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■12733 / inTopicNo.85)  Re[29]: 井筒俊彦とキリスト教
  
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/16(Sun) 14:17:12)
    knowing itselfさん面白いエピソードありがとうございます。

    > 井筒俊彦と言えばイスラムというイメージが流布しているようで、キリスト教についてはどちらかというと冷淡なのではという印象をもつ人が多いかもしれませんが、ちょっと違うようです。井筒俊彦の家に住み込んだほど、学問と生活両面で最も近い関係にあった言語学者の鈴木孝夫さんが紹介したエピソードがあります。以下引用します。
    >
    > 【鈴木】井筒先生に、「先生、イスラームとキリスト教と、もし本当に自分が信徒になるとしたらどちらですか?」と言ったら、「それはキリスト教だね」と。・・・・カトリックが一番、自分の精神的な性に合うと。それは、「なぜイスラームに改宗しないか」という文脈で聞いたわけ。先生は、カトリックが一番合うと。カトリック教徒には、自分はならないけれども。強いて言えば、非常にカトリック的な世界が近いとね。(鈴木孝夫・松原秀一「井筒俊彦の本質直観」)
    >
    > 引用終わり。
    >
    > 井筒俊彦の場合、特定宗教に入信するより、東西に通底する普遍的な宗教性と開かれていく方が重要だったのかと思います。

    ああ、やはり、イスラーム教よりカトリックのキリスト教ですか。
    それは、学問の探究者として導き出した結論なのだと思いますが、信仰として、やはり、三位一体のキリスト教でしょうと私も言いたいです。
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■12741 / inTopicNo.86)  Re[30]: 「意識と本質」井筒俊彦
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/16(Sun) 16:42:41)
    愛満開さん レスありがとうございます

    > knowing itselfさん、それにしても「意識と本質」は、とても良い本ですね。

    > 現象学のフッサールは、数学的世界を「発見」したガリレオは同時に生世界を「隠蔽」したとして普遍的本質(マーヒーヤ)が生む非現実でよそよそしさを解決するため現象学的還元を提唱し、日常的な生世界の個体的本質(フウィーヤ)の感覚的で直接的な探求をし、それが実存哲学へと発展していったのは承知のことです。

    > つまり、三位一体の神は、人間の意識やこうした現象界からは超越した者であり、何れの普遍的本質(マーヒーヤ)とも異なるのかなと思いました。

    非常に難しく奥の深いテーマなので、単純化は困難だと思いますが、三位一体の神の受肉は、マーヒーヤとフウィーヤを架橋する立場ではないかと考えています。フウィーヤにある人間の生をそのまま三位一体の中に接続しうるというか。

    フッサール哲学については、現代のカトリックに親近性があるともいわれ、彼の弟子からはカトリックへの改宗者が続出していますね。
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■12750 / inTopicNo.87)  Re[31]: 「意識と本質」井筒俊彦
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/16(Sun) 18:55:41)
    knowing itselfさん、またまた面白いエピソードありがとうございます

    >>つまり、三位一体の神は、人間の意識やこうした現象界からは超越した者であり、何れの普遍的本質(マーヒーヤ)とも異なるのかなと思いました。
    >
    > 非常に難しく奥の深いテーマなので、単純化は困難だと思いますが、三位一体の神の受肉は、マーヒーヤとフウィーヤを架橋する立場ではないかと考えています。フウィーヤにある人間の生をそのまま三位一体の中に接続しうるというか。

    なるほど、そう言う見方も出来ますね。
    それほど、イエス様の受肉、贖罪そして恩寵、聖霊降臨が人智を超えて奥深いと言う事なのでしょうね。

    > フッサール哲学については、現代のカトリックに親近性があるともいわれ、彼の弟子からはカトリックへの改宗者が続出していますね。

    へえーっ、そうなんですか。
    早速、Googleで調べてみたらフッサールのアシスタントでユダヤ商人出でカトリック教会に改宗し殉教したエーディト・シュタイン聖女の記載がありました。
    トマス・アクィナスと‎フッサールとを結合させるべく「有限と永遠の存在」を執筆したのだとか。とても、残念でもったいないことをしたなあと思いました。‎





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■12755 / inTopicNo.88)  キリストを食べる者
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/16(Sun) 20:36:13)
    knowing itselfさん、ヨハネの福音書 6:53〜58で、イエス様は、

    「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。」

    と言われたというのは、いったい何を語られたのでしょうか。

    キリストを食べるなんて何かとても醜悪なことのように感じますが、なぜ、イエス様は、このような事をおっしゃったのでしょうか。

    パンと葡萄酒での聖餐式となったこのことは、そうした儀式としての形を求められたのではなく、そこまでして神様は、罪人である人類のために、十字架上で肉を裂き血を流され救済されたと言う事を、どれ程、真摯に個人的に受け止められるかにかかっているように思います。

    そこから、当然、三位一体の神への感謝も生まれてくる訳で、この受け止めが無いと救済もないように感じるのですが、如何でしょうか。



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■12787 / inTopicNo.89)  Re[31]: キリストを食べる者
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/17(Mon) 19:08:07)
    愛満開さん こんばんは
    > knowing itselfさん、ヨハネの福音書 6:53〜58で、イエス様は、
    >
    > 「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。」
    >
    > と言われたというのは、いったい何を語られたのでしょうか。
    >
    > キリストを食べるなんて何かとても醜悪なことのように感じますが、なぜ、イエス様は、このような事をおっしゃったのでしょうか。

    カニバリズム的に食べるという意味は全くないと思います。誰がそんなこといっているのでしょうか。カトリックでいわれるのは、キリストのリアルプレゼンスということです。フィジカルボディではなくサクラメンタルボディだとも言われます。サクラメンタルボディとは、復活して昇天したキリストの神秘の体、それと寸分も変わらない神秘の体というようなことです。

    > パンと葡萄酒での聖餐式となったこのことは、そうした儀式としての形を求められたのではなく、そこまでして神様は、罪人である人類のために、十字架上で肉を裂き血を流され救済されたと言う事を、どれ程、真摯に個人的に受け止められるかにかかっているように思います。
    >
    > そこから、当然、三位一体の神への感謝も生まれてくる訳で、この受け止めが無いと救済もないように感じるのですが、如何でしょうか。

    それはそう思いますが、儀式としての形だけを重視するというのは、カトリックにもないですね。キリストの神秘体のリアルプレゼンスが真理だから、それにふさわしい姿勢で臨もうというのだと思います。

    キリストのリアルプレゼンスとは、最後の審判の先取りという意味もあるんです。
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■12788 / inTopicNo.90)  Re[32]: キリストを食べる者
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/17(Mon) 19:31:03)
    knowing itselfさんこんばんは

    > カニバリズム的に食べるという意味は全くないと思います。誰がそんなこといっているのでしょうか。カトリックでいわれるのは、キリストのリアルプレゼンスということです。フィジカルボディではなくサクラメンタルボディだとも言われます。サクラメンタルボディとは、復活して昇天したキリストの神秘の体、それと寸分も変わらない神秘の体というようなことです。

    ああ、復活して昇天したキリストの神秘の体と言う事だったのですね。
    私は、てっきりそのように、神を愛し思いやることが、結果、自分の救いの助けになるのかなと思っていました。

    >>パンと葡萄酒での聖餐式となったこのことは、そうした儀式としての形を求められたのではなく、そこまでして神様は、罪人である人類のために、十字架上で肉を裂き血を流され救済されたと言う事を、どれ程、真摯に個人的に受け止められるかにかかっているように思います。
    >>
    >>そこから、当然、三位一体の神への感謝も生まれてくる訳で、この受け止めが無いと救済もないように感じるのですが、如何でしょうか。
    >
    > それはそう思いますが、儀式としての形だけを重視するというのは、カトリックにもないですね。キリストの神秘体のリアルプレゼンスが真理だから、それにふさわしい姿勢で臨もうというのだと思います。
    >
    > キリストのリアルプレゼンスとは、最後の審判の先取りという意味もあるんです。

    へっえー、そうだったのですね。
    最後の審判の先取りだなんて、やはり、いろいろ勉強になります。
    ありがとうございます。
    自分は、まだまだ信仰が足りないなあと思いました。
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■12789 / inTopicNo.91)  Re[32]: キリストを食べる者
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/17(Mon) 19:35:38)
    ここでも三位一体の内側に入るという含意です。外側にキリストの体を仰ぎみるというより、キリストの体が自分の中にダウンロードされる。逆に自分の方もキリストの体の中にダウンロードされる。入れ子構造的ですね。ちょうど、父なる神が子なる神の中に注ぎ込まれ、子なる神も父なる神に同じものを与え返すのと、構造的に同型といえるかもしれません。
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■12791 / inTopicNo.92)  Re[33]: キリストを食べる者
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/05/17(Mon) 20:57:23)
    悪魔ちゃん、お邪魔しま〜す。

    >「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。」<
    ヨハネさんの書物には面白いこと書いてるみたいね。

    解釈。

    でね、この記述、わたしが見ると、
    〈永遠のいのちをもつ者が、わたし(キリスト)の肉を食べ、わたし(キリスト)の血を飲む者なのである〉、って見たんだけど。

    キリストっていう名の存在者は、人として生きていた期間と、死んで復活したのとあるよね。肉とか血は両者に当てまるのかしら?死んで復活したとき受肉よね。受肉っていうかぎりにには」肉を受けるっていうことよね。ってすると、誰かの肉に受肉したんあやない?なのかの肉を受けた人の肉を喰らい血をゴクゴクって飲む者が永遠のいのちをもつ者ってしてるのかしら?それとも人として生きてるとのキリストさんの肉を食べ血を飲むものが永遠のいのちをもつものとヨハネさんはいってるのかしら?わたしどちらもイヤ。人肉を生きたまま食べるっていうことよ。悪魔だってそんなことしない。キリストさんの肉なんておいしくなさそうじゃん。あ、もっとも悪魔ちゃんだったら、そうさせることを”ほのめかす ”ことはするけどね。ま、もっとも実際にやるやらないは本人しだいだけけどね。

    「神話」って考えてみるとおもしろいよね。
    でもね、「信仰」は自ら考えちゃダメ。ただひたすら誰かの言うことを信じなくちゃ。な〜んにも考えちゃダメなの。信仰心が足りないのはこれがあるからよ。

    ところで、
    ここに天使ミカエルちゃんが登場してくれたら悪魔ちゃんとしては楽しくなるんだけど。





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■12809 / inTopicNo.93)  Re[33]: キリストを食べる者
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/18(Tue) 19:44:19)
    knowing itselfさんこんばんは。

    本当に、三位一体を考えていると、どんどん奥深い世界へ踏み入る感じがします。

    > ここでも三位一体の内側に入るという含意です。外側にキリストの体を仰ぎみるというより、キリストの体が自分の中にダウンロードされる。逆に自分の方もキリストの体の中にダウンロードされる。入れ子構造的ですね。ちょうど、父なる神が子なる神の中に注ぎ込まれ、子なる神も父なる神に同じものを与え返すのと、構造的に同型といえるかもしれません。

    ダウンロードとは、面白い比喩ですね。
    三位一体の内側に入ることが出来る喜びかなと思います。
    イスラームのようだと、中に入れずに、外側をだだグルグル立ち回っている感じがします。
    メッカに確か、そういうような人々がグルグル医師の周りをまわる祭りがあったような気がしますが。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%95

    やはり、三位一体でないと神に近づけないことになる気がします。




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■12811 / inTopicNo.94)  Re[34]: キリストを食べる者
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/18(Tue) 19:58:26)
    悪魔ちゃんこんばんは。

    > でね、この記述、わたしが見ると、
    > 〈永遠のいのちをもつ者が、わたし(キリスト)の肉を食べ、わたし(キリスト)の血を飲む者なのである〉、って見たんだけど。

    その通りですね。
    ただ、カニバリズムのような本当に人の肉を食べることとは全く違う話です。

    もっと、霊的に神と人とが慈愛といたわりとによって結ばれてイエス様を
    信じる者が永遠の生命を受けると言う事です。




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■12816 / inTopicNo.95)  Re[35]: キリストを食べる者
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/18(Tue) 20:29:24)
    まとめるとイエス様の十字架上での肉を裂き血を流されたことで贖い、贖罪と
    三位一体の神の恩寵を信じる人は、永遠の生命を得ることが出来ると言う事だと思います。
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■12832 / inTopicNo.96)  Re[36]: キリストを食べる者
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/19(Wed) 19:19:03)
    愛満開さん こんばんは

    > まとめるとイエス様の十字架上での肉を裂き血を流されたことで贖い、贖罪と
    > 三位一体の神の恩寵を信じる人は、永遠の生命を得ることが出来ると言う事だと思います。

    基本的にその通りだと思いますが、キリストの体についてのカトリックの理解はもう少し補足する必要があります。

    ヨハネ6章のパンを食べるは、比喩的にではなく文字通りに読みます。動物がエサを食べるときに使うギリシャ語を端的に使っているという理由と、話しの流れからいっても、文字通りに食べるだと。ただし、このパンを食べるは人間その他の生き物を対象にするのではなく、ルカなどの福音書の後半、イエスが最後の晩餐でパンを取って裂いて「これはあなたがたのために与えられるわたしの体である」を予告しその先取りとなるという意味です。このとき、イエスのみことばの力で、パンの外観はそのままに内側がイエスの体に聖変化する。食べるのはパンで、五感にはパンでしかありませんが、内側はイエスの体そのもの。この体がその後に十字架にかけられて復活するわけですが、寸分の代わりもなく同じイエスの体です。

    確かに「食べる」は文字通りの意味ですが、カニバリズム的な要素はまったくなく、
    真意はキリストの体を信徒の内部に取り入れて同化することにあると思います。キリストと完全に一つになることが理想ですから、不自然ではないですね。




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