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■2691 / inTopicNo.13)  Re[47]: 涅槃のリアリティ
  
□投稿者/ パニチェ -(2020/04/15(Wed) 10:34:28)
    No2688に返信(knowing itselfさんの記事)
    > 理念や理想と現実との関係は、前者は抽象的できれいごと、現実こそがリアルだというのが、まあ普通だと思います。

    これは分かりますし、同意です。

    > 「意識」と涅槃についても、これはまさに前者の抽象的なきれいごとで、リアル感から一番遠いものとされているでしょう。

    ここちょっと分かりません。
    涅槃(苦や煩悩が滅した境地)がきれいごとでリアルから一番遠いもので、通常で言われる意識(自意識も含めた)が最もリアルに感じられるものということなら分かりますが、knowing itselfさんはその逆だと言われてのでしょうか?

    > knowing itself はその逆だと理解しています。「意識」こそが最もリアルなもの、多くの人はそのリアル性を経験し切れていない、リアル性を部分的に引き出しているだけ、リアル性から逃避している、といったところでしょうか。そのリアルを体験するのが極めて困難なのだと思います。

    上記は「意識」ではなく〈私〉に関して言えば同意します。

    〈私〉こそが最もリアルなもの、多くの人はそのリアル性を経験し切れていない、リアル性を部分的に引き出しているだけ、リアル性から逃避している、といったところでしょうか。そのリアルを体験するのが極めて困難なのだと思います、ということであればパニチェと同じです。
引用返信/返信 削除キー/
■2690 / inTopicNo.14)  Re[46]: 〈私〉と無我
□投稿者/ パニチェ -(2020/04/15(Wed) 09:43:14)
    こんにちは、レスありがとうございます。

    No2687に返信(knowing itselfさんの記事)
    > knowing itselfgがまとう重ね着そのものには特別の個性的な意味があるのではないと考えています。それでも、なぜかこの重ね着においてだけ、他でもないこの重ね着の中でだけ<私>を経験できている。この点は微妙で悩ましいのですが、<私>の本来の居場所は、この現実世界の外部にあり、<私>と重ね着は同一化できないと捉えています。現実世界の中で<私>が我性や主体性を帯びているではないと。

    なるほど。〈私〉の居場所が世界内ではなく、その外部であるということ、〈私〉と重ね着は同一でないことは同意できます。

    ただ「重ね着においてだけ、他でもないこの重ね着の中でだけ<私>を経験できている」ということは、〈私〉そのものには〈私〉を経験できる要素がないということでしょうか?

    パニチェは〈私〉そのものにも〈私〉性があるから〈私〉なんだと考えています。
    但し、その〈私〉性は言語化できない。

    > 溶け合わないということはないと思います。

    knowing itselfさんの理屈(重ね着においてだけ、他でもないこの重ね着の中でだけ<私>を経験できている)からすれば溶け合うことは理解できます。

引用返信/返信 削除キー/
■2688 / inTopicNo.15)  涅槃のリアリティ
□投稿者/ knowing itself -(2020/04/14(Tue) 15:54:05)
    理念や理想と現実との関係は、前者は抽象的できれいごと、現実こそがリアルだというのが、まあ普通だと思います。

    「意識」と涅槃についても、これはまさに前者の抽象的なきれいごとで、リアル感から一番遠いものとされているでしょう。

    knowing itself はその逆だと理解しています。「意識」こそが最もリアルなもの、多くの人はそのリアル性を経験し切れていない、リアル性を部分的に引き出しているだけ、リアル性から逃避している、といったところでしょうか。そのリアルを体験するのが極めて困難なのだと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■2687 / inTopicNo.16)  Re[45]: 〈私〉と無我
□投稿者/ knowing itself -(2020/04/14(Tue) 15:30:06)
    >>本来の「意識」が何重にも重ね着をして、個体としてのknowing itselfを通して制約・条件づけの中で意識を働かせている。他の誰でもないこいつとしてですね。これが<私>だと理解しています。何重もの重ね着は、縁に触れて生滅するもので実体としての我ではなく、我を設定することにはならないと考えます。
    >
    > ここまでは同意です。言語表現可能な「私は〇〇だ」で表現できる「〇〇」は重ね着であり、生滅するものですね。
    >
    >>無我ないし無と解することができるので、整合性はあるのではないでしょうか。
    >
    > 〈私〉が全くの無色透明だとして、では何故「〈私〉は〈私〉として、他の誰でもなくあるのか」を考えた時、パニチェの中では〈私〉と無我の整合性というか折り合いがつきません。
    > 他の誰でもない何かがあるから〈私〉であって、だから無我ではありえないのでないかと考えているのですが、knowing itselfさんはこの点についてどうお考えですか。

    こんにちは。

    knowing itselfgがまとう重ね着そのものには特別の個性的な意味があるのではないと考えています。それでも、なぜかこの重ね着においてだけ、他でもないこの重ね着の中でだけ<私>を経験できている。この点は微妙で悩ましいのですが、<私>の本来の居場所は、この現実世界の外部にあり、<私>と重ね着は同一化できないと捉えています。現実世界の中で<私>が我性や主体性を帯びているではないと。



    >>真我については、涅槃としての「意識」それ自体を真我と呼んだとしても別に問題があるとは思いません。
    >
    > なるほど。その場合の真我のイメージは全体性と溶け合いますか?

    溶け合わないということはないと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■2686 / inTopicNo.17)  Re[45]: knowing itself さんへ
□投稿者/ knowing itself -(2020/04/14(Tue) 15:09:16)
    No2680に返信(pipitさんの記事)
    > knowing itselfさんは、
    > 制限なくなった意識が涅槃の境地と考えてられるのかな、と
    > 思いました。
    > もし、そうなら、
    > 涅槃の境地に至ったとき、『認識』は生じてると思われていますか?

    こんにちは。

    制限のなくなった意識には、「認識」は生じないと思っています。

    主客の対立構造の中での一切の精神活動がなくなった状態ですから。


    あらゆる制限がなくなって知的に研ぎ澄まされ何もかもよくわかる、万能の究極知性になるというイメージをもつ人もいるかもしれませんが、そういうことはないと思っています。

    すべてにおいて満たされて自足した意識のあり方でしょうか。認識は必要すらない状態ではないかと。
引用返信/返信 削除キー/
■2684 / inTopicNo.18)  〈私〉と無我
□投稿者/ パニチェ -(2020/04/14(Tue) 08:16:21)
    おはようございます。

    No2678に返信(knowing itselfさんの記事)

    >>本来あるがままの意識というか純粋な〈私〉は涅槃そのものということですね。
    >>そうなるとknowing itselfさんの中では(思想的には)、〈私〉と無我または真我については折り合いがついている、または整合性はありますか?

    > 本来の「意識」が何重にも重ね着をして、個体としてのknowing itselfを通して制約・条件づけの中で意識を働かせている。他の誰でもないこいつとしてですね。これが<私>だと理解しています。何重もの重ね着は、縁に触れて生滅するもので実体としての我ではなく、我を設定することにはならないと考えます。

    ここまでは同意です。言語表現可能な「私は〇〇だ」で表現できる「〇〇」は重ね着であり、生滅するものですね。

    > 無我ないし無と解することができるので、整合性はあるのではないでしょうか。

    〈私〉が全くの無色透明だとして、では何故「〈私〉は〈私〉として、他の誰でもなくあるのか」を考えた時、パニチェの中では〈私〉と無我の整合性というか折り合いがつきません。
    他の誰でもない何かがあるから〈私〉であって、だから無我ではありえないのでないかと考えているのですが、knowing itselfさんはこの点についてどうお考えですか。

    > 真我については、涅槃としての「意識」それ自体を真我と呼んだとしても別に問題があるとは思いません。

    なるほど。その場合の真我のイメージは全体性と溶け合いますか?
引用返信/返信 削除キー/
■2681 / inTopicNo.19)  制限
□投稿者/ pipit -(2020/04/13(Mon) 21:50:40)
    制限された意識で考えることですもんね。

    でも、考えたくなるなぁ
引用返信/返信 削除キー/
■2680 / inTopicNo.20)  knowing itself さんへ
□投稿者/ pipit -(2020/04/13(Mon) 21:48:27)
    こんばんは
    議論したいのではなくて、knowing itselfさんの考え方を
    お聞きしたくて書き込みします。

    knowing itselfさんは、
    制限なくなった意識が涅槃の境地と考えてられるのかな、と
    思いました。
    もし、そうなら、
    涅槃の境地に至ったとき、『認識』は生じてると思われていますか?

    わたしにはそういうことは想像するしかないし、
    それなら、
    想像するべきではないのかもだけど、
    想像してしまって、
    どうなのかなぁ、認識って涅槃でも生じるのかなぁと思ってしまいます。

    knowing itselfさんは、何かイメージされていますでしょうか?

    それとも、そういうことについてアレコレあんまり考えないほうがいいのかなぁ。


引用返信/返信 削除キー/
■2678 / inTopicNo.21)  Re[43]: 輪廻転生
□投稿者/ knowing itself -(2020/04/13(Mon) 19:06:01)
    No2676に返信(パニチェさんの記事)
    こんばんは、返信ありがとうございます。

    > 本来あるがままの意識というか純粋な〈私〉は涅槃そのものということですね。
    > そうなるとknowing itselfさんの中では(思想的には)、〈私〉と無我または真我については折り合いがついている、または整合性はありますか?

    本来の「意識」が何重にも重ね着をして、個体としてのknowing itselfを通して制約・条件づけの中で意識を働かせている。他の誰でもないこいつとしてですね。これが<私>だと理解しています。何重もの重ね着は、縁に触れて生滅するもので実体としての我ではなく、我を設定することにはならないと考えます。無我ないし無と解することができるので、整合性はあるのではないでしょうか。

    真我については、涅槃としての「意識」それ自体を真我と呼んだとしても別に問題があるとは思いません。
引用返信/返信 削除キー/
■2676 / inTopicNo.22)  Re[42]: 輪廻転生
□投稿者/ パニチェ -(2020/04/13(Mon) 16:15:44)
    こんにちは、knowing itselfさん
    質問に答えていただき、ありがとうございます。

    No2675に返信(knowing itselfさんの記事)
    > 信じているというより、knowing itselfが感じている苦や煩悩を六道輪廻の一フェーズと捉えているというのが近いでしょうか。

    なるほど。六道輪廻の一フェーズと捉えられるようになったきっかけとかありますか。

    > 解脱という最終的なゴールを目指すというのはその通りですが、knowing itselfの理解する「意識」は、解脱というか涅槃それ自体のことです。なので、むしろ大乗仏教やadvaita の世界観に近いのかもしれません。「意識」それ自体が何の制約や夾雑物もなしに100パーセント輝く状態が最終ゴールと考えています。この生でも「意識」に生々しく触れることはもちろん可能ですが、それは一時的部分的なので、まだまだ旅は続くのだろうと。
    > 人間の日常意識そのものが、「意識」の制限的な変様と考えていますので、「意識」から離脱することはもともと不可能ということになります。

    本来あるがままの意識というか純粋な〈私〉は涅槃そのものということですね。
    そうなるとknowing itselfさんの中では(思想的には)、〈私〉と無我または真我については折り合いがついている、または整合性はありますか?

    > 仰るとおりです。その方向で投稿文を構成しているつもりです。

    意識や〈私〉に対する探究は他者に言語で伝えることは難しいですが、論理的には可能だとパニチェは考えています。
    一方、輪廻転生については暗黙の飛躍が必要だとパニチェは考えており、その暗黙の飛躍というのは信仰や宗教的な(必ずしも特定宗教という意味ではありません)ものであって、論理的な帰結では到達しないように思うのですが、knowing itselfさんの場合は如何でしょうか。

    これらの質問は差し支えなければ返信下さい。スルーでも結構です。

引用返信/返信 削除キー/
■2675 / inTopicNo.23)  Re[41]: 輪廻転生
□投稿者/ knowing itself -(2020/04/13(Mon) 10:34:40)
    > 間違ってたら訂正して下さい。
    > knowing itselfさんは六道輪廻を信じておられる。今生だけで釈尊の悟りに到達する、つまり六道輪廻を断ち切る解脱に至ることはほとんど不可能で、輪廻を繰り返すことによって解脱という最終的なゴールを目指す。
    > 生の目的は解脱にあるということをアイデンティティとしておられるということでしょうか。


    信じているというより、knowing itselfが感じている苦や煩悩を六道輪廻の一フェーズと捉えているというのが近いでしょうか。

    解脱という最終的なゴールを目指すというのはその通りですが、knowing itselfの理解する「意識」は、解脱というか涅槃それ自体のことです。なので、むしろ大乗仏教やadvaita の世界観に近いのかもしれません。「意識」それ自体が何の制約や夾雑物もなしに100パーセント輝く状態が最終ゴールと考えています。この生でも「意識」に生々しく触れることはもちろん可能ですが、それは一時的部分的なので、まだまだ旅は続くのだろうと。


    人間の日常意識そのものが、「意識」の制限的な変様と考えていますので、「意識」から離脱することはもともと不可能ということになります。


    > 意識というか〈私〉を中心として世界や生を解釈されているように思いました。

    仰るとおりです。その方向で投稿文を構成しているつもりです。



引用返信/返信 削除キー/
■2672 / inTopicNo.24)  Re[40]: 輪廻転生
□投稿者/ パニチェ -(2020/04/12(Sun) 17:08:31)
    こんにちは、knowing itselfさん

    No2624に返信(knowing itselfさんの記事)
    > 輪廻転生についていえば、もし釈迦の教えを真理として受け入れるなら、認めるのが一択だと考えています。
    > 釈迦の境地に今生で到達することは、ほとんどの人間にとって不可能に近く、その現実認識の下で、さらに人生は一回切りで死んだら完全消滅という立場なら、釈迦の教えに依拠してもまったく無意味ではないでしょうか。
    > 釈迦の到達した段階が儚い妄想・空想ではないと受け入れ、他方で自分の煩悩だらけの現状も認めるなら、その先行段階や到達までの途中経過の輪廻転生があると考えるのが自然ですね。

    No2664に返信(knowing itselfさんの記事)
    > 正直いって量子論の観測問題はよくわかりません。物質が意識によって成り立つというのは、特に量子論を念頭において援用・主張しているのではなく、もっと素朴で大まかな世界観としてですね。
    > 「素粒子物理の探求への解答は、意識である」は、これこそが結論だから素粒子物理学の探求なんか終わっているよというふうな、エラそうな断定をしているのではまったくありません。
    > 素粒子論に限らず、全物理学全科学領域における探求・達成を尊重しつつも、それと「意識」に格別の地位を与えることは完全に両立するだろうというのが、knowing itself の主張したかったことです。

    No2667に返信(knowing itselfさんの記事)
    > 輪廻転生は自分の場合だけ考えることで、他の人の輪廻転生については無記であるべきかと。
    > 自分の輪廻転生についてなら、最終的なゴールに未だ達していないのなら、引き受けるしかないと考えています。

    間違ってたら訂正して下さい。
    knowing itselfさんは六道輪廻を信じておられる。今生だけで釈尊の悟りに到達する、つまり六道輪廻を断ち切る解脱に至ることはほとんど不可能で、輪廻を繰り返すことによって解脱という最終的なゴールを目指す。
    生の目的は解脱にあるということをアイデンティティとしておられるということでしょうか。
    意識というか〈私〉を中心として世界や生を解釈されているように思いました。
    もちろん、この返信は論争や反論のためのものではありません。
    他者の輪廻転生については無記とし、自身は引き受けるという姿勢は寛容な考え方だと思います。

引用返信/返信 削除キー/

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