□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/27(Sat) 20:18:22)
| ■19452、パニさん、 ちょっと確認なんだけど、 〈パニさんの言う〈私〉っていうの“言葉で言い表すことができないもの”〉 で、いい?
>ウィトゲンシュタイン哲学は論考の帰結が全てではない。むしろ後期には写像理論を破棄していると思われる。< 『論考』読んでて、わたしウィットちゃん哲学に魅かれないからその後のはどうでもいいの。ひとまず『論考』のだけからのね。
>中論で用いられている帰謬法という表現方法がある。対象を直接語れない(証明できない)場合には「○○は○○ではない」を繰り返すことによって対象を直接語れない。< の、 >対象を直接語れない…対象を直接語れない< No19447でわたしが言ったような、 ”それ”(語りえぬもの)を見えるようにさせたいと欲するときの方法として、直接”それ”を記述できないとしても、っていう方法についてのひとつとして、わたしもそう思う。たとえば、パニさんが提示したカニッツァの三角形もそうなのかもね。〈言葉で言い表すことができないもの〉、〈見ることができないもの〉これを「見えるようにする」方法の一つとして、周りを縁取る(すべてではないにしても)、っていう手もあるね。もっともあの三角形、メチャクチャ先入見入ってるけどね。
あとね、 >中論で用いられている帰謬法という表現方法がある< これちょっとわかんない。『論考』のなかの「中論」っていうと、1〜7の中の4あたり?「帰謬法という表現方法」が記されてるところ抜粋してもらえる?
|
|