| メモ的にここだけ書いてみます。
>> 世界内ではない、ということと(パニチェさんのおっしゃる)、例えばですが、「どこにあるここにあるとその存在の位置を言語化して示すことは不可能」というのは、まったく違いそうですか? >> ちなみに、「 」内は、気づきについてなのですが・・。
>いえ、違わないです。今のところは「どこにあるここにあるとその存在の位置を言語化して示すことは不可能」としか言いようがありません。
非二元(=アドヴァイタ)では、「全体から分離しての個は存在しえない」と考える。
パニチェさんの〈私〉の独在論的な視点。つまり、「個はある」という視点。
この違いがあるけれど、「存在の基盤としての意識」という意味で「意識」を置いているという点では共通しているのだと思います。
その「意識」は、個有のものか、それとも、ただ一つだけのものか、ということでもあると考えます。
|