| No20237の訳注と原注を書き写しておきま〜す。
(訳注81) 〔ここに出てくる「もつ」は、本章の冒頭に見えるvoirとêtreの区別(原注第一部170参照)――マルセルとの逆の使用法−―を前提としている。それゆえ独訳がich einen Etweb mein Eigen nenneと意訳したのは、それなりにうなづける。〕
ここの〔本章の冒頭〕と〔原注第一部170〕については後で。これからのわたしの物語りのなかに出てくると思うから。
原注(209) 〔A Elisabeth, 1643, AT T. V, p.690.〕
原注(210) 〔「最後に、神やわれわれの精神に関する認識をわれわれに与えるのも形而上学の諸原理なのですから、一生のうちで一度はこれらの原理を十分理解しておくことが必要だと私は信じますが、また私はこれらの原理を思案するために人間の悟性をあまりにしばしばわずらわせることは非常に有害だろうと思うのであります。というのは、そんなことをしていたら、想像や感覚の諸機能にそれほどたずさわることができなくなるからです。最もよいことは、ひとたび引き出された結論を自分の記憶と信仰のなかに保存し、ついで研究のために残された残余の時間を、悟性が想像力や感覚といっしょに働くような思想に使うことだと、私は思います。」Ibid.〕
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