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■20700 / inTopicNo.97)  カントの無の表について
  
□投稿者/ pipit -(2022/02/06(Sun) 15:13:00)
    No20674
    御子柴善之先生の解説はやっぱりすごくわかりやすいね!(詳細、丁寧だからかな)

    『シリーズ 世界の思想 カント 純粋理性批判』
    御子柴善之先生、角川選書p324-359
    の解説が、無の表を理解する上でわかりやすいんじゃないかなと思いました。

    ただ、いろんな解釈はありうるんでしょうけどね。
引用返信/返信 削除キー/
■20699 / inTopicNo.98)  超越論的感性論 第四項:X−3
□投稿者/ うましか -(2022/02/06(Sun) 12:36:40)
    2022/02/06(Sun) 22:02:09 編集(投稿者)
    2022/02/06(Sun) 12:37:41 編集(投稿者)

    pipitさん、こんにちはー

    「純粋理性批判を読んでみる。33」、おじゃましますー(゚Д゚;)


    *******

    ◆ 3 このア・プリオリな必然性に、時間の諸関係についての確然的な諸原則の、或いは時間一般についての諸公理の可能性もまた根拠付けられている。時間は一次元だけを持っている。様々の諸時間は同時的にではなく、継起的に存在する(様々の諸空間が継起的にではなく、同時的に存在するのと同様である)。これらの諸原則は経験からは引きだされ得ない。なぜなら経験は、厳密な普遍性をも、確然的な確実性をも与えるはずがないからである。私たちは普通の知覚がそのように教えると言い得るだけであって、そのようになっていなければならないと言うことはできないであろう。これらの諸原則は、総じて経験がそのもとでのみ可能であるという規則とみなされ、だから私たちに経験に先立って教えるのであって、経験を通じて教えるのではない。

    --- No.20578 からの続き ---

    ◇ 4 時間は、いかなる論弁的〔diskursiver〕概念、ないしは、よく名づけられているように、一般的概念〔allgemeiner Begriff〕でもなく、感性的直観の一つの純粋な形式である。様々の諸時間は同一の時間の諸部分に過ぎない。しかし、たった一つの対象を通じてのみ与えられ得る表象は、直観である。

    ◇また、「様々の諸時間は同時的に存在し得ない〔verschiedene Zeiten nicht zugleich sein koennen,〕」という命題も、或る一般的概念からは導き出され得ないであろう。この命題は綜合的〔synthetisch〕であり、だから概念からだけでは生じ得ない。それゆえ、この命題は時間の直観や表象の内に直接含まれている。



    † 原佑訳上巻、p.161参照
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    X−1 No.20568、X−2 No.20578、X−3 No.20699
    W−10 No.20434
    W−7 No.19817、W−8 No.20105、W−9 No.20168
    W−4 No.19542、W−5 No.19668、W−6 No.19682
    W−1 No.18802、W−2 No.19157、W−3 No.19216
    V−7 No.18378、V−8 No.18764
    V−4 No.17945、V−5 No.18058、V−6 No.18323
    V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841
    U−1 No.16741、U−2 No.16783
    T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495

    *******

    第一項 No.16440,16454,16495,16741,16783
    第二項 No.17515,17588,17841,17945,18058,18323,18378,18764
    第三項 No.18802,19157,19216,19542,19668,19682,19817,20105,20168,20434
    第四項 No.20568,20578,20699

引用返信/返信 削除キー/
■20697 / inTopicNo.99)  石川求さん『カントと無限判断の世界』
□投稿者/ pipit -(2022/02/06(Sun) 09:22:49)
    No20696

    >〈書 評〉
    石川求著
    『カントと無限判断の世界』 (法政大学出版局、2018年)
    佐藤 慶太さんの書評です。
    h
    ttp://japanische-kant-gesellschaft.org/data/kant21/13_shohyo_sato.pdf<

    佐藤慶太さんによる書評の冒頭を引用します。
    『「原書の一文一文にこだわって読め、そこから見えてくるものがある」― 哲学史研究に携わ る者ならば、これに類する格言を一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。そこにこの分 野の存在意義もかかっているといえるのだが、哲学の古典を前にして迷わずにその言葉に従うこ とは必ずしも容易ではない。膨大な先行研究の蓄積、迅速な成果発表への要求、無益な議論に嵌 る恐れ......阻害要因はいろいろとある。だが、冒頭の挙げた言葉が可能であることをはっきりと 示してくれる著作がまれにあり、そういった著作に出会うと勇気づけられる思いがする。『カン トと無限判断の世界』はそういう書物である。カントが「無限判断」について残した「一頁半にも満 たないたった一つの段落」にこだわりぬき、これまで見過ごされてきた哲学史の筋とカント哲学 全体を支える着想を浮かび上がらせる。文字通り、一文へのこだわりからカント解釈の新局面を 開いた著作であり、哲学史研究者の面目躍如たる仕事である。
    本書は、第三十一回和辻哲郎文化賞(学術部門)を受賞しており、「読み進むうちに興奮すら覚 える、近年まれな哲学的達成(」選評より)であることはすでに裏づけられている 1 。そこで以下で は、本書のカント解釈に焦点を絞って、紹介、批評を行いたい。』
    引用終了

    別の方の要約紹介も探したらありました。
    『石川 求著『カントと無限判断の世界』 要約紹介とコメント若干』
    野 本 和 幸 さん

    https://tokyo-metro-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=8422&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1

    多分、実践的な事柄まで射程は伸びていきそうですね

引用返信/返信 削除キー/
■20696 / inTopicNo.100)  Re[1]: 純粋理性批判を読んでみる。33
□投稿者/ pipit -(2022/02/06(Sun) 08:27:27)
    パニチェさん、おはようございます(^ ^)
    33の設置ありがとうございます!
    よろしくお願いします。

    ※※※※※※※※


    No20674
    の、無に関するJ. M. D. Meiklejohnさんの英訳は部分は、

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap63

    上記ページを1ページ戻るとすぐに出てくる箇所です。
    純理B349あたりです。

    ens rationis
    って、なに?って検索して、

    出た!石川 求 さんというワード、、、と、無限判断、、、

    石川 求 さんの考え方は、気になってるけどまだ読んだことなくて。。。

    〈書 評〉
    石川求著
    『カントと無限判断の世界』 (法政大学出版局、2018年)
    佐藤 慶太さんの書評です。

    h
    ttp://japanische-kant-gesellschaft.org/data/kant21/13_shohyo_sato.pdf

    で、結局、ensってなに?って、再検索してたら、やっぱり頼りになるコトバンクさん

    存在の項目に
    >「ある」といわれるものすべてを総括する、もっとも一般的な類としての「存在者」on(ギリシア語)、ens(ラテン語)、das Seiende(ドイツ語)を意味する。<
    と出てきて、
    なるほどー、ensってそういう意味を含むのねー、と。

    哲学者によって言葉の意味を見た方がいい単語かもしれませんね。(わからんけど)
    ゆっくりでもカントの文章の読解、進めたらいいな!

    ensが出てきた
    コトバンクさんのページ↓

    https://kotobank.jp/word/%E5%AD%98%E5%9C%A8-90596

    『存在&#8232;そんざい&#8232;being 英語&#8232;&#234;tre フランス語&#8232;Sein ドイツ語
    (1)「ある」といわれるものすべてを総括する、もっとも一般的な類としての「存在者」on(ギリシア語)、ens(ラテン語)、das Seiende(ドイツ語)を意味する。存在者は、実在者だけではなく、非実在者をも含む。非実在者、たとえば天馬も、それが「天馬であるもの」として思考される限りにおいては、「一種のあるもの(仮想物)」だからである。また、「あらぬもの(非存在者)」も、ある意味では存在者の一種である。なぜなら、「あらぬもの」も、「あらぬもの」である限りにおいて思考され、また(そういうものとして)あるからである。この意味において、存在者はいっさいのものを総括する類である。アリストテレスは、すべてのものに関する一つの知恵としての哲学を「存在者である限りにおける存在者についての原理、原因の知識」と規定した。(2)より厳密な意味では、存在は存在者における「存在の働き」einai(ギリシア語)、esse(ラテン語)、das Sein(ドイツ語)を意味する。すべて存在するものは「或(あ)る何か」であり、「或る何か」である限りにおいて、われわれに知られる。存在者におけるこの「或る何か」は、それぞれの存在者に固有なものであり、存在者の属する類と種に従って特殊化される。この「何か」の特殊性によって、存在者はそれとは異なる他の存在者から区別される(人間にとっては人間、鉄にとっては鉄が、この「何か」である)。「何か」は、そのものの「何であるか」を規定するもの、そのものの「存在本質」&#363;si&#257;(ギリシア語)、essentia(ラテン語)、das Wesen(ドイツ語)である。
     これに反して、すべての存在者に述語される「ある」という述語は、すべての存在者に等しく述語される共通なものである。すべての存在本質がある一定の類のうちに限定されるのに対して、「ある」という述語は類という限定を越える。したがって、これは厳密な意味では類ではなく、類を越えるもの、「超越者」である。すべての存在者に共通な、この「ある」ということばの意味する「存在の働き」が「存在」である。すべての存在者は、特殊な存在本質と共通な存在の働きから成り立つ。存在者に向かうわれわれの認識は、それぞれの存在者について、その「何であるか」を問うとき、まず特殊な存在本質に向けられる。そして、その限りにおいて、われわれの知識は特殊化され、特殊科学の知識が生ずる。存在者が存在者である限りにおいてもつ、共通な「存在」は覆われ、「存在」への問いは忘れられる。特殊な存在者への問いにおいては忘れられている、この存在の共通の根としての存在そのものへの問いとして、哲学の問いが生ずるのである。
    [加藤信朗]
    [参照項目] | 存在論』
引用返信/返信 削除キー/
■20622 / inTopicNo.101)  純粋理性批判を読んでみる。33
□投稿者/ パニチェ -(2022/02/01(Tue) 08:01:29)
    トピ主:pipitさん

    よろしくお願いします。
引用返信/返信 削除キー/

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