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No25783 の記事


■25783 / )  Re[72]:ある、と、主語と述語への分別
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/08/22(Mon) 20:08:20)
    ■25751、おくったがわさん、ありがとございま〜す。

    >「これはコーヒーカップである」<
    「主語と述語」、なんかいい例を出してくれて。

    「これ」が主語で、「コーヒーカップである」が述語ね。

    目の前にカップがあって、このカップが「これ」とするよね。

    「これ(カップ)」は「コーヒーが入ってるカップ」じゃない場合もあるよね。
    紅茶が入っていれば「ティーカップ」?日本茶が入っていれば?ん?なんて言うの?わかんないけど(少なくともコーヒーカップとは言わないよね)。そのカップは入っているものによって名が変わるよね。

    じゃ、中に入ってるものを抜きにして、
    「これはカップである」ってして見たときも、けっきょく同じなのね。

    もっとなくしちゃうと、

    〈これなあに?〉

    「これは○○である」以前の。

    「AはBである」
    わたしこれ、主語と述語って見てないのね。

    「A」と「B」は「である」でつながってる。
    もし、「A」と「B」が融合ないし合致するとしたなら、
    「Aである」か「Bである」っていう表現でしかなくなるんじゃないかしら?

    こういう意味で、求さんの
    >(分かたれた)二者がいくら無限に接近しようとも、やはりその間には無限の隔たりを考えることができる。ここにあっては、限りなく近づくことが、じつに限りなく遠ざかることなのだ<
    にはそうなのかな〜ってわたし思ってる。

    だから「AはBである」においては、「A」と「B」は別もの、ってなるとおもうんだけけど、わたしこれを「亀裂」って言うより「裂開(開け)」って見てる(もっとも「亀裂」を「明け」という意味なんだったら同じことを言ってることになるだけど)。

    「B」が「A」の〈開け〉になるっていうこと。

    何言ってるかわかんないかもしれないけど、たとえば、

    「白鳥(A)は白い(B)」、これは「明け」じゃななくて、
    「三角形(A)の内角の和は二直角(B)」、これが「明け」っていうこと。

    > 分けてはならぬ---この禁則を鉄の掟とするパルメニデスは、二つ以上の多を背理とみなした。二つを認めるやいなや、その間を三つと数えなければならず、これが限りなく続いてしまうからである。「間」は呪わしき無限の泥海なのだ。<

    この<分けてはならぬ>の<分け>っていうのが誰の分かんないけど、
    これについては、いまのところ横に置いとく。

    <その間を三つと数える>なんだけど、この三つをどう数えるかが問題よね。

    〈ある〉〈か〉〈ない〉の三つ。
    〈ある〉〈と〉〈ない〉の三つ。
    の三つがいまのところわたしのなかでは浮かんでるんだけど。
    「間」っていうのは、〈か〉、〈と〉のことね。























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