手段で自己啓示されることが三位一体なのですね。
    それは、フィクションではなく、リアルなものなのだと。
    そして、人間をご自身に似せて創られ、人間の自由意思により、その愛と忠誠とを期待されているのだと。

    「生ける神」と対局なのが木や石で出来た「偶像」であり、人間が、生きた交流が出来るか出来ないか、神は、人間との生きた交流である愛の交わりを求めていて、それが、人間の幸福でもあることを御存じなので、死んでいる「偶像」ではダメなのだと思います。

    このように三位一体の神は、人間のことを思いやる、どこまでも愛の神であり、旧約聖書の神は、不可解で神秘的な神ではないので、人間が知りえない不可知論を退けます。

    というのも、神は、ご自身に関する真理で人間の幸福に必要なものは、有限な人間に伝える方法を持っているからです。「主は〇〇に言われた」とある形式で人間に示されます。

    さらに、神は、イエス様によって、時間空間の形式で被造物に見える形で示され、神が御自身を人間の体験の中において知らしめたのだと思います。

    knowing itselfさん、この点については、如何でしょうか。












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■12520 / inTopicNo.42)  予定説の誤り
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/09(Sun) 11:42:03)
    knowing itselfさん、おはようございます。

    カルバンの「予定説」について、この板でもいろいろ意見が出ているようですが、
    それは、実は誤りではないかなと思うのですが、如何でしょうか。

    「神はわたしたちを〜お選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」(エフェソ1:4、5)

    その理由は、基本的に人間は、誰もが罪人で煩悩に塗れているので、全ての人は皆、地獄行きというか滅びるべき存在でこれが基本であり出発点なのは、間違いないはずです。

    でも憐れみ深い神様は 人間を救うことにし、それによって三位一体の神の愛を示されるのかなと。

    この場合、予定説のように、一度、信じたら、どんなことがあっても絶対に救われるのではなく、神の恩寵を自分の自由意思で、ずっと選らび続けた人だけ救われると言う事ではないかなと思います。

    なので、最後までイエス様を信じ続けることが必要なのかなと思います。

    それと、神の救いの計画には、救われない人も含めて誰もが何らかの役割、役柄が与えられているのではないか。

    ドラマや映画には、ヒーローと悪役があるように、救われる役と救われない役、それぞれが何らかの役割を予め与えられているのだとしたら、それを、人間は、一人一人俳優のように、与えられた役柄を、忠実に果たして行くことで、結果、神を称える舞台のキャストになるのかなと思います。












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■12523 / inTopicNo.43)  Re[11]: 三位一体
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/09(Sun) 14:23:01)
    愛満開さん こんにちは

    >>聖書をとおして、また、宇宙・自然・人間をとおして、神が自己啓示するその在り方が、三位一体としかいいようがない。そういうことだと思います。人間が脳みそで拵えた虚構の真逆をいうのだと思います。


    > そして、人間をご自身に似せて創られ、人間の自由意思により、その愛と忠誠とを期待されているのだと。

    似せて創られたというのがポイントですね。ただし、人間は自由意思を乱用せずにはいないので、愛と忠誠はできない、そのままでは不可能に近い、愛と忠誠のつもりでも偶像崇拝に堕してしまう。それが罪の本質だと思います。罪をどこまで自覚できるか、それを痛悔できるかにかかってくるでしょう。


    > 「生ける神」と対局なのが木や石で出来た「偶像」であり、人間が、生きた交流が出来るか出来ないか、神は、人間との生きた交流である愛の交わりを求めていて、それが、人間の幸福でもあることを御存じなので、死んでいる「偶像」ではダメなのだと思います。


    木や石それ自体は偶像ではなく、神の輝かしい創造作品であり、それ自身のコミュニティーングやイメージメイキングを行なっている。三位一体の神におけるコミュニティーングとイメージメイキングを不完全な形ながら写し出しているとみなせます。森羅万象がそうですね。木や石に異常な執着をもてば、偶像崇拝に堕ちる危険性はあると思いますが。お金や名声や感覚的な快楽も同じように考えられます。
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■12525 / inTopicNo.44)  Re[12]: 予定説の誤り
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/09(Sun) 14:43:45)
    > 「神はわたしたちを〜お選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」(エフェソ1:4、5)
    >
    > その理由は、基本的に人間は、誰もが罪人で煩悩に塗れているので、全ての人は皆、地獄行きというか滅びるべき存在でこれが基本であり出発点なのは、間違いないはずです。

    人間は神の似姿に創られたのが出発点だと思います。罪と煩悩に塗れているので地獄行き必定というのは違いますね。罪というのは、それさえ取り除けば、人間は神とほぼ同じになれる、ターゲットはそれだけという意味で、逆説的に、非常にポジティブな役割をもっているのでしょう。ここが人間以外のすべての生物、宇宙被造物と質的に異なるところ。宇宙被造物はすべて神に愛されており、充足している。人間は原罪を負ってしまったため、他の生物にはない苦悩や不幸の原因を背負う一方で、罪さえクリアーすれば、神のレベルに接近できるということです。


    > この場合、予定説のように、一度、信じたら、どんなことがあっても絶対に救われるのではなく、神の恩寵を自分の自由意思で、ずっと選らび続けた人だけ救われると言う事ではないかなと思います。


    前半も後半も極論で、ないと思います。自分の自由意思で、ずっと選び続ける人というのは、ほぼ不可能に近いと思います。

    > それと、神の救いの計画には、救われない人も含めて誰もが何らかの役割、役柄が与えられているのではないか。

    それだとやはり二重予定説になるのではないですか。

    > ドラマや映画には、ヒーローと悪役があるように、救われる役と救われない役、それぞれが何らかの役割を予め与えられているのだとしたら、それを、人間は、一人一人俳優のように、与えられた役柄を、忠実に果たして行くことで、結果、神を称える舞台のキャストになるのかなと思います。

    三位一体論の意義は、神は人間によって讃えられる芝居などそもそも必要としないということでしょう。それ自体において100パーセントの愛に充足している、というか愛それ自体である神が、自身を引き立てるために被造物を創るのであれば、三位一体の神の本質と相入れない。三位一体の神は、愛の喜びを派生させるために被造物を創った。
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■12528 / inTopicNo.45)  Re[12]: 三位一体
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/09(Sun) 15:51:22)
    knowing itselfさんレスありがとうございます。

    > 似せて創られたというのがポイントですね。ただし、人間は自由意思を乱用せずにはいないので、愛と忠誠はできない、そのままでは不可能に近い、愛と忠誠のつもりでも偶像崇拝に堕してしまう。それが罪の本質だと思います。罪をどこまで自覚できるか、それを痛悔できるかにかかってくるでしょう。

    なるほど、似せて創られているからということですね。
    自身の罪を痛恨して新たに信仰を続けていきたいと思います。

    > 木や石それ自体は偶像ではなく、神の輝かしい創造作品であり、それ自身のコミュニティーングやイメージメイキングを行なっている。三位一体の神におけるコミュニティーングとイメージメイキングを不完全な形ながら写し出しているとみなせます。森羅万象がそうですね。木や石に異常な執着をもてば、偶像崇拝に堕ちる危険性はあると思いますが。お金や名声や感覚的な快楽も同じように考えられます。

    そう来ましたか、神の素晴らしい作品としての被造物という視点ですね。
    何か「一切衆生悉有仏性」の草木等、精神性を持たない物質にまで仏性(仏になる可能性)があるとする仏教的な視点と何となく似ている気がします。

    ただ、偶像だと主なる神のような、こころの交流が無いから戒められたのかなと思っていました。

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■12533 / inTopicNo.46)  Re[13]: 予定説の誤り
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/09(Sun) 16:02:49)
    knowing itselfさん予定説はやはり難しいですね。

    >>「神はわたしたちを〜お選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」(エフェソ1:4、5)
    >>
    >>その理由は、基本的に人間は、誰もが罪人で煩悩に塗れているので、全ての人は皆、地獄行きというか滅びるべき存在でこれが基本であり出発点なのは、間違いないはずです。
    >
    > 人間は神の似姿に創られたのが出発点だと思います。罪と煩悩に塗れているので地獄行き必定というのは違いますね。罪というのは、それさえ取り除けば、人間は神とほぼ同じになれる、ターゲットはそれだけという意味で、逆説的に、非常にポジティブな役割をもっているのでしょう。ここが人間以外のすべての生物、宇宙被造物と質的に異なるところ。宇宙被造物はすべて神に愛されており、充足している。人間は原罪を負ってしまったため、他の生物にはない苦悩や不幸の原因を背負う一方で、罪さえクリアーすれば、神のレベルに接近できるということです。

    ポジティブに捉えればいいのですね。とても素晴らしい内容だと思います。
    もともと、特に、何か善業が出来る訳でもない、まさに救われに値しない原罪の人間なのに神の恩寵により救われるというところがポイントではないのかなと思っていました。

    >>ドラマや映画には、ヒーローと悪役があるように、救われる役と救われない役、それぞれが何らかの役割を予め与えられているのだとしたら、それを、人間は、一人一人俳優のように、与えられた役柄を、忠実に果たして行くことで、結果、神を称える舞台のキャストになるのかなと思います。
    >
    > 三位一体論の意義は、神は人間によって讃えられる芝居などそもそも必要としないということでしょう。それ自体において100パーセントの愛に充足している、というか愛それ自体である神が、自身を引き立てるために被造物を創るのであれば、三位一体の神の本質と相入れない。三位一体の神は、愛の喜びを派生させるために被造物を創った。

    なるほど、そもそも三位一体の神は、その愛だけで充足しているのだから人間の脚色など必要しないと言う事なのですね。

    「三位一体の神は、愛の喜びを派生させるために被造物を創った。」

    ここのところが、奥が深いですね。
    やはり、まだまだ、自分は、勉強不足だと感じました。
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■12548 / inTopicNo.47)  神の定義
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/09(Sun) 19:16:34)
    キリスト教の神は一神教というのは、一とカウントとするしかないとか、一つしかないという意味とは違う。宇宙という現象世界を根拠づけその源泉となる存在は、宇宙という現象世界の外にあるというのがポイント。逆にいうと、宇宙という現象世界の内部にある、自称神なら、どういう種類の神だろうと、神が何人いようと、それはそれでいい。無神論にしても、宇宙という現象世界の内には神はいないという意味なら、容認されるでしょう。キリスト教もその点では同じだからね。

    そして、宇宙という現象を根拠づける存在を認めるなら、キリスト教と基本的に同じ土俵にいる。
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■12549 / inTopicNo.48)  人格神
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/09(Sun) 19:43:07)
    人格神という日本語がよくないと思う。これだと、人間が神として君臨しているとか、白い髭を生やしたおっさんが宇宙を支配してるとか、あるいは東洋的な人格者や理想的な人間を思い浮かべてしまう。あるいは我儘で気まぐれな全能の暴君とか。そういうのが一神教的な神なんだと。これは全部違う。意思の純粋な帰属主体という意味に近いかな、人格は。
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