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■25802 / inTopicNo.1)   哲学ってなあに?
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/08/23(Tue) 20:20:10)
    もし、「哲学」っていうのが、根源を探究することだとしたら、

    「フィロソフィア」っていう〈知ることを欲する〉に立ち返るのがいいのかもしれない。

    現象学はそう言ってるような気がしてる、わたしのばあい。

    ノエマの世界だけで考えるんじゃなくてね。
引用返信/返信 削除キー/
■25801 / inTopicNo.2)  Re[74]: :ある、と、主語と述語への分別
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/08/23(Tue) 19:01:24)
    おくったがわさん、こんばんは。

    最初に、「明け」じゃなくて、「開け」です、訂正ね。

    No25783、わたし、どうしてあのようなことを言ったのか、ちょっと振り返って見ました。

    「問いかけと直観」のなかに次のようなのがあります。

    滝沢静雄/木田元共訳(TK)
    *******
    本質についても事実についても、最も望ましいのは、論じようとする存在を外から眺める代わりに、その中に身を置くことであり、あるいは同じことであるが、存在をわれわれの生活の織物の中に置き直し、私の身体の裂開にも似た存在の裂開(dehiscence)−―それが存在を存在自身に開かしめ、またわれわれを存在に開かしめるのであり、そして本質が問題になる場合には、それは、語りまた考えることの裂開となるのだ――に立ち会うことである。
    (dehiscenceの最初のeの上には ‘ がついてます)
    *******
    山中元訳(Y)
    *******
    事実につても本質についても、重要なのは、問題としている存在を外部から眺めるのではなく、その内側に身を置くことであり、結局は同じことだが、その存在をわたしたちの生の織り目のうちに置き直し、その〈開け〉に内側から立ち会うことである。これはわたしたちの身体の〈開け〉に似たものであり、存在を自らに開き、わたしたちを存在に開くものである。本質にかかわりながら、存在を自らに開き、わたしたちを存在に開くものである。本質にかかわりながら、話すことと思考することの〈開け〉なのである。
    *******

    (ここにある【存在を外部から眺めるのではなく、その中に身を置くこと】、これ、現象学的手法で、キモだとわたし見てる。)

    わたし最初「裂開」っていうのどういうのかな〜って思ってたんだけど、山中さんので「開け」って訳されててなんか分かった感じ。あとTKのなかには「開示性」とも訳されてるみたい。


    ここでちょっと現象学のを。
    ハイデガーの『存在と時間』のなかに書いてあったんだけど、

    現象学でいう「ファイノメノン」⇒「現象」は、「おのれを示す当のもの」。

    「現象学」は、「おのれを示す当のものを、そのものがおのれをおのれ自身のほうから示すとおりに、おのれ自身の方から見えるようにさせるということ」。

    のようです。

    「おのれ自身の方から見えるようにさせる」これを「開示」(裂開、開け)、ってわたし見てる。
    あ、これ、わたしの勝手な結びつけだからね。

    で、おたずねの、

    <「白鳥(A)は白い(B)」、これは「開け」じゃななくて>
    については、主語の「白鳥」の意味のなかにはすでに「白い」が含まれてるよね、だから述語は新たなことは言ってない、って見て、「開けじゃない」、主語の「白鳥」を開示してない、って思ったのかも。
    他方、
    <「三角形(A)の内角の和は二直角(B)」、これが「開け」っていうこと>
    あ、これも間違ってた、ごめん。主語は「三角形の内角の和」でした。
    主語の「三角形」「内角」「内角の和」のどこを見ても「二直角」という術語は出てきてないよね(もっとも、「三角形の内角の和は二直角である」ということを“すでに知ってる“人にとってはこういうふうに見るのは変に思われるかもしれないけど)。こういうふうに、主語にまったく新しい意味が付け加えられてるのを「開け」っていうのかな〜ってわたし思ったのかも。

    あ、あと、
    > 分けてはならぬ---この禁則を鉄の掟とするパルメニデスは、…‥「間」は呪わしき無限の泥海なのだ。<
    っていうの、この「間」、わたしのから見ると〈と〉の方のような気がする。

    わたし、メルポンは「間」(関係性)を見えるようにしようとしている気がしてる。

    ちなみに、「〈ある〉か〈ない〉かのどちらかである」これを論理学(導出学)では「排中律」っていうみたい。そしてこれを認めてる。
    間違っていたら、ごめんだけど。



引用返信/返信 削除キー/
■25797 / inTopicNo.3)  Re[73]: :ある、と、主語と述語への分別
□投稿者/ おくたがわ -(2022/08/23(Tue) 11:06:23)
    No25783に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    おはようございます。

    > 「AはBである」
    > わたしこれ、主語と述語って見てないのね。
    >
    > 「A」と「B」は「である」でつながってる。
    > もし、「A」と「B」が融合ないし合致するとしたなら、
    > 「Aである」か「Bである」っていう表現でしかなくなるんじゃないかしら?
    >
    > こういう意味で、求さんの
    > >(分かたれた)二者がいくら無限に接近しようとも、やはりその間には無限の隔たりを考えることができる。ここにあっては、限りなく近づくことが、じつに限りなく遠ざかることなのだ<
    > にはそうなのかな〜ってわたし思ってる。

    最初難しかったけれど、ここまで分かった(つもり

    > だから「AはBである」においては、「A」と「B」は別もの、ってなるとおもうんだけけど、わたしこれを「亀裂」って言うより「裂開(開け)」って見てる(もっとも「亀裂」を「明け」という意味なんだったら同じことを言ってることになるだけど)。

    裂開は分からないけど、現象学?
    亀裂はおそらく、もともと一つであるものにひびが入って分かれていく感じをイメージしてる。

    > 「B」が「A」の〈開け〉になるっていうこと。
    >
    > 何言ってるかわかんないかもしれないけど、たとえば、

    たしかにわからない。開いて出てくる感じ?

    > 「白鳥(A)は白い(B)」、これは「明け」じゃななくて、
    > 「三角形(A)の内角の和は二直角(B)」、これが「明け」っていうこと。

    すごく興味があるので、その違いをもう少し説明おねがいします。
    他の例でもいいです。


    > <その間を三つと数える>なんだけど、この三つをどう数えるかが問題よね。
    >
    > 〈ある〉〈か〉〈ない〉の三つ。
    > 〈ある〉〈と〉〈ない〉の三つ。
    > の三つがいまのところわたしのなかでは浮かんでるんだけど。
    > 「間」っていうのは、〈か〉、〈と〉のことね。

    〈ある〉〈と〉〈ない〉の三つ 
    とすると、
    <ある> と <と> の間ができる <と> と <ない>の間もできる。そうやって無限に<間>ができる。
    そのままのことを言っているかどうかは分かりませんが。近いことを言ってる気はする。。
引用返信/返信 削除キー/
■25783 / inTopicNo.4)  Re[72]:ある、と、主語と述語への分別
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/08/22(Mon) 20:08:20)
    ■25751、おくったがわさん、ありがとございま〜す。

    >「これはコーヒーカップである」<
    「主語と述語」、なんかいい例を出してくれて。

    「これ」が主語で、「コーヒーカップである」が述語ね。

    目の前にカップがあって、このカップが「これ」とするよね。

    「これ(カップ)」は「コーヒーが入ってるカップ」じゃない場合もあるよね。
    紅茶が入っていれば「ティーカップ」?日本茶が入っていれば?ん?なんて言うの?わかんないけど(少なくともコーヒーカップとは言わないよね)。そのカップは入っているものによって名が変わるよね。

    じゃ、中に入ってるものを抜きにして、
    「これはカップである」ってして見たときも、けっきょく同じなのね。

    もっとなくしちゃうと、

    〈これなあに?〉

    「これは○○である」以前の。

    「AはBである」
    わたしこれ、主語と述語って見てないのね。

    「A」と「B」は「である」でつながってる。
    もし、「A」と「B」が融合ないし合致するとしたなら、
    「Aである」か「Bである」っていう表現でしかなくなるんじゃないかしら?

    こういう意味で、求さんの
    >(分かたれた)二者がいくら無限に接近しようとも、やはりその間には無限の隔たりを考えることができる。ここにあっては、限りなく近づくことが、じつに限りなく遠ざかることなのだ<
    にはそうなのかな〜ってわたし思ってる。

    だから「AはBである」においては、「A」と「B」は別もの、ってなるとおもうんだけけど、わたしこれを「亀裂」って言うより「裂開(開け)」って見てる(もっとも「亀裂」を「明け」という意味なんだったら同じことを言ってることになるだけど)。

    「B」が「A」の〈開け〉になるっていうこと。

    何言ってるかわかんないかもしれないけど、たとえば、

    「白鳥(A)は白い(B)」、これは「明け」じゃななくて、
    「三角形(A)の内角の和は二直角(B)」、これが「明け」っていうこと。

    > 分けてはならぬ---この禁則を鉄の掟とするパルメニデスは、二つ以上の多を背理とみなした。二つを認めるやいなや、その間を三つと数えなければならず、これが限りなく続いてしまうからである。「間」は呪わしき無限の泥海なのだ。<

    この<分けてはならぬ>の<分け>っていうのが誰の分かんないけど、
    これについては、いまのところ横に置いとく。

    <その間を三つと数える>なんだけど、この三つをどう数えるかが問題よね。

    〈ある〉〈か〉〈ない〉の三つ。
    〈ある〉〈と〉〈ない〉の三つ。
    の三つがいまのところわたしのなかでは浮かんでるんだけど。
    「間」っていうのは、〈か〉、〈と〉のことね。























引用返信/返信 削除キー/
■25751 / inTopicNo.5)  Re[64]: ある、と、主語と述語への分別
□投稿者/ おくたがわ -(2022/08/22(Mon) 00:17:42)
    2022/08/22(Mon) 07:56:13 編集(投稿者)
    2022/08/22(Mon) 07:01:30 編集(投稿者)

    No25671に返信(pipitさんの記事)
    少し前の記事への返信になります。そして(いつものように)完全な私的解釈です。

    > 【双頭の怪物(ディクラノイ)の誕生】
    > そもそもの発端、それはやはりあのパルメニデスの深刻な問題提起にある。
    > ただ、ある、といえるのみ---これがパルメニデスのいう大いなる真理だった。この伝でゆくなら、まさに判断という知の手段こそが邪道の始まりである。
    > なぜなら、それは一にしてまったき「ある」に、主語と述語という区別を、すなわち亀裂を設けてしまうことになるから。
    > つまり両者の関係をコプラ(=繋辞)において「---である」とか「---でない」とか言明をする以前に、そもそも一方が他方でないという否定をその「ある」に介入させ、肝腎かなめの「ある」がすでに〈ない〉にまみれていた、という不始末を宿すからである。
    > 二つに分けることそれ自体が「ある」全体が連続的である((ク)シュネケス・パーン・エスティン)という永遠の真理をはなから否定している。しかしこれは、すでに分たれていたものを繋げないと語る事後の否定ではなく、むしろ事前の、いわば法外の否定であろう。

    「これはコーヒーカップである」と言うとき主語-述語に分裂しているのであれば、「これ」と「(これであるべき)コーヒーカップ」の間に断絶が生じており、『そもそも一方が他方でないという否定をその「ある」に介入させ、肝腎かなめの「ある」がすでに〈ない〉にまみれていた、という不始末を宿す』

    ところで石川求さんも、パルメニデスは「ある」に主語を前提しない語りをしたという解釈ですね。
    ここは日本語のみ話者の自分には、どう捉えていいか分からないな。動詞の語形によって人称が区別される時点で、主-術の分裂が生じているのかどうか。しかし仮にそうだとしたら「ただ、ある、といえるのみ」ということは、どのように表現するのか。

    いずれにしても納富先生の『現代の解釈者が「万物、在るもの、一者、それ」といった候補を示してきたが・・』というのは三人称単数ということが分かっても、主語が特定できないゆえに、そのようになるのでしょうが…。
    その上で、納富先生はそういった解釈者の行為に価値を認めていないように読みました。

    > 分けてはならぬ---この禁則を鉄の掟とするパルメニデスは、二つ以上の多を背理とみなした。二つを認めるやいなや、その間を三つと数えなければならず、これが限りなく続いてしまうからである。「間」は呪わしき無限の泥海なのだ。あのアキレスと亀がそうであったように、(分かたれた)二者がいくら無限に接近しようとも、やはりその間には無限の隔たりを考えることができる。ここにあっては、限りなく近づくことが、じつに限りなく遠ざかることなのだ。
    >  こんなことは不条理ではないか。判断における主語と述語の多、すなわちそれらの「間」にしても同じである。
    > ならば、パルメニデスの禁令に背いて双頭の判断を知の道具にしようとする者は、いやが上にもこの無理難題を、パルメニデスの表現では「唖然の(テテーポテス)」あるいは「怪物的」論理という疚しさを、自らに引き受ける覚悟がなければならない。

    仏教だと言語同断とか無分別という方向があるかもしれないが、ギリシア哲学とかの方面の人たちは言語で徹底的に分析しないと気が済まないと思われ、主-術に分け判断すること自体に背理があると言われようとも、

    >  つまりプラトンは(彼もまた)判断という知の形式を甘受する。分かつことで生み落とされる主/述の「多」の委細を承知の上で、パルメニデスが告発してやまぬ「背理」を、ある規定が無限の否定を背負うこととして、しかと引き取ったのである。
    > (略)』

引用返信/返信 削除キー/
■25737 / inTopicNo.6)  Re[71]: むかつく〜
□投稿者/ おくたがわ -(2022/08/21(Sun) 19:25:33)
    2022/08/22(Mon) 11:16:04 編集(投稿者)
    2022/08/22(Mon) 07:53:30 編集(投稿者)

    No25719に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ヨルシカ、ヒッチコック、
    >
    > 「何でなんでしょうか」っていう問いみたいなのを言ってるけど、
    > このひと、何も問うてないよね。

    同感。

    --
    私があの歌詞を嫌いな理由を書いていたのですが、もう少し自覚的に考えてみたいので編集削除しました。
引用返信/返信 削除キー/
■25736 / inTopicNo.7)  Re[74]: 生
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/08/21(Sun) 19:13:51)
    ヨルシカの歌詞(主張)をわたしが不快に感じたには

    鬼束ちひろ - 月光(album version) - YouTube
    を聞いたから。
    そして
    中島美嘉 『僕が死のうと思ったのは』 MUSIC VIDEO Shorts ver. - YouTube
    を聞いたから。


引用返信/返信 削除キー/
■25734 / inTopicNo.8)  Re[73]: もういいか
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/08/21(Sun) 18:23:08)
    No25719 に補足しま〜す
    ヨルシカ、ヒッチコック
    歌詞をタイピングしました。

    ・・・・・・
    雨の匂いに懐かしくなるのは何でなんでしょうか
    夏が近づくと胸が騒めくのは何でなんでしょうか
    人に笑われたら涙が出るのは何でなんでしょうか
    それでもいつかは報われるからと思えばいいのでしょうか
    さよならって言葉で
    こんな胸を裂いて
    今もたった数秒の夕焼けに
    足が止まっていた
    先生、人生相談です
    この先どうなら楽ですか
    そんなの誰もわかりはしないよなんて言われますか
    ほら、
    苦しさなんて欲しないわけない
    なにもしないで生きていきたい
    青空だけが見たいのは我儘ですか
    胸が痛んでも嘘がつけるのは何でなんでしょうか
    悪い人ばかりが得をしているのは何でなんでしょうか
    幸せの文字が¥を含むのは何でなんでしょうか
    一つ線を抜けば辛さになるのはわざとなんでしょうか
    青春って値札が
    背中に貼られていて
    ヒッチコックみたいなサスペンスを
    どこか期待していた
    先生、どうでもいいんですよ
    生きてるだけで痛いんですよ
    ニーチェもフロイトもこの穴の埋め方は書かないんだ
    ただ
    夏の匂いに目を瞑って、
    雲の高さを指で描こう
    想い出だけが見たいのは我儘ですか
    ドラマチックに人が死ぬストーリーって売れるじゃないですか
    花の散り際にすら値が付くのも嫌になりましら
    先生の夢は何だったんですか
    先生、人生相談です
    この先どうなら楽ですか
    涙が人を強くするなんて全部詭弁でした
    ああ、
    この先どうでもいいわけなくて、
    現実だけがちらついていて、
    夏が遠くて
    これでも本当にいんですか
    このまま生きていてもいいんですか
    そんなの君しかわからないよと言われますか
    ただ
    夏の匂いに目を瞑りたい
    いつまでも風に吹かれたい
    青空だけが見たいのは我儘ですか
    あなただけを知りたいのは我儘ですか
    ・・・・・
    「ヒッチコック」、わたし知らなかったからネットで調べたら、映画監督みたいじゃん。
    で、このひと
    「ヒッチコックみたいなサスペンスをどこか期待していた」んだけど、じつはそうじゃなかった、みたいな。

    やっぱ、このひとの、”しったかぶり”の主張にしかわたしには見えない。

引用返信/返信 削除キー/
■25732 / inTopicNo.9)  Re[72]: 「否定」ー「ではない」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/08/21(Sun) 16:57:36)
    「私あなたのこと好きじゃない」

    「好き」と言ってしまうとまちがいになるもののすべて、そして、さしあたりそれ以上のことは言わない。

    A「私あなたのこと好きじゃない」
    B「え、わたしのこと、嫌いなの?」
    A「嫌いじゃないよ」
    B「好きでも嫌いでもない、っていうこと?」
    A「そういうんでもないのよ」
    B「じゃ、なんなのよ〜」
    A「ただ、私あなたのことが好きじゃない、って言ってるだけ」
    B「・・・・・」


    「私あなたのこと嫌いじゃない」

    B「ねえ、ぼくのこと好き?」
    A「私あなたのこと嫌いじゃないよ」
    B「じゃ好きなんだね?」
    A「好きじゃないよ」
    B「え〜、じゃなんなの?」
    A「好きでも嫌いでもないっていう感じ、これからもお友だちでいましょうね」
    B「・・・・」

    たしかに否定するっていうのはむずかしい。
    No25715


引用返信/返信 削除キー/
■25730 / inTopicNo.10)  Re[71]: 「否定」ー「ではない」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/08/21(Sun) 14:00:00)
    〈スイカ〉を見て、「これは〈カボチャ〉じゃない」っていうことを、もうちょっと見て見ると、

    No25715のつづきで〜す。
     
    〔ある状況で「Aではない」と正しく主張できるのは、「A」と主張するとまちがいになるとき〕
    だから、
    〈スイカ〉を見て、「これは〈スイカ〉じゃない」っていうとまちがいになっちゃう。
    「これは〈カボチャ〉じゃない」はまちがいじゃないよね。

    〔「A」という主張の否定は、「A」と主張するとまちがいなるものすべてを含む〕っていうことだから、

    べつに〈カボチャ〉じゃなくてもいいっていうことになる。〈カボチャ〉のところに〈スイカ〉を入れちゃダメだけど、〈スイカ〉以外のものならなんでもいいっていうこと。〈リンゴ〉〈ゴーヤ〉〈ボール〉・・・・
    ってすると、〈カボチャ〉のところには〈非スイカ〉が入るっていうことになるかな。
    で、
    〈スイカ〉を見て、「これは〈非スイカ〉じゃない」っていうことは正しく主張している、っていうことになるのかな。
    あと、こういうのって、“ないもの”を想像してる、って見ることもできるのかも。

    なんかヘンなことになってきた感じ。

    ところで、じっさい、「これはカボチャじゃない」っていうときって、どんなときかな?
    〈スイカ〉っていうのをこれまでに見たことがなくて(経験したことがなくて)、〈カボチャ〉って言うのは知ってるんだけど、でもこれは〈カボチャじゃない〉ようだ、っていうときかな。
    目の前にあるものがなんだかわかんなくて、〈これなあに?〉っていうときなのかも。


引用返信/返信 削除キー/
■25719 / inTopicNo.11)  むかつく〜
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/08/20(Sat) 20:03:07)
    ヨルシカ、ヒッチコック、

    「何でなんでしょうか」っていう問いみたいなのを言ってるけど、
    このひと、何も問うてないよね。

    「ニーチェもフロイトもこの穴の埋め方は書かないんだ」
    このひと、ニーチェの、フロイトの、読んだことあるのかしら?

    ん〜ん、こういう人、なんて言えばいいのかな〜?
    しったかぶり?

    知らなくてもいい情報がたまたま入ってきちゃって、ちょっとムカついちゃったから。




引用返信/返信 削除キー/
■25715 / inTopicNo.12)  Re[69]: :「否定」ー「ではない」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/08/20(Sat) 17:55:38)
    メルポンの[哲学的問いかけ]=〔〈ある〉ということはどういうことなのか〕の〈ある〉に対して〈ない〉っていうのが問題となってるみたい。
    もうちど、野矢茂樹著「入門!論理学」の「否定」のところを読み返して見たよ。
    ところどころ書き写して見ます。

    第二章 「否定」というのは、実は とってもむずかしい
    っていう題のなかの、

    *********
    「否定」というのは考えはじめるとかなりむずかしいものです。たとえば机の上に目をやると、そこにはコーヒーカップが置いてあって、コーヒーが半分入っていて、紙の束があって、その紙には何やらごちゃごちゃ書きつけてあって、パソコンがあって、等々、私たちはただそこにあるものだけを目にします。机の上をことばで描写するとき、ただ肯定形の記述だけですむように思えます。だとすれば、「否定」というのはどこで現れるのでしょうか。いや、「現れない」から「否定」なのではないか。とすると、おもわず「この世界に否定なんかないんだ」と言いたくなります。そう言っちゃてから、その台詞がまさしく否定形だったと気づいて苦笑するわけですが。
    たとえば、私の机の上にはなぜか金塊がありません。いまはじめて気がつきました。なんでそんなだいじなことに気づかなかったのだろう。まあ、理由は簡単です。いままで「机の上に金塊がある」なんて考えたこともなかったからです。そうしてみると私の机の上にはいろんなものがありません。リカちゃん人形もないし、奈良漬けもない。(まことにもってつまらない。)でも、実際問題として、私はそんなこと言いたくはならない。「金塊がないぞ」とか「リカちゃん人形がないじゃないか」といった訴えは、そういう関心があるひとだけがはっするものです。「机の上に金塊がある」という肯定形のことがらに関心があるひとだけが、「机の上に金塊がない」という否定形の主張を口にします。
    このことは否定というものの正体を少し明らかにしてくれます。「机の上に金塊がある」なんて思ってもみないひとは、「机の上に金塊がない」とも思わない。「机の上に金塊があるといいな」と思っているひととか、あるいは誰かに「あなたの机の上に金塊がるわよ」とか言われたひとだけが、現実の机を見て、「ないじゃん」と思うのです。つまり、「机の上に金塊がある」という肯定形の主張がなんらかの仕方で念頭にあって、でも現実の机の状況がそれを打ち消すとき、わたしたちは「金塊がない」というのです。「主張Aの打ち消し」が「Aの否定」にほかなりません。
    ‥‥‥
    …‥なんらかの主張「A」を否定して「Aではない」と正しく言えるのはどういうときか。それは、その状況で「A」と主張するとまちがいになってしまうときです。私の机の上に関して、「金塊がない」と正しく主張できるのは、いまのこの状況で「金塊がある」と主張するとまちがいになるということがはっきりしているからです。
    …‥
    …‥「A」という肯定形の主張はある事実が成り立っていることを描写したものですが、他方「Aではない」という否定形の主張は事実が成り立っていることを描写したものというよりも、「A」という主張がまちがいっているといいたてるものにほかならりません。その「A」という主張は、自分の中にあるものでも、誰か他のひとがいったものでもかまいません。ともかく、「Aではない」は「A」という主張に対する否定的な態度を表明したものなわけです。
    ‥‥
    ある状況で「A」ではない」と正しく主張できるのは、「A」と主張するとまちがいになるときである――これが、論理学が扱う「否定」の意味なのです。
    ‥‥‥
    …‥「A」という主張の否定は、「A」と主張するとまちがいなるものすべてを含むのです。
    …‥
    ‥‥‥論理学が「否定」として取り上げるのは、ふつうに私たちが使っている否定表現そのものではありません。
    …‥
    …‥「A」という主張に対して、それをともあれ打ち消すということ、そしてさしあたりそれ以上のことは言わない。これが、私たちが取り扱いたい否定の純粋な形です。
    ********

    論理学における「否定」―「ではない」を、わたしなりに抜粋して見ました。

    〈ある〉に対して〈ない〉をこういうふうに見るのもいいかなって。
    だから、
    スイカを見て「これはカボチャじゃない」っていうのは、論理学的に、正しく「ない」してるでしょ?
    でもふつうこうは言わないんじゃないけどね〜。

    「○○ではない」についてはわたし、
    No25601に書いたとうりなんだけど、
    もうちょっと「ではない」について考えて見る。



引用返信/返信 削除キー/

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