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■19160 / inTopicNo.1)  What do you Want to do? 7
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/20(Sat) 19:30:01)
    トピ主:悪魔ちゃん

    よろしくお願いします。
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■19230 / inTopicNo.2)  Re[1]: What do you Want to do? 7
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/22(Mon) 19:28:41)
    ■19160、パニさん、ありがとございます。

    まだわたしの物語りつづきそう。

引用返信/返信 削除キー/
■19240 / inTopicNo.3)  Re[2]: What do you Want to do? 7
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/23(Tue) 09:58:42)
    2021/11/23(Tue) 10:57:02 編集(投稿者)

    No19230に返信(悪魔ちゃんさんの記事)

    > ■19160、パニさん、ありがとございます。
    > まだわたしの物語りつづきそう。

    どういたしまして。楽しみにしています。
    以下、 横レス御免!

    No19218
    > 5・632 〈私〉は世界に属さない。それは世界の限界である。
    > 5・633世界の中のどこに形而上学的な〈私〉が認められうるのか。

    > ってなったんだけど、なんなかますます怪しくなってきてる。
    > やっぱ、「主体」は〈神〉かな〜。

    No19220
    > また、「神」という語が使われてるところとして、
    > 6・432世界がいかにあるかは、より高い次元からすれば完全にどうでもよいことでしかない。神は世界のうちには姿を現わしはしない。
    > ここでははっきりと「神」っていう語を使ってる。
    > ってすると、ウィトちゃんが表言してるあの「主体」っていうの、なに?
    > 「主体」は「主体」だよかな?ま、それはそれでいいんだけど。〈私〉〈私の身体〉〈神〉ではないことは確かね。

    以下で「形而上学的主体」は「哲学的自我」と述べていますね。

    5.641
    『従って、哲学で非心理学的に自我を論じうることの意義が、現実に存在するのである。
    「世界は私の世界である」ということを通して、自我は哲学の中へ入ってくる。
    哲学的自我は人間ではない。人間の肉体でも、心理学が関わる人間の魂でもない。それは形而上学的主体であり、世界の部分ではなくて、限界である』

    > わたし思ったんだけど、
    > ウィトちゃんの根本的立ち位置は、6・53なんじゃないかって。

    そしてウィトゲンシュタインは哲学からしばらく離れた。
    で、再び哲学者として(彼自身による出版ではないが)『青色本』、『茶色本』を経て『哲学探究』から『確実性の問題』へと移行した。
    前期(論考)よりも後期(哲学探究〜確実性の問題)がウィトゲンシュタイン哲学の帰結(まだ途上だったようには思いますが)だと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■19276 / inTopicNo.4)  Re[3]: 『論考』の
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/23(Tue) 15:15:06)
    これからもしばらく『論考』の、になるかも?
    わたしのWhat do you want to do?はこれじゃなくてメルポンのなんだけどね。
    いまはなぜか『論考』のにハマってる。このごろ読み返していろいろ考えてるところ。時間かかりそう〜。

    わたしが読んでる『論理哲学論考』は、矢野茂樹訳の。

    5・641は、
    【それゆえ、哲学において、自我について心理学的にではなく論じうる意味が、たしかにある。
    自我は、「世界は私の世界である」ということを通じて、哲学に入りこむ。
    哲学的自我は人間ではなく、人間の身体でも、心理学が扱うような人間の心でもない。それは形而上学的全体、すなわち世界の――分部ではなく――限界なのである。】
    って訳されてる(これについても後でまた考えて見ようと思ってるよ)。
    訳し方によって微妙に雰囲気が違ってくる感じ。

    あと、『論考』読んでてふと思ったんだけどね、
    『論理哲学論考』じゃなくて「論理形而上学論考」って訳した方がいいんじゃないかしら、って。

引用返信/返信 削除キー/
■19277 / inTopicNo.5)  Re[4]: 『論考』の
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/23(Tue) 15:50:36)
    No19276に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > これからもしばらく『論考』の、になるかも?
    > わたしのWhat do you want to do?はこれじゃなくてメルポンのなんだけどね。
    > いまはなぜか『論考』のにハマってる。このごろ読み返していろいろ考えてるところ。時間かかりそう〜。

    いいねぇ〜。ちなみに探究もおもろいよ。

    > わたしが読んでる『論理哲学論考』は、矢野茂樹訳の。

    悪魔ちゃんも好奇心旺盛やね、いろいろ読んでるなぁ〜。

    > 5・641は、
    > 【それゆえ、哲学において、自我について心理学的にではなく論じうる意味が、たしかにある。
    > 自我は、「世界は私の世界である」ということを通じて、哲学に入りこむ。
    > 哲学的自我は人間ではなく、人間の身体でも、心理学が扱うような人間の心でもない。それは形而上学的全体、すなわち世界の――分部ではなく――限界なのである。】
    > って訳されてる(これについても後でまた考えて見ようと思ってるよ)。
    > 訳し方によって微妙に雰囲気が違ってくる感じ。

    > あと、『論考』読んでてふと思ったんだけどね、
    > 『論理哲学論考』じゃなくて「論理形而上学論考」って訳した方がいいんじゃないかしら、って。


    なるほど。
    形而上学的なものは複数あって何れも世界に属さない。
    だから示すことはできても語りえないってことを論考全体で示してるんやと思うよ。わしがよく用いるカニッツァの三角形。
    語りえない中心の透明な三角形を限界を語ることによって浮き上がらせる試み。
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引用返信/返信 削除キー/
■19279 / inTopicNo.6)  Re[5]: わたしの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/23(Tue) 18:37:06)
    ■19277 、
    >ちなみに探究もおもろいよ。<
    ん〜ん何を探究するっていうのかよくわかんないけど、わたしのばあい、感-知覚されたものに問いかける、っていう志向ね。

    >好奇心旺盛やね、いろいろ読んでるなぁ〜。<
    そうよ、いろいろ読んで見てるよ〜。ほら、フィロソフィアって〈知ることを欲する〉でしょ。乳幼児はまさに〈好奇心旺盛〉じゃない?それと同じ。大人になると、その人の既存の知の上に積み重ねていく、みたいなのあるじゃん。そういうんじゃなくてわたし”原初的世界”を見ようとしてるのね。あ、こういうんでわたし現象学に興味があるのかな。

    そういうのに比べ『論考』のはそういうんじゃない。人のより高度な機能によってなされたことだと思う。原初的世界から高度な世界を見たらどうなるのかな、みたいなのがいまのわたしの物語りになってるのかもしれない。

    ちょっとわたしのwant to doを書いちゃったけど、ま、これはわたしことだから、どうでもいいんだけど。

    >カニッツァの三角形<
    ん〜ん、三角形、”見える”。
    これって〈感-知覚〉の世界で、よね。
    思考の世界じゃない。







引用返信/返信 削除キー/
■19447 / inTopicNo.7)  Re[6]: 語りえぬもの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/27(Sat) 17:13:07)
    このところ、『論考』の、はじめっからじっくり読み返してるところ。これは後で。

    ふたたび、7【語りえぬものにつては、沈黙せねばならない。】についてね、
    前に「語りえぬもの」について『論考』のなかで、ウィトちゃんはどのようなものを「語りえぬもの」としてるのか見て見たんだけど、ここではそれからちょっと離れて、

    「語りえぬもの」、これって、「語ることができないもの」とか「言葉で言い表すことができないもの」とも言えると思う。こういう見方で「語りえぬもの」として見るね。

    メルポンのに『見えるものと見えないもの』っていうのある。
    これってある意味、一種の「分け方」だと思う。あ、これは置いといて〜。

    「語りえぬもの」と「見えないもの」ってなんか同じようなことのようにわたしには見える。
    「言葉にして言い表す」っていうの「見えるようにさせる」ということなんだと思う。

    わたし7のなかには「語りえぬものが存在する」が前提にあるって見てる。
    「語ることができないもの」これを、ここでは“それ”って呼ぶことにする。

    語ることができないものは語ることはできない。
    こういうのを無意味っていうのかな?

    語ることができないものについては、沈黙しなくちゃならない。
    これも無意味?
    “それ”(語ることができないもの)については、黙っちゃうしかないじゃん、って言ってるだとしたら、もうそこから何も産まれないよね。

    もし、パニさんの言う〈私〉っていうのが“言葉で言い表すことができないもの”なんだとしたら、そしてウィットちゃんの7に従うなら、“それ”については語っちゃダメなんじゃない?ひとこと「〈私〉は神秘なのである」ですむような。もうそれ以上〈私〉について“考えることができないもの”として。

    『論考』のなかに「神秘」っていうの出てきてる。抜粋しとく。
    6・44【神秘とは、世界がいかにあるかではなく、世界があるというそのことである。】
    6・45【永遠の相のもとに(112)世界を捉えるとは、世界を全体として――限界づけられた全体として――捉えることにほかならない。限界づけられた全体として世界を感じること、ここに神秘がある。】
    訳注(112)〔スピノザ(Baruch de Spinoza, 1632-1677)の『エチカ』(Ethica, 1677)にある言葉。〕
    6・522【だがもちろん言い表しえぬものは存在する。それは示される。それは神秘である。】
    ほら、6・522に「だがもちろん言い表しえぬものは存在する」って言ってる。それと「それは示される」を〈それは啓示される〉って見ちゃったりして。
    「神秘」を〈神の秘密〉ってすると、やっぱ形而上学的論考なのかもね。


    でも、もしね、語ることができないものが存在すると思って(どうして“それ”が存在すると思われたのかも問題となるんだけどこのへんはすどおりしちゃう)、そして、もし、“それ”を見えるようにしたいと望むとき、問題はその方法ね。もっとも見えるようにしたい、って思わなければ7で終わりでもいいんだけど。

    で、ふと

    白い紙の上に白鉛筆で何かを描いても描かれたものは見えないんじゃないかしら?
    メルポンの「地の上の図」のわたしのから。

引用返信/返信 削除キー/
■19451 / inTopicNo.8)  Re[7]:   「論」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/27(Sat) 18:21:11)
    わたし「論」っていうのなんか肩こりそうで嫌いなのね〜。ん〜ん、あなたは議論ができる能力がない、っていってもらってもいいよ。「お喋り」でいいんじゃないの?って思ってるぐらいだから。

    でも『論考』読んでるとそうも言ってられないのね。で、ちょっとネットで調べて見た。

    わたしにわかりやすそうなところだけ書き写して見たよ。

    「論理」
    1)論理学の略。
    2)議論・思考・推理などを進めていく道筋。思考の法則・形式。論証の仕方。

    「論理学」
     論証、ならびに論証の組合せとしての理論の構造を研究する学問のこと。

    「道筋」
    1)事柄の順序。順をおった手続き。
    2)物事を行うときの正しい順序。
    3)物事がそうなっているわけ。

    「形式」
    1)物事を行うときの一定のやり方。
    2)構造。

    どうして「形式」っていうの調べて見たかっっていうと、
    『論考』のなかに、たとえば、2・025【実体は形式と内容とからなる。】(「実体」っていうのもよくわかんないだけどね)みたいに。他のところにもいっぱいこの語が出てきてる、それでね。たしかカントも「形式」っていう訳語が使われてたような?

    あと「論理学」となると、わたしには理解不能。
    な〜んかね、『論考』って、「論理学」から出発して「世界」「私」「私と世界との関係性」「形而上学」へと“むりやり”もって行こうとする雰囲気わたし感じるのね〜。ま、これはいいわ。

    で、とりあえず、わたしの「論理」の意味を、
    1)議論・思考・推理などを進めていくときの正しい順序。
    2)思考の仕方。
    もっと簡単に、〈思考の正しい順序〉って、っていうことにした。

引用返信/返信 削除キー/
■19452 / inTopicNo.9)  Re[7]: 語りえぬもの
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/27(Sat) 18:52:55)
    2021/11/27(Sat) 18:59:42 編集(投稿者)

    No19447に返信(悪魔ちゃんさんの記事)

    > もし、パニさんの言う〈私〉っていうのが“言葉で言い表すことができないもの”なんだとしたら、そしてウィットちゃんの7に従うなら、“それ”については語っちゃダメなんじゃない?ひとこと「〈私〉は神秘なのである」ですむような。もうそれ以上〈私〉について“考えることができないもの”として。

    三点思うところがあるので短文で書いてみる。

    ひとつ
    ウィトゲンシュタイン哲学は論考の帰結が全てではない。
    むしろ後期には写像理論を破棄していると思われる。

    ひとつ
    中論で用いられている帰謬法という表現方法がある。
    対象を直接語れない(証明できない)場合には「○○は○○ではない」を繰り返すことによって間接的に指し示すことができると思う。

    ひとつ
    「語りえないものは沈黙しなければならない」なら禅宗の公案などは全てこれに反していることになる。
引用返信/返信 削除キー/
■19453 / inTopicNo.10)  Re[8]: 語りえぬもの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/27(Sat) 20:18:22)
    ■19452、パニさん、
    ちょっと確認なんだけど、
    〈パニさんの言う〈私〉っていうの“言葉で言い表すことができないもの”〉
    で、いい?

    >ウィトゲンシュタイン哲学は論考の帰結が全てではない。むしろ後期には写像理論を破棄していると思われる。<
    『論考』読んでて、わたしウィットちゃん哲学に魅かれないからその後のはどうでもいいの。ひとまず『論考』のだけからのね。

    >中論で用いられている帰謬法という表現方法がある。対象を直接語れない(証明できない)場合には「○○は○○ではない」を繰り返すことによって対象を直接語れない。<
    の、
    >対象を直接語れない…対象を直接語れない<
    No19447でわたしが言ったような、
    ”それ”(語りえぬもの)を見えるようにさせたいと欲するときの方法として、直接”それ”を記述できないとしても、っていう方法についてのひとつとして、わたしもそう思う。たとえば、パニさんが提示したカニッツァの三角形もそうなのかもね。〈言葉で言い表すことができないもの〉、〈見ることができないもの〉これを「見えるようにする」方法の一つとして、周りを縁取る(すべてではないにしても)、っていう手もあるね。もっともあの三角形、メチャクチャ先入見入ってるけどね。

    あとね、
    >中論で用いられている帰謬法という表現方法がある<
    これちょっとわかんない。『論考』のなかの「中論」っていうと、1〜7の中の4あたり?「帰謬法という表現方法」が記されてるところ抜粋してもらえる?

引用返信/返信 削除キー/
■19454 / inTopicNo.11)  Re[9]: 語りえぬもの
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/27(Sat) 20:29:41)
    2021/11/27(Sat) 20:46:04 編集(投稿者)

    No19453に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■19452、パニさん、
    > ちょっと確認なんだけど、
    > 〈パニさんの言う〈私〉っていうの“言葉で言い表すことができないもの”〉
    > で、いい?

    いいよ。

    > >ウィトゲンシュタイン哲学は論考の帰結が全てではない。むしろ後期には写像理論を破棄していると思われる。<
    > 『論考』読んでて、わたしウィットちゃん哲学に魅かれないからその後のはどうでもいいの。ひとまず『論考』のだけからのね。

    了解。

    > >中論で用いられている帰謬法という表現方法がある。対象を直接語れない(証明できない)場合には「○○は○○ではない」を繰り返すことによって対象を直接語れない。<
    > の、
    > >対象を直接語れない…対象を直接語れない<

    これ意味が分らない。
    私がカキコしたのは「対象を直接語れない(証明できない)場合には「○○は○○ではない」を繰り返すことによって間接的に指し示すことができると思う。」だけど。
    > >対象を直接語れない…対象を直接語れない<って何?

    > No19447でわたしが言ったような、
    > ”それ”(語りえぬもの)を見えるようにさせたいと欲するときの方法として、直接”それ”を記述できないとしても、っていう方法についてのひとつとして、わたしもそう思う。たとえば、パニさんが提示したカニッツァの三角形もそうなのかもね。〈言葉で言い表すことができないもの〉、〈見ることができないもの〉これを「見えるようにする」方法の一つとして、周りを縁取る(すべてではないにしても)、っていう手もあるね。もっともあの三角形、メチャクチャ先入見入ってるけどね。

    ん? No19447の投稿の中に「”それ”(語りえぬもの)を見えるようにさせたいと欲するときの方法として、直接”それ”を記述できないとしても、っていう方法についてのひとつとして、わたしもそう思う。たとえば、パニさんが提示したカニッツァの三角形もそうなのかもね。〈言葉で言い表すことができないもの〉、〈見ることができないもの〉これを「見えるようにする」方法の一つとして、周りを縁取る(すべてではないにしても)、っていう手もあるね。もっともあの三角形、メチャクチャ先入見入ってるけどね。」ってカキコある?

    > あとね、
    > >中論で用いられている帰謬法という表現方法がある<
    > これちょっとわかんないの『論考』のなかの「中論」っていうと、1〜7の中の4あたり?「帰謬法という表現方法」が記されてるところ抜粋してもらえる?

    これ仏教の論書。
    八宗の祖師(日本に伝来した大乗仏教は全て龍樹の論書の影響下にあると言われてる)と呼ばれるナーガールジュナ(龍樹)の書いた書籍。
引用返信/返信 削除キー/
■19458 / inTopicNo.12)  Re[10]: 語りえぬもの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/27(Sat) 21:04:56)
    パニさん、
    ■19454、
    >ん? No19447の投稿の中に‥‥ってカキコある?< 中略。
    なにつけてんのよ〜。あるわけないじゃん。
    前にカキコないことを次に書くんじゃない?

    >これ仏教の論書<
    あ、そうだったのね。

引用返信/返信 削除キー/

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