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■17626 / inTopicNo.85)  Re[16]: :現存在(3)
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/10/16(Sat) 17:58:28)
    No17589に書いたように
    「存在者」っていうの、「事物的存在者」「道具的存在者」「現存在」って分けて見ているよう。
    「事物的存在者」っていうのどういうの?「柿」や「トンボ」はどこに入るの?ってなるんだけど、ま、いいか。
    ここでは「現存在」に絞って見ていくことにしま〜す。

    「存在者の存在」っていう表言がされてて、これ「存在者の意味」っていうこと見たい。
    たしか、フッサールは〔意味を通じて世界とかかわる〕みたいのこと言ってたように思う。

    ハイデガーが考えてるの、
    「存在者の存在」――存在機構、様式、様態、仕方について、ってわたし見てるんだけど、
    主は、「現存在の実存論的分析論」なのかな?
    なんか、わたしとしては「論」っていうのが出てくるとちょっとひいちゃうんだけど、ま、そこはこらえて。

    「現存在の存在」について、【現存在の存在の実存論的な意味は気遣いなのである】(第6章)って言ってる。

    『存在と時間』を読んでて、ふと、ニーチェの、
    【簡潔な言葉をもってではなく、むしろあんなに廻りくどく、勿体らしく、かつドイツ語的な深意と虚飾癖とをもってして】(『善悪の彼岸』11)っていうの思い出しちゃった。
    もうすこし簡素な言葉で語ってくれたらいいのにね〜、って。
    わたし、疲れる〜、っていう感じ〜

    あ、たしかカントもドイツ語だったんじゃな〜い? pipitさまもご苦労さま。
    ん!?そういえば、フッサールも? ニーチェも?ドイツ語だったっけ?
    うん、でもねメルポンは違うよね。

    ハイデガーの、もちょっと見てゆくことにする。

引用返信/返信 削除キー/
■17618 / inTopicNo.86)  Re[15]: :現存在(2)
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/10/16(Sat) 16:11:11)
    No17589で書いたような意味での、現象とか現象学に関心がない人にはどうでもいいおはなし。
    もっともハイデガーのが現象学であるのかどうかわたし知らない。
    ハイデガーの「現存在」つづけま〜す。

    【…現存在がそれへと〔5〕これこれしかじかの態度をとることができ、またつねになんらかの仕方で態度をとっている存在自身〔6〕を、われわれは実存と名づける。…】(第4節)
    訳注
    〔5〕著者の自家用の欄外注記によれば、「それへと」のあとに、「みずからに固有のものとしての〔それへと〕」という語句が、挿入されている。つまり、後年のハイデガーは、「存在」そのものと、現存在に固有に属する「存在〔実存〕」とをより明確に区別しようとしているわけである。
    〔6〕著者の自家用の欄外注記によれば、本文箇所の「存在自身[Das Sein selbst]」の定冠詞Dasを、中性の指示代名詞Dasjenigeに替えるよう、後年のハイデガーは指示している。つまり、「存在」一般と区別して、本文箇所で規定されている「実存」としての「あの」存在をいっそう明確に特定化して、論点を浮き彫りにしようと提案しているわけである。

    【…現存在は、おのれ自身を、つねにおのれの実存から、つまり、おのれ自身であるか、あるいはおのれ自身でないかという、おのれ自身の可能性から、了解している。この二の可能性のうちにへとおちいるか、それともそのつどすでにそのうちで成長してきたかのいずれかである。実存は、それをつかみとるという仕方において、ないしはそれを逸するという仕方において、そのつどときどきの現存在自身によってのみ決定される。実存の問題は、つねに、実存すること自身をつうじてのみ決着をつけられるべきなのである。そのさい指導的な現存在自身の了解内容をわれわれは実存的了解内容と名づける。実存の問題は現存在の一つの存在的な「関心事」なのである。この存在的な「関心事のためには、実存の存在論的構造が理論的に見通されている必要はない。この存在論的構造に対する問いは、実存を構成している〔7〕当のものを解釈し分けることをめざすのである。これらの諸構造の連関をわれわれは実存性と名づける。この実存性の分析論は、実存的了解という性格をもっているのではなく、実存論的了解という性格をもっている。現存在の実存論的分析論という課題は、この課題の可能性と必然性に関して、現存在の存在的機構のなかでその下図が描かれているのである。」(第4節)
    訳注
    〔7〕著者の自家用の欄外注記によれば、本書における自分のねらいは、本文箇所にあるように、実存を「構成している」ような存在論的構造を際立たせることにあるのだから、その試みは、「したがって、何らの実存哲学ではない」と記されている。ハイデガーのめざすものは、個別の具体的な実存の振る舞い方の記述ではなく、実存一般を「構成している」「存在論的な諸構造の連関」、すなわち「実存性」の解明にあり、しかも、それは存在了解を含み、存在の意味(真理)と深くかかわっている。自分の思索は、実存哲学というよりは、むしろ当初から一貫して、存在の思索であったのだと、後年のハイデガーは主張しているわけである。

    「現存在」にかかわる、彼の言う「実存」「実存了解内容」「実存性」の意味が書かれてあるところを抜粋して見た。

    そして、ハイデガーは【実存が現存在を規定する】って言ってる。

    訳注〔7〕についてなんだけど、メルポンの、
    No11467
    【一般に考えられたように、現象学的還元は、観念論的哲学の定式であるどころか、実存哲学の定式なのである。】
    を想い出した。

    どうやら、「実存」といっても、「個別の具体的な実存の振る舞い方」のと「実存一般」のは区別されるみたい。
    ハイデガーの場合、後者の〔実存一般を「構成している」「存在論的な諸構造の連関」、すなわち「実存性」の解明〕みたい。これはメルポンの言う「実存哲学の“形式”」に相当する?

    で、わたし「実存哲学」と「実存哲学の形式」とは区別しておくことにする。前者は「個別的」で後者は「一般的」なものとして。
    たとえば、「イチロウの哲学」っていったら「実存哲学」なんかもしれないけど、やっぱこれって「実存哲学の形式」(一般的なもの)じゃない気がする。こんな感じに。

    まだまだつづくよ

引用返信/返信 削除キー/
■17617 / inTopicNo.87)  Re[14]:現存在(1)
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/10/16(Sat) 14:00:56)
    ハイデガーの用語「現存在」について、

    「現存在」って日訳されるドイツ語は、[Dasein]みたい。げも[Da-sein]ってハイフンが付いてるのや、[Zu-sein]みたいなのもあるみたい。ここらへんはなんかめんどくさそうだからあまり深入りしないことにする。
    で、簡単に、

    (1) [Dasein]→「現存在」   [Da]が「現」、[Sein]が「存在」

    ところどころ抜粋して見ていきます。

    【学一般は、真なる諸命題の根拠づけの連関の全体として規定されうる。この定義は、完璧でもなければ、学をその真意において言い当ててもいない。諸学は人間の諸態度としてこの存在者(人間)の存在様式を内蔵している。人間というこの存在者をわれわれは述語的に現存在と表現する。学的研究は、この存在者の唯一の可能的な存在様式でもなく、また最も身近な可能的な存在様式でもない。…】(第4節)
    ってあるから、

    (2)ハイデガーの言う「現存在」っていうのは「人間」のこと。

    「人間」でちょっと想い出した。
    フッサールの『デカルト的省察』の訳注にこんなことが書いてあった。

    訳注(30)
    〔Ich, dieser Mensch,bin.:デカルトも、「我あり、我存在する」と述べたあと、それではその「我とは誰か」と問い、これまでは「人間」と考えてきたが、しかし、その答えはいっそう困難な問題へと落ち込むことになるとして、「思う〔思惟する〕我」へと導いてゆく。フッサールにとっても、「人間」というのは「世界」を前提としており、ところがこの「世界」を括弧に入れたのだから、ここで使われた「人間としての我がある」という言い方が、本書第4省察以降では、「人間としての自我(das Mensch-Ich)」と略されて使われることになる。〕

    訳注(45) 
    〔フッサールは「人間」という語をこういう脈略で使う。つまり、それは構成の或る段階において現れる概念であり、まずは「我」においてではなく、「他者」において使われる概念である。したがって、超越論的には、派生的であって、根源に据えることができない概念である。〕
    ちなみに、訳注(45)の本文は、
    【…しかし他方で、このように他者――いまや客観的な世界の内部に私自身と同様に存在している者――を知覚することは、次のような志向的本質をもっている。それは、知覚するものとしての私は、私の原初的領分のただ準現前されただけの原初的領分との間に前述の区別を見出すことができ、したがって、このノエマ的な二重の層構造をその独特な性格において追求し、連合的な志向性の連関を解明することができるということ、これである。客観的自然という経験現象は、現象的に構成された自然の上に、他者経験から由来する、共現前するだけの第二の層をもつ。しかもこのことは、さしあたりまず、異なる〔他者の〕身体物体に関係する。これは言わば、それ自体で最初の客観なのである。ちょうど、異なる人間〔他者〕が構成するという観点から言えば、それ自体で最初の人間(45)であるのと同様に。…】

    哲学者ってたいへんね。
    〔それではその「我とは誰か」と問い、これまでは「人間」と考えてきたが、しかし、その答えはいっそう困難な問題へと落ち込むことになる〕だって〜。
    ん〜? でも、たしかに!
    そうすると次に「ではその人間とは何か」って問うことになって、「人間とは何であるのか」に入り込むことになるみたいだからね。

    【最初の人間】っていう表現、面白い。
    ん〜ん、たしかギリシア神話では神によって造られた人類最初の女性は「パンドラ」だった気がする。
    ――あ、だいぶ横道にそれちゃった。

    「現存在」、つづけます。

引用返信/返信 削除キー/
■17589 / inTopicNo.88)  Re[13]:
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/10/15(Fri) 20:03:44)
    このごろはハイデガーの『存在と時間』の読み返し。
    「世界内存在」と「現存在」を中心に、彼はこの語でもって何を言いあらわそうとしてるのか、ん〜ん、彼におけるこれらの語の意味をわたしなりに捉えるっていう作業、ん〜ん、ハイデガーのわたしに思われたものを簡単に書けるようにする、っていうことかな。
    ちょっと時間かかっちゃてる。

    No17303 のつづきね
    「世界内存在」は「現存在の一つの根本機構」ってしてるということみたい。
    で、このことについてのわたしに思われたのを簡単にしちゃったのが、
    〔存在者を、〈の内で〉存在している〕って見ること。こうなった。

    彼の言う「存在者」っていうの、「事物的存在者」「道具的存在者」「現存在」に分けてる見たい。
    次にとらえようしたのが「現存在」の彼の意味。
    で、それ調べて見てた。

    あ、その前に、
    ハイデガーのは、前に
    ハイデガーにおける、
    「現象」、「現象学」の概念を、
    No11201〜に、
    「ロゴス」の概念を、
    No11269〜に、
    書き写してみたけど、
    これをわたしなりに簡単にして、
    ハイデガーにおける「現象」「現象学」の意味は、
    「現象」:おのれを示す当のもの。
    「現象学」:おのれを示す当のものを、そのものがおのれをおのれ自身の方から示すとおりに、おのれ自身の方から見えるようにさせること。
    だった。

    「現存在」は長くなりそうなので、後で、

    つづく

引用返信/返信 削除キー/
■17393 / inTopicNo.89)  Re[12]: 直観
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/10/10(Sun) 09:36:38)
    No12752で、「直観」について、ちょっと触れたけど、あのときは二種類の直観があって、感性的直観、知性的直観ってして見てたんだけど、ふたたび、っていうことかな。

    「現象学事典」のを書き写して見ます。
    〔直観 [(独)Anschauung (英)intuition] 
    直観とは認識理論上の概念で、その対象をそれ自身記号やシンボルなど何物も媒介しないで直接に把握する認識を指す。すなわち対象がそれ自身あるがままに直接与えられる認識をいう。直観の代表としては普通の知覚のように、感性的認識がある。直観はまた意味賦与の作用と意味充実の作用の一致ともみなされる。フッサールはそのモデルを知覚に見いだし、その直観性を本原的所与性と呼んだ。直観においては、認識とその対象そのものが合致しなければならない。この合致を十全性というが知覚は十全ではない。古来十全であるがゆえに最も理想的な認識と見されてきた直観はしたがって、知覚を超えた、それとはまったく別の直観が優位な認識としてギリシャ哲学でも求められ、エレア派の存在の認識(存在と認識との同一)やプラトンのイデアの認識がこれである。このような直観はさらに理性の働きと考えられ、近世ではデカルトの方法的懐疑を通じて到達される自我の絶対確実な意識の自己把握が優れて個の直観であると考えられた。現象学は二重の意味において直観を重んじる学である。一方では現象そのものが認識対象であり、カント派などの構成主義のようにその背後に物自体などを考えることを拒否し、その現象の直接の把握が認識であるとする点で現象学は直観を重んじる。他方で、学的認識においては、その学問性を理論といった間接的なものではなく、対象を直接あるがままに捉える十全的直観性に求めるので、現象学はしばしば直観の学ともいわれる。現象学の学的認識としての直観は本質の直観であり、それはアポステリオリ(感性的直観)ではなく、アプリオリ(純粋直観)でなければならない。フッサールでは具体的個の経験的認識から、自由変更を通じて形相的還元という手続きののち本質直観が可能なる。その初期では、このような現象学の学間性を本質とその直観のアプリオリ性にまず見いだし、自然科学の精密性に対してこれを現象学すなわち哲学の厳密性として位置づけた。シェーラーでは、愛などの情意が理性と区別され、理性に対する独自の認識能力(アプリオリな直観)として見いだされ、情意作用の志向的対象の価値はアプリオリな本質である。アプリオリな直観により、知の優位に立つフッサールの現象学を超えて価値優位の愛とordo amoris(愛の秩序)の形而上学の道が開かれる。〕

    わたしのは、
    「順序を追ってわかって行く」ということと「一目で見て取る」ということとの対として、これまで順序を追わないとわからなかったことが、何度も追い直すことによって一目で見て取ることができるようになる、っていう、後者のようなものを「直観」ってして見てた。
    No11393にあるような
    【すでに物が見えている子供は、例えばハサミの使い方を初めて理解した後では、一目で直ちにハサミをハサミとして見るようになる】みたいなの。

    で、思ったんだけど、「直観」には2種類の直観があって、〈思考(理性)に属する直観〉と〈感性に属する直観〉があって、この両者を語で区別するために、前者を「直観」、後者を「直感」として区別することにして見た。

    これでわたしの「直観」の意味がだいたいできたかな。

引用返信/返信 削除キー/
■17303 / inTopicNo.90)  Re[11]: 世界内存在
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/10/07(Thu) 17:24:12)
    このところハイデガーの「世界内存在」を見てるところ。
    ハイデガーってあんまり好きじゃないのね、だって顔が怖いじゃん。ん〜ん、フッサールも顔怖いかな。その点メルポンは違う。
    で、
    No17078のハイデガーの『存在と時間』のつづき。
    わたしがタイピングしたところは第12節、第13節。タイピングした一部を書き写しとく。

    【内存在とは何を意味するのか。こうした内存在というこの表現を差しあたって「世界の内」での内存在と補って、こうした内存在を「何かの内で存在すること」と解しがちである。この述語でもって名ざされているのは、コップの「内」にある水、箪笥の「内」にある衣類のように、他の存在者の「内」にある存在者の存在様式なのである。水とコップ、衣類と箪笥は、空間の「内」で、なんらかの在りかたを「しめて」、両者とも同じ仕方で存在している。この存在関係は、たとえば、教室の内にある椅子、大学の内にある教室、都市の内にある大学等々といったふうに拡大されて、「世界空間の内」にある椅子にまでいたる。これらの諸存在者が相互に「内」にあるということはこのように規定されうるのだが、これらの諸存在は、世界の「内部」で出来する事物として、すべて事物的存在という同一の存在様式をもっている。特定の場所関係という意味において或る事物的存在者の「内」で事物的に存在することか、同一の存在様式をもった或るものといっしょに事物的に存在することとかは、われわれが範疇的と名づける存在論的性格なのであり、現存在とされるにふさわしくない存在様式をもった存在者に属するような存在論的性格なのである。
     これに対して内存在は、現存在の一つの存在機構をさしており、ひとつの実存範疇なのである。だが、そうだとすれば、内存在ということでもって考えられるのは、或る物体事物(人体)が事物的に存在している或る存在者の「内」に事物的に存在していることではありえない。内存在は、いくつかの事物的存在者が空間的に「相互に内にある」ことを意味するどころか、「内」は、根源的には、前記のような様式の空間的関係を全然意味はしない。「内」inはinnan-に由来し、これは、住む、居住スル、滞在するということであり、「で」anは、私は慣れている、何々と親しんでいる、私は或ることを手がけているという意味である。「内」は、私ハ住ミツクとか私ハ敬愛スルという意味での私ハ世話ヲスルという語義をもっている。こういう語義での内存在がそれに帰属しているこの存在者を、われわれは、私がそのつどみずからそれである存在者と特色づけた。私があるというとときの「ある」という表現は「もとで」と連関があり、「私がある」は、これはこれで、私は、何々のもとで、つまり、これこれしかじかに親しまれているものとしての世界のもとで住んでいる。滞在しているということなのである。「私がある」の不定法として、言いかえれば、実存範疇として解された存在〔6〕〔7〕は、何々のもとで住んでいる、何々と親しんでいるということを意味する。したがって内存在は、世界内存在という本質上の機構をもっている現存在の存在を〔8〕、形式的に実存論的に言いあらわしたものなのである。…】

    (訳注)
    〔6〕「私がある[ich bin]」のbin不定方は、seinであり、したがって「存在[Sein]」でもある。
    〔7〕著者の自家用本の欄外注記によれば、本文のように、「私がある」の不定法として「存在」が解されるという言い方に対して、後年のハイデガーは、「存在は、また、〔三人称単数現在としての〕<ist〔ある〕>の不定詞でもある。たとえば、存在者が存在する〔ある〕、というように」と注記している。
    〔8〕著者の自家用本の欄外注記によれば、本文にあるように、内存在が「現存在の存在」を言いあらわしたものだという点に関して、後年のハイデガーは、たしかにそれは「現存在の」存在を言いあらわしてはいるが、「しかし〔それは〕、存在一般〔という意味の存在を言いあらわしたもの〕ではないし、ましてや、存在そのもの――つまり端的な存在〔という意味の存在を言いあらわしたもの〕でもない」と、注意書きを付加している。

    そして、「世界内存在」は「現存在の一つの根本機構」ってしてるみたい。

    ハイデガーの言う「世界内存在」という語の意味、なんか雰囲気的に見えてきたかな。

    こういうのってフッサールの言う「日常生活」に絡まってくる感じ。
    No11467で、たしか、
    【ハイデガーの「世界−内−存在」は現象学的還元を基礎として、初めて出現しえたのである。】って書いてあった。

引用返信/返信 削除キー/
■17302 / inTopicNo.91)  Re[10]: ふと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/10/07(Thu) 17:20:23)
    今日はお仕事お休み。

    No17266、読み返して見たら、
    わたしがマジモンさんに出した問題、「次のa,b,cの国の名前を答えなさい」って、ぜんぜんへん。問題になってない。わたしの無能さを見せつけちゃった。

    で、マジモンさん、せっかく書いてもらたんだけど、ごめんね。
    わたしには何言ってるのかさっぱり。

    自己採点が300点だって〜、勝手に自己満足してたらいいんじゃないの。

引用返信/返信 削除キー/
■17267 / inTopicNo.92)  Re[9]: ふと
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/10/06(Wed) 20:51:51)
    2021/10/06(Wed) 20:56:02 編集(投稿者)

    No17266に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■17237、
    > >どういうことだ…(笑)<
    >
    > どういうことだ…(笑)
    > No17133の、
    > >文化的存在っていうのはわからんが考えてみるよ<
    > ん〜ん、これもふくめて、マジモンさん、考えてないのかな?
    >
    > >幸せな国といったら、ベトナムよ。祈りの国といったら、インドよ。<
    > だって〜。
    >
    > では、マジモンさんに問題です。次のa,b,cの国の名前を答えなさい。
    > 1.aの国といったら、日本よ。
    > 2.bの国といったら、中国よ。
    > 3.cの国といったら、アフガニスタンよ。
    >
    > 1問10点満点で、全問正解は30点となります。
    > 25点未満はここに参加することは許されません。


    1. 奥ゆかしく、未だ腹切り文化の名残がある封建的な国は、日本よ。
    2. 中華思想の国は、中国よ(これ簡単)
    3. 現在、タリバンが政権を奪取して危険な国は、アフガニスタンよ。

    300点だね。

    ・怒らすと怖い県は、広島よ。
    ・食い道楽は、大阪よ。
    ・着道楽は、京都よ。
    ・美人が多いのは、秋田よ。
    ・性格的に優しい人が多いのは、岩手よ。
    ・離婚率が高いのは、北海道よ。
    ・徳川家康が頑張ったのは、東京よ。
    ・名古屋飯が多いのは、名古屋市よ。

    県民性、国民性だよね。

    300点だわ、300点。

引用返信/返信 削除キー/
■17266 / inTopicNo.93)  Re[8]: ふと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/10/06(Wed) 20:05:31)
    ■17237、
    >どういうことだ…(笑)<

    どういうことだ…(笑)
    No17133の、
    >文化的存在っていうのはわからんが考えてみるよ<
    ん〜ん、これもふくめて、マジモンさん、考えてないのかな?

    >幸せな国といったら、ベトナムよ。祈りの国といったら、インドよ。<
    だって〜。

    では、マジモンさんに問題です。次のa,b,cの国の名前を答えなさい。
    1.aの国といったら、日本よ。
    2.bの国といったら、中国よ。
    3.cの国といったら、アフガニスタンよ。

    1問10点満点で、全問正解は30点となります。
    25点未満はここに参加することは許されません。




引用返信/返信 削除キー/
■17237 / inTopicNo.94)  Re[7]: ふと
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/10/05(Tue) 22:26:38)
    No17223に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > わたし、反省なんかしない。

    どういうことだ…(笑)

    幸せな国といったら、ベトナムよ。
    祈りの国といったら、インドよ。
引用返信/返信 削除キー/
■17223 / inTopicNo.95)  Re[6]: ふと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/10/05(Tue) 20:00:54)
    わたし、反省なんかしない。
引用返信/返信 削除キー/
■17163 / inTopicNo.96)  Re[5]: 自然
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/10/04(Mon) 22:15:30)
    悪魔ちゃんへ

    メルヘンじゃない(笑)

    >「ミネルバのふくろうは黄昏に飛び立つ」っていう感じ。

    これだね、哲学と反省を関連付けている所。
    ぼんやり見えてきた。
    それでは。
引用返信/返信 削除キー/

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