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■18521 / inTopicNo.37)  Re[64]: 地平
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/07(Sun) 19:33:53)
    現象学に、「地平」っていう用語があるだけど、
    フッサールの『デカルト的省察』のなかのを書き写して見ます。2回に分けて、

    第19節 志向的な生がもつ顕在性と潜在性 

    【それぞれの我思う(コギト)には、多様な志向性が属している。それが世界内部のものを意識するのみならず、自らを我思うとして内的時間意識において意識することによってすでに、世界に関わっているそれぞれの我思うには、多様な志向性が属している。志向性がもつこの多様性は、顕在的な体験として思われたものを考察するだけでは、主題として尽くされていない。むしろ、すべての顕在性はそれぞれ潜在性を含んでいる(28)。潜在性とは、空虚な可能性ではなく、内容的に、しかもそのつどの顕在的な体験そのものの内で、志向的に粗描された可能性、そのうえ、自我によって実現されうる可能性という性格を備えている。
    以上によって、志向性がもつ、もう一つの根本的な特徴が示唆されている。つまり、体験はすべて「地平」をもっており、それはその意識の連関が変化し、自分に固有な流れの位相が変化するなかで移り変わる。それは、志向的な地平であって、意識の自分自身に属する潜在性への指示を伴っている。例えば、すべての外的な知覚には、次のような指示が属している。知覚対象の本来的に知覚された側面は、別の側面を、つまり、ともに思念されてはいるが、まだ知覚されてはおらず、ただ予期において、さしあたりは、非直観的な空虚をもって予想されてた側面を――まもなく知覚において「やって来る」、あらゆる知覚の位相で新たな意味をもつ、絶えざる未来予持として――指示している、というような指示である。そのうえ、知覚は次のような地平ももっている。それは、知覚の流れを別の方向に向け、眼を例えばこうではなく別の方向に動かしたり、あるいは、前進したり横に移動したりしたら持つことになるであろう、別の知覚の可能性からなる地平である。知覚に対応する想起の場合にも、姿を変えてではあるが、同じようなことが生じる。例えば、私が知覚の活動を別の方向に向けていたなら、そのとき実際に見えていた側面の代わりに、別の側面を知覚していたことだろう、といった意識の場合である。繰り返して言えば、すべての知覚には、呼び起されるべき想起の潜在性として、過去の地平がいつも属しており、すべての想起には、顕在的な知覚の今に至るまでの、可能的な(私によって実現されるべき)想起の、連続的で間接的な志向性が、地平として属している。いづれの場合にも、この可能性のうちには、「私はできる」とか「私がする」、あるいは、「私が現にすることとは別様にすることができる」ということが、――他の点では、あれこれの具体的な自由が絶えず妨害の可能性に開かれているとしても――入り込んでいる。】
     
    訳注(28)
    〔『イデーンT』においても、「顕在的体験は、非顕在的な体験の庭に取り囲まれている」と述べられ、「コギト」というのは、この「顕在的」な様相のみを表していた。「非顕在的体験」もまた「志向的体験」であり、「志向性は顕在的な様態において遂行されていかなくとも、すでに背景において非顕在的・潜在的な様態において発動している」のである。同書で「地平」という考えが登場するのも、こうした脈略においてである。〕

    内的時間意識については、
    No12118
    志向性については、
    No14181
    No14461

    つづく

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■18519 / inTopicNo.38)  Re[63]: 今日のお喋り
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/07(Sun) 19:29:32)
    今日のわたしのお喋り、つまんかかった〜。

    で、気分なおしに、わたしの物語りを書いておこっと。

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■18506 / inTopicNo.39)  Re[62]: 語りえぬもの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/07(Sun) 18:28:36)
    5・62、5・621、5・63 については、めんどくさいし、いいか。

    【5・631 思考し表象する主体は存在しない。
    「私が見出した世界」という本を私が書くとすれば、そこでは私の身体についても報告が為され、また、どの部分が私の意志に従いどの部分が従わないか等が語られねばならないだろう。これはすなわち主体を孤立させる方法、というよりむしろある重要な意味において主体が存在しないことを示す方法である。つまり、この本の中で論じることのできない唯一のもの、それが主体なのである。】
    と、
    【5・632 主体は世界に属さない。それは世界の限界である。】
    についてね。

    ここに出てくる「主体」っていうの、「主観」って訳されてないよね。そして、【「私が見出した世界」という本を私が書くとすれば、そこでは私の身体についても報告が為され】って、「身体」が出てきてる。
    でね、「主体」の「主」を〈私〉、「体」を〈身体〉として見て、すなわち〈私の身体〉ってして見たのね。
    ん?それとも「主」は「神」?ってすると「主体」は「神体」ってなるけど、ま、これはいいわ。

    ってすると、5・631は、〔思考し表象する〈私の身体〉は存在しない。〕って言うことになる。

    それと、5・632の「世界」っていうのを〈考える(言語の)領分〉ってして見ると、
    〔〈私の身体〉は〈考える(言語の)領分〉に属さない。それは〈考える(言語の)領分〉の限界である。〕ってねる。ん〜ん、そうね、そう見ることもできるかな、ってわたし了解できる。

    5・631の【これはすなわち主体を孤立させる方法、というよりむしろある重要な意味において主体が存在しないことを示す方法である】は、〔これはすなわち〈私の身体〉を孤立させる方法、というよりむしろある重要な意味において〈私の身体〉が存在しないことを示す方法である〕ってなるんだけど、これよくわかんない。でも、【この本の中で論じることのできない唯一のもの、それが主体なのである。】は、〔この本の中で論じることのできない唯一のもの、それが〈私の身体〉なのである。】ってなるから、これもわかる感じ。
    ウィトちゃんにとって「語りえぬもの」に〈身体〉も入ってるんかな、って。

    メルポンは「身体の理論は知覚の理論である」って言ってる。
    だから、「語りうぬもの」は、〈感-知覚〉の領分(世界)って見ちゃったりして。

    メルポン派のわたしの見方を書いて見たけど、ウィトちゃんの、わたし好きじゃないから、もういいかな。こんな感じでひとまずおしま〜い。



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■18503 / inTopicNo.40)  Re[61]: 語りえぬもの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/07(Sun) 17:23:53)
    【5・61 論理は世界を満たす。世界の限界は論理の限界でもある。
    それゆえわれわれは、論理の内側にいて、「世界にはこれらは存在するが、あれは存在しない」と語ることはできない。なるほど、一見すると、「あれは存在しない」と言うことでいくつかの可能性が排除されるようにも思われる。しかし、このような可能性の排除は世界の事実ではありえない。もし事実だとすれば、論理は世界の限界を超えていなければならない。そのとき論理は世界の限界を外側からも眺めうることになる。思考しえぬことをわれわれは思考することはできない。それゆえ、思考しえぬことをわれわれは語ることもできない。】

    【論理は世界を満たす。世界の限界は論理の限界でもある。】の「世界」っていうの、〈考える(言語の)領分〉ってして見るね。ってすると、「論理は〈考える(言語の)領分〉を満たす。〈考える(言語の)領分〉の限界は論理の限界でもある。」ってなる。

    【論理の内側にいて】は、〔〈考える(言語の)領分〉にいて〕、ね。
    【「世界にはこれらは存在するが、あれは存在しない」と語ることはできない。】の、この「世界」っていうの、次にくる【このような可能性の排除は世界の事実ではありえない】っていうことから、1,2の「事実の総体」のことだと思う。だから、〔「事実の総体にはこれらは存在するが、あれは存在しない」と語ることはできない〕ってなるんだと思う。だって、1に【世界は“成立していることがら”の総体である。】って言ってるし。

    【このような可能性の排除は世界の事実ではありえない。もし事実だとすれば、論理は世界の限界を超えていなければならない。そのとき論理は世界の限界を外側からも眺めうることになる。】の「世界」は〈考える(言語の)領分〉で、〔このような可能性の排除は〈考える(言語の)領分〉の事実ではありえない。もし事実だとすれば、論理は〈考える(言語の)領分〉の限界を超えていなければならない。そのとき論理は〈考える(言語の)領分〉の限界を外側からも眺めうることになる。〕ってなる。

    そして、【思考しえぬことをわれわれは思考することはできない。それゆえ、思考しえぬことをわれわれは語ることもできない。】よね。
    【思考しえぬこと】、こういう領分が私の精神のうちには存在していて、それについては「語りえぬもの」。ん〜ん、たとえば「感-知覚」とか。

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■18495 / inTopicNo.41)  Re[60]: 語りえぬもの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/07(Sun) 16:16:50)
    【5・6 私の言語の限界が私の世界の限界を意味する。】

    「世界」っていう語、いろいろに使われてるみたい。

    「私の世界」ってどういう世界なん?5・63にも、【私は私の世界である。(ミクロコスモス)】ってあるんだけど、この「私の世界」と5・6の「私の世界」って同じ?よくわかんないんだけど〜、

    でね、勝手なのを。

    「私の世界」の「世界」っていうの、「言語」のことってしちゃう。
    「言語」って言う「私のうちにある領域(世界)」っていう意味ってして見る。「私のうち」っていうのは〈私の精神のうちのことで、「ある領域(世界)」っていうのは〈考える領域(世界)〉ことってして見る。特に「論理」ね。
    簡単に言っちゃうと、『論考』は、〔私の言語の世界(領域)〕について語ってるんじゃないか、って。

    だから、「私の世界」って言ってるけど、ウィトっちゃん、「私」について語ってるんじゃなくて、「論理の世界」についてなんじゃないかしら?

    論考の最初の方に、
    【1世界は成立していることがらの総体である。】
    【2世界は事実の総体であり、そのものの総体ではない。】
    ってある。ここに出てくる「世界」っていうの、5・6の「世界」とは違う意味のように思える。2によると、「事実の総体」を「世界」ってしてるように見える。この2の意味で5・6を見て見ると、「私の世界」は、〈私の事実の総体〉ってなって(ちょっとわかりにくいけど)、〈私の言語の限界が私の事実の総体の限界を意味する〉って言うことになる。順番を変えて、〈私の事実の総体の限界〉は〈私の言語の限界〉である、ともなる?こんなこと言っちゃっていいのかしら、って思うけど、でもウィトちゃんの、こういういうんじゃないとわたし思う。
    だから、やっぱ、1,2の「世界」と5・6の「世界」は違う意味ってして、5・6の「世界」っていうのは〈考える世界〉とか〈言語の世界〉とか〈論理の世界〉として見て見る。

    こう見たとき、7の「語りうぬもの」を見て見ると、私の精神には〈考える(言語の)領分〉があるけど(『論考』はこの世界についての論ってしてわたし見てるんだけど)、他にも領分があって、この〈考える(言語の)領分〉では「語りえぬ」領分が存在する、ってしてるんじゃないかしら?他の領分に、たとえば〈感-知覚〉とかね。

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■18494 / inTopicNo.42)  Re[59]: 語りえぬもの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/07(Sun) 15:19:48)
    ここでちょっと、『論考』のについてね。

    他のところで、5・631が出てきたので、これについて考えて見たんだけど、まず、この前後を書き写して置きます。

    5・6 私の言語の限界が私の世界の限界を意味する。

    5・61 論理は世界を満たす。世界の限界は論理の限界でもある。
    それゆえわれわれは、論理の内側にいて、「世界にはこれらは存在するが、あれは存在しない」と語ることはできない。なるほど、一見すると、「あれは存在しない」と言うことでいくつかの可能性が排除されるようにも思われる。しかし、このような可能性の排除は世界の事実ではありえない。もし事実だとすれば、論理は世界の限界を超えていなければならない。そのとき論理は世界の限界を外側からも眺めうることになる。思考しえぬことをわれわれは思考することはできない。それゆえ、思考しえぬことをわれわれは語ることもできない。

    5・62 この見解が、独我論(86)はどの程度正しいのかという問いに答える鍵となる。
    すなわち、独我論の言わんとするところは全く正しい。ただ、それらは語られえず、示されているのである。世界が私の世界であることは、この言語(私が理解する唯一の言語)の限界が私の世界の限界を意味することに示されている。
    訳注(86)
    独我論――なんらかの意味で自分と他者とが対比されて捉えられる場面において、他者の存在を否定し、ただ自分だけが存在すると主張する場合を「独我論」と呼ぶ。どのような自他の対比を拒否しているのかに応じていくつかのヴァリエーションがあることになる。典型的な独我論は、すべてを私の意識への現れとして捉え、他の意識主体たる他者を、私の意識のうちへは現れえないという理由で拒否するものである(現象主義的独我論)。『論理哲学論考』の独我論はこのタイプのものではないように思われる。では、それはどのような独我論であったのか。これは『論理哲学論考』の解釈に関わる問題である。

    5・621 世界と生は一つである。

    5・63 私は私の世界である。(ミクロコスモス)

    5・631 思考し表象する主体は存在しない。
    「私が見出した世界」という本を私が書くとすれば、そこでは私の身体についても報告が為され、また、どの部分が私の意志に従いどの部分が従わないか等が語られねばならないだろう。これはすなわち主体を孤立させる方法、というよりむしろある重要な意味において主体が存在しないことを示す方法である。つまり、この本の中で論じることのできない唯一のもの、それが主体なのである。

    5・632 主体は世界に属さない。それは世界の限界である。

    以上で〜す。

    わたし勝手にメルポン派なんだけど、そこからこれらを見て見たのを次から書いて見るよ。

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■18455 / inTopicNo.43)  Re[58]: 「世界」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/06(Sat) 20:11:21)
    ■18451、
    >そういえば、わたしの実父、住所を『宇宙』から書いてたよ。<
    あら!pipitさまのおとおさま、よくわかってるのね。
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■18451 / inTopicNo.44)  Re[57]: 「世界」
□投稿者/ pipit -(2021/11/06(Sat) 18:55:02)
    悪魔ちゃん、こんばんは

    > 存在者ってなるから、「私は宇宙人である」って言ってもおかしくないよね。<

    そういえば、わたしの実父、住所を『宇宙』から書いてたよ。
    学生時代の辞書に書いてあったの見たよ。(´・∀・`)
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■18450 / inTopicNo.45)  Re[56]: 「世界」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/06(Sat) 18:04:55)
    「世界」っていう語、わたしも何気なく使ってるけど、ちょっとネットにあったのを書き写して置きます。

    コトバンクより、
    デジタル大辞泉「世界」の解説
    《7が原義》
    1 地球上のすべての地域・国家。「世界はひとつ」「世界をまたにかける」
    2 自分が認識している人間社会の全体。人の生活する環境。世間。世の中。「新しい世界を開く」「住む世界が違う」
    3 職業・専門分野、また、世代などの、同類の集まり。「医者の世界」「子供の世界」
    4 ある特定の活動範囲・領域。「学問の世界」「芸能の世界」「勝負の世界」
    5 歌舞伎・浄瑠璃で、戯曲の背景となる特定の時代・人物群の類型。義経・太平記など、民衆に親しみのある歴史的事件が世界とされた。
    6 自分が自由にできる、ある特定の範囲。「自分の世界に閉じこもる」
    7 《〈梵〉lokadh&#257;tuの訳。「世」は過去・現在・未来の3世、「界」は東西南北上下をさす》仏語。
    &#13008;須弥山(しゅみせん)を中心とした4州の称。これを単位に三千大千世界を数える。
    &#13009;一人の仏陀の治める国土。
    &#13010;宇宙のこと。
    8 このあたり。あたり一帯。
    「&#8212;暗がりて」〈竹取〉
    9 地方。他郷。
    「&#8212;にものし給ふとも、忘れで消息し給へ」〈大和・六四〉
    10 遊里などの遊興の場。
    「京町に何かお&#8212;が、おできなすったさうでござりますね」〈洒・通信総籬〉

    「世界」っていろんな使われ方されてる見たい。

    「世界」を「宇宙」ってしてみると、世界内部的存在者は、宇宙内部的存在者ってなるから、「私は宇宙人である」って言ってもおかしくないよね。

    ん? 「私は神である」って言うのもありなのかも?

    いろんな世界があるけど、問題なんは、その世界はどのようなものなの?っていうことなのかもしれない。

引用返信/返信 削除キー/
■18444 / inTopicNo.46)  Re[55]: 現象学の
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/06(Sat) 15:24:43)
    現象学のって、
    「人(私)と世界との原初的関係性の探究」なのかもしれない。

    現象学的還元という方法によって、「言葉のざわめきの下」へ、そして、
    「世界における(への)存在」として、私と世界との関係性を見ている、
    こんな感じ。

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■18387 / inTopicNo.47)  Re[54]: 文化について
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/11/05(Fri) 22:21:59)
    No18375に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■18315、
    > >文化(Culture)は、娯楽として捉えている。そして、cultureは人間性だと思う。<
    > <文化(Culture)>と<culture>を区別してるのよくわかんないけど、
    > 文化についてのマジモンさんの、ひとまず、了解ね。
    >
    > ところで、写真、文化(Culture)は娯楽である、っていうことを示すためのもの?

    悪魔ちゃんへ

    いや違う、【 真似っ子の方 】です。
    娯楽に感じるのは、私の心でしょうね。
    それでは、自分の物語に戻ります。
引用返信/返信 削除キー/
■18375 / inTopicNo.48)  Re[53]: 文化について
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/05(Fri) 18:36:06)
    ■18315、
    >文化(Culture)は、娯楽として捉えている。そして、cultureは人間性だと思う。<
    <文化(Culture)>と<culture>を区別してるのよくわかんないけど、
    文化についてのマジモンさんの、ひとまず、了解ね。

    ところで、写真、文化(Culture)は娯楽である、っていうことを示すためのもの?
引用返信/返信 削除キー/

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