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■25571 / inTopicNo.37)  Re[57]: : 哲学ってなあに?
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/08/13(Sat) 09:58:13)
    ■25558のつづき

    TKのとTのまちがってました、ごめん。

    メルポンにおける[哲学的問いかけ]は、最終的にはつぎのようになったみたい。

    a「何があるのか」「あるとは何か」(TK)
    と、
    b「何が存在するか」「あるとうのはどういうことか」(Y)

    「問いかけと直観」は、
    No25391から始まって、
    No25556で終わってる。
    そしてこの次に出てくるのが
    No25165の「絡み合い」ってなるんだけど、
    いまは「問いかけと直観」について。

    [哲学的問いかけ]で、最初に言っていたのは、
    哲学的【〈問い掛け〉とは、問いとは異なるものである】
    っていうことだったと思う。
    で、結局a,bになった、っていうこと。

    このメルポンの[哲学的問いかけ]に関するところだけ、遡って、抜粋していって見ます。

引用返信/返信 削除キー/
■25558 / inTopicNo.38)  Re[56]: : 哲学ってなあに?
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/08/12(Fri) 19:34:56)
    哲学にもいろんなのがあるみたいだけど、ここでは、メルポンのフィロソフィアっていうことになるのかな。

    No25556のつづきで〜す。

    滝浦静雄/木田元共訳のをTK中山元訳のをYってします。

    TKでは「観念」、Yでは「理念」って訳されてるみたい。
    この「日本語」の意味ネットで調べたら、

    「観念」(idea 英語 Idee ドイツ語)
    人間があるものについて心中にもつ表象を指示する用語。一般的には、感覚的あるいは空想的表象から理性的、知的表象にまで及ぶ広い範囲の表象一般、あるいはそのいずれかをさすものとして使われる。哲学の術語としては、感覚的あるいは感性的表象に対立するものとして、知的表象ないしは概念、さらにはその複合体を意味するのが本来の用法である。
    近代ヨーロッパ諸語での観念に相当することばは、すべて、ギリシア語のイデアideaに由来し、この語はまたidein(見る)に由来するものとして、元来、見られたもの、姿、形といった意味をもっていた。これを哲学用語として独特の意味をもたせて導入したのはプラトンである。
    あと、
    「観念」
    人が物事に関して抱く、主観的な考えのこと。意味が似た言葉としては「概念」が挙げられる。「観念」が人がそれぞれ抱く考えを表す意味で使用するのに対し、「概念」は、物事において多くの人に共通する特徴を表現するときに用いることが多い表現。また、考えないように打ち消しても浮かんでくる考えのことを「強迫観念」という。

    「理念」(idea 英語 Idee ドイツ語)
    ある物事についての、こうあるべきだという根本の考え。哲学で、純粋に理性によって立てられる超経験的な最高の理想的概念。プラトンのイデアに由来。イデー。

    「idea」を日本語では「観念」とも「理念」とも訳すみたいね。
    なんかわかりにく〜、で、わたし、「観念」を〈表象一般〉ってして、感性表象・理性的知的表象・概念などがある、ってしとくことにする。
    Tの場合、「理念」ってしたのは「理性的知的表象」に限って見たのかな。
    あ、わたし「直観」っていうの感性に属するってしたから、「感性的表象」っていうことになるのかな。

    [question-savoir]は、TKでは【知としての問い】、Tでは【問い・知】って訳されてるみたい。
    [savoir]をネットで調べたら、「知る」ってあった。
    で、わたしこれを〈問い-知る〉ってして見た。両方とも動詞で見るっていうことね。こっちの方がメルポンらしいと思って。

    【「存在すること」が暗黙のうちに前提とされている〈…があるのかどうか〉(an sit)という問いや懐疑ではない。】っていうところ、たぶんデカルトのだと思う。

    わたし、「存在する」=〈ある〉ってして見てる。

    【〈…があるのかどうか〉】のなかには〈ある〉があるよね。これ言いかえると〔…が存在するのかどうか〕ってなって、【「存在すること」が暗黙のうちに前提とされている】になるよね。

    【「私は何も知らないことを知っている」】はソクラテスの「無知の知」のことだと思う、たぶん。

    メルポンのいう〈フィロソフィアの問いかけ〉は、こういうんじゃなくて、っていうことのよう。

    【結局(最終的には)、「何があるのか」(TK)「あるとは何か」(Y)さらには、「何が存在するか」(TK)「あるということはどういうことか」(Y)という問いである。】
    のところ、
    わたしだと、Yのはそれぞれ、〈存在するとは何か〉〈存在するということはどういうことか〉ともなる。

    メルポンのフィロソフィアの”問いかけ”はこういうのになった、ってわたしには見えてる。

    つづくよ



引用返信/返信 削除キー/
■25557 / inTopicNo.39)  Re[55]: : 哲学ってなあに?
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/08/12(Fri) 14:40:11)
    ■25556 、ちょっとごめん

    滝浦静雄/木田元 共訳のなかに、
    【措定(物事を、その定義とともに呈示すること。=定立:最初に判断や主張を提出すること)】って書いちゃったけど、カッコ内のはわたしが調べたもので、この部分は書いてないです。
引用返信/返信 削除キー/
■25556 / inTopicNo.40)  Re[54]: 哲学ってなあに?
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/08/12(Fri) 14:25:42)
    たまたまメルポンの『見えるものと見えないもの』の中の「問いかけと直観」「絡み合い」のところ、滝沢静雄、木田元共訳と山中元訳のがあって、タイピング終わった。
    この二つの訳を見くらべて考えて見たのをすこしづつおひろめしてく。

    No25391のつづき 
    メルポンのフィロソフィアで、「哲学的な問いかけ」について記述していること、
    「問いかけと直観」の結論みたいな、最後の一節を写して見ます。

    滝浦静雄/木田元 共訳 
    **********
    以上のようにすれば、ついには、哲学的問いかけとは何であるか、がわかるであろう。それは、〈存在〉を暗にほのめかす「…‥であろうか」(an sit)や懐疑でもなければ、そこにすでに観念の絶対的確実性が貫いているような「私は何も知らないことを知っている」でもなく、本当の意味での「私は何を知っているのか」(que sais-je?)、必ずしもモンテーニュが言ったのと同じではないような「私は何を知っているのか」なのである。本当の意味でのというも、「私は何を知っているのか」は、知るという観念をまったく吟味にかけずに、ただわれわれの知っている物の解明を求めることでもありうるからである。その場合には、その問いは、「私はどこにいるのか」という問いもそうでありうるように、認識上の問いの一つなのであって、そこでのためらいはただ、それ自身で自明なものと解された存在者、例えば空間や知にどんな呼称がふさわしいかという点にあるにすぎない。だが、私が或る文の中で「私は何を知っているのか」*と言うとき、そこに生れるのは違った種類の問いである。というのも、その問いは、知そのものの観念にあふれ出し、私には欠落してるさまざまの事実や事例や観念がそこに見いだされるはずの或る英知的な場所を呼び出し、そしてこうほのめかすからである、――疑問文とは、直説法や肯定文の転倒ないし逆転から派生した叙法でもなければ、覆われたあるいは期待されている肯定ないし否定でもなく、何ものかを思念する独自の仕方であり、どんな言表や「答え」も原理的にそれを乗り越えることのできないいわば知としての問い(question-savoir)であって、したがっておそらくはわれわれの〈存在〉との関係に固有な叙法であり、まるで〈存在〉がわれわれのさまざまな問いの無言のあるいは寡黙な相手でもあるかのようなのだ、と。「私は何を知っているのか」というのは、単に「知るとは何か」ではないし、単に「私は誰か」というのでもなく、結局は「何があるのか」、さらには「あるとは何か」ということである。こうした問いは、その問いに終止符を打つような何か特定の物の提示を求めているのではなく、措定(物事を、その定義とともに呈示すること。=定立:最初に判断や主張を提出すること)されたものではないような〈存在〉の露呈を求めてるのだ。〈存在〉が措定されたものでないというのは、それは措定される必要がなく、われわれのあらゆる肯定や否定の背後に、さらには言葉に表されれたあらゆる問いの背後に沈黙したままあるからであり、それもそれらの問いを〈存在〉の沈黙のうちに忘れ去る必要があるためでも、その沈黙をわれわれのおしゃべりの中に閉じ込める必要があるためでもなく、哲学が、沈黙と言葉(パロール)との相互転換だからである。「それ自身の意味の純粋な表現にもたらされる必要があるのは、まだ無言な[…‥]経験である」(1)。

    原注(1)[Husserl, Méditations cartisiennes, trad. Fr., Vrin, Paris, 1947,p.33](Cariesianische Meditationen: Husserliana Bd.I.1963の版では、S.77.『デカルト的省察』、船橋弘訳、中央公論『世界の名著』第51巻、221頁。)

    訳注*「私は何を知っているのか」−―フランス語のque sais-je?という文は、単に「私は何を知っているのか」という疑問文であるだけでなく、間投句として、例えばDes robes, des chapeaux, des gants, que sais-je!(服や、帽子や手袋や、何かかや!)といったふうにも使われるので、こういう言い方がされるのだと思われる。なおAlphonso Lingisの英訳(The visible and the invisible, Northwestern Univ. Pres,1968,n.9)も、そのように解している。
    *********

    中山元 訳
    *********
    このようにして、哲学の問い掛けとは何かという問題が明らかになってきた。この問い掛けは、「存在すること」が暗黙のうちに前提とされている〈…があるのかどうか〉(an sit)という問いや懐疑ではない。また、理念の絶対的な確実性がすでに入り込んでいる「わたしは何も知らないことを知っている」ということでもない。哲学の問いかけとは、真の意味での「私は何を知っているか」という問いであるが、これはモンテーニュの問いとはいくらか異なる。「私は何を知っているか」という問いが、知の理念を吟味するのもではなく、たんにわたしたちが知っている物事を解明することを求める場合もあるからだ。このような場合にはこの問いは、知識についての問い、たとえば「わたしはどこにいるか」のように、空間や知などの実体をそれ自体では自明なものとみなし、それをどう呼ぶかについての戸惑いを示すものにすぎない。しかしわたしがある文を語る途中で、「わたしは何を知っているのか」と問うと、そこには別の種類の問いが生まれる。この問いは知そのものの理念をはみ出す問いであり、わたしに欠けている事実、実例、観念が存在するはずの叡智的な場所を呼び出すからである。この問いが暗に示唆するのは、疑問文とはたんに直接法の文や肯定の文の語順を置き換えたり、転倒させてえられる派生的な文ではなく、隠され、あるいは予期された肯定や否定でもなく、あるもの、いわば〈問い・知〉とでもいうものを目指す原初的な方法だとうことである。この〈問い・知〉とは、いかなる発語や「解答」によっても原理的に乗り越えられないものであり、「存在」に対するわたしたちの固有の関係である――あたかも「存在」とは、わたしたちの問いに対して、無言で、敢えて沈黙をもって迎える対話の相手であるかのように。「私は何を知っているか」という問いは、「知とは何か」とか「わたしはだれか」という問いではなく、最終的には「何が存在するか」という問い、「あるというのはどういうことか」という問いである。これらの問いは、何か語られたものを指し示すことによって終わるものではなく、措定されていない「存在」をあらわにすることである。「存在」とは措定されたものである必要がなく、わたしたちのすべての肯定、否定の背後で、提示されたすべての疑問の背後で黙しているものだからである。わたしたちの課題は、その沈黙のうちにこれを忘却することや、わたしたちの饒舌のうちにこれを閉じ込めることではない。哲学とは、沈黙と言葉を互いに交換することだから。「この…まだ沈黙している経験を、その固有の意味において、純粋な表現にもたらすことが重要だ」。〔8〕

    原注〔8〕フッサール『デカルト的省察』フランス語、ヴラン、パリ、1947年
    **********

    長くなっちゃので、ここの、わたしの見えは後にします。


引用返信/返信 削除キー/
■25536 / inTopicNo.41)  Re[53]: 阿部さんの国葬
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/08/11(Thu) 19:44:27)
    ある人間は、
    「多くの国民の皆さんに納得していただきたい」
    って言うのをよく聞くど、
    そう言ってる人、「国民」の一人じゃないのかしら?

引用返信/返信 削除キー/
■25535 / inTopicNo.42)  Re[52]: 阿部さんの国葬
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/08/11(Thu) 19:32:42)
    <政府は、○○を決定しました。>

    「政府」ってなあに?

引用返信/返信 削除キー/
■25534 / inTopicNo.43)  阿部さんの国葬
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/08/11(Thu) 19:15:34)
    ネットニュース見てたら、

    「安倍元首相の「国葬」 9月27日に実施決定 東京 日本武道館で」っていう題で、
    *****
    政府は、参議院選挙の応援演説中に銃で撃たれて亡くなった安倍元総理大臣の「国葬」を9月27日に東京の日本武道館で行うことを決定しました。
    参議院選挙の応援演説中に銃で撃たれて亡くなった安倍元総理大臣の葬儀について、政府は、歴代最長の期間、総理大臣の重責を担い、内政・外交で大きな実績を残したなどとして、22日の閣議で、9月27日に東京 千代田区の日本武道館で行うことを決めました。
    岸田総理大臣が葬儀委員長を務め、経費は全額国費から支出するとしています。
    これにあわせて政府は、「国葬」の内容について具体的な検討を進めるため、内閣府に森昌文総理大臣補佐官をトップとする事務局を設置しました。
    戦後、総理大臣経験者の「国葬」は、昭和42年に亡くなった吉田茂 元総理大臣以来、2人目となります。
    岸田総理大臣は長野県軽井沢町で講演し「民主主義の根幹である選挙の最中に卑劣な暴力により命が奪われたことを重く受け止めなければならない。さまざまな意見があることも十分承知をしているが、引き続き丁寧に説明し、できるだけ多くの国民の皆さんに納得していただきたい」と述べました。
    *****
    っていうのありました。

    >安倍さんのことはほとんどわかりませんが、どうも国外では非常に人気のあった方なのではないでしょうか。国葬は対外的な目的で行われるような気がいたします。日本の方はどうも対外的な面子を非常に気にするように思われます。<
    っていう何人かわかんない人?もいるけど。
引用返信/返信 削除キー/
■25486 / inTopicNo.44)  Re[50]: 哲学ってなあに?
□投稿者/ パニチェ -(2022/08/10(Wed) 20:16:28)
    2022/08/10(Wed) 20:24:57 編集(投稿者)

    No25484に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■25454 、パニさん、

    > このごろメルポンのフィロソフィアのをタイピングしながら考えてて、

    > <パニさん、こういう意味で、あなたもかつて乳幼児だったことは否定できないんじゃない?>
    > は、たしかに飛んじゃいました、すみませんでした。

    全然、大丈夫です。^^

    > 「フィロソフィア=知ることを欲する」の流れから、乳幼児もそう、って言いたかったのかも。むしろ大人よりフィロソフィアすることは旺盛なんじゃないかって。

    なるほど。
    好奇心と行動力と謙虚さ(無垢)は子供の3K(向上心と成長の3Kと勝手に呼んでました)、特権みたいなもんやけど、幾つになっても持ち続けたいですね。
引用返信/返信 削除キー/
■25484 / inTopicNo.45)  Re[49]: 哲学ってなあに?
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/08/10(Wed) 19:12:14)
    ■25454 、パニさん、

    このごろメルポンのフィロソフィアのをタイピングしながら考えてて、

    <パニさん、こういう意味で、あなたもかつて乳幼児だったことは否定できないんじゃない?>
    は、たしかに飛んじゃいました、すみませんでした。

    「フィロソフィア=知ることを欲する」の流れから、乳幼児もそう、って言いたかったのかも。むしろ大人よりフィロソフィアすることは旺盛なんじゃないかって。

引用返信/返信 削除キー/
■25454 / inTopicNo.46)  Re[48]: 哲学ってなあに?
□投稿者/ パニチェ -(2022/08/09(Tue) 20:02:38)
    No25439に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■25435 、
    > >ちなみに悪魔ちゃんにとっての哲学とか哲学者の定義ってどんな感じなん?<
    > 「哲学」は「フィロソフィア」で定義っていうか、わたしの意味としては、
    > 〈知ることを欲する〉っていうことね。
    > 「哲学者」は、〈知ることを欲する人間〉っていうことになるなかな。

    なるほど。

    > パニさん、こういう意味で、あなたもかつて乳幼児だったことは否定できないんじゃない?

    ごめん、この質問の文脈というか意図が分からない。
    こういう意味ってのは「知ることを欲する」ってことかな。
    そうなると上の質問は『「知ることを欲する」という意味で、パニチェもかつて乳幼児だったことは否定できないんじゃない?』ってことになるんだけど。。。
    わしどこかで乳幼児であったことを否定してたっけ?

    ちなみに以下は蛇足
    日常的にはかつて自分が乳幼児であった(であろう)ことは認めてるよ。
    ただ記憶もないし、直接的に確認もしようがないから認識論(哲学)的には「原理的に知り得ないことは知り得ない」ってことになるかな。
    自分の死も同じ。魂みたいなものがないとすれば私は私の死を原理的に知り様がない。

    私が直接知ってるは他人の死や他者としての乳幼児ってことになる。

引用返信/返信 削除キー/
■25452 / inTopicNo.47)  Re[50]: 直観
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/08/09(Tue) 19:07:44)
    わたしいまは、
    No25391のように「問いかけと直観」なんだけど、

    「直観」をどうしとかっかな〜って、
    いろいろ調べてるんだけど、
    ちょっとコトバンクからのを一部載せときます。

    ********
    (1)最新 心理学事典「直観」の解説
    〔直観とは,分析,比較対照や検証などなんらかの思考操作を経て間接的に対象の特質や関連性を認知・理解することではなく,直接的に知覚過程と一体となり,瞬間的に対象の特質や関連性,問題の意味や重要性を認知・理解する認識の一形式,およびその能力を指す。認識能力のうち直観がどう位置付けられるかは,古来,哲学者の間で議論されてきた。プラトンやデカルトは直観を高次の認識能力とみなしたが,反対にカントは低次の認識能力とみなしている。心理学でも,この面では十分な研究が行なわれていない。しかし,幼児期の認識の仕方は対象の知覚的特徴にとらわれて一般化,自動化,圧縮した瞬時の判断を行なうが,この段階の思考を直観的思考段階と位置付けて,分析的な思考操作を経る概念的・論理的思考に対比するものとみなしている。・・・・・〕

    (2)精選版 日本国語大辞典「直観」の解説
    〔〘名〙 (Anschauung intuition の訳語) 言語や記号による論理的思考によらないで成立する直接の了解。また、了解した内容。哲学では、外界の対象の本質を直接認識する経験的な作用、カントやフッサールの経験によらずに、存在するものの本質、真理、特殊な思考対象を直接に認識する理性的作用、ベルグソンの対象を外側からでなく、内側からいっきょに共感によって認識する作用の三つに大別される。独仏哲学に関係した訳語ではおもに「直観」を用い、英米哲学関係では「直覚」を用いる傾向がある。〕

    (3)ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「直観」の解説
    〔直覚とも訳される。元来みることを意味する。推論的思考によらない直接的な知識獲得。日常使われる直観は勘と同様の意味の予感であり,憶測か無意識的な推論であって本来的な直観とはいえない。哲学では一般に直観とされるものに公理および推論の規則の認識がある (ともに性格上推論によっては得られない) 。倫理学では道徳的価値の認識は直観によるという説がある (J.バトラーら) 。直観は人間の認識能力に直接与えられた論理的検証の不可能な1次的かつ自立的認識である。カントは感覚的場面で直観をとらえて論理的認識と対立させ,ベルグソンは直観を対象と一体化する具体的認識と考えて,抽象的知性と対立させた。〕
    *************

    ってあった。

    (2)の〔フッサールの経験によらずに〕っていうとこはわたしどうかと思うけどね。

    pipitさまのおかげて、「直観」は〈感性〉の領域に属するもの、っていうので決定しました。

    二種類の「直観」がある、っていうことで、区別するための言表として「直覚」って言うのいいかもって。
    「感覚」「知覚」「直覚」、ほら「覚」で統一されてるし。

引用返信/返信 削除キー/
■25451 / inTopicNo.48)  Re[49]: 直観
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/08/09(Tue) 18:45:51)
    ■25441、pipitさま、ありがとございます。

    >人間の直観は、〈感性〉の領域に現れてるもの、とカントは(も?)考えてるみたい<
    で、わたしのもやもや、すこしなくなった感じ。

    >カントの場合は、感性的直観と知的直観って区別してて、<
    っていうところ、わたしもそんなの見てる。
    ”直観には二つある”っていうとこね。

    でも、ちょっと気になったのが、
    >人間の直観は、感性的直観、ってしてるみたい。<
    っていうところ。





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