□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/06/26(Sat) 18:06:10)
| No14181のつづきになるけど、
「現象学事典」では、フッサールの「志向性」につてのなかからとくに重要な事項が書かれてあって、そのなかの一つを書き写して見ます。
〔受動的志向性 志向性の本質は構成的能作にあるとはいえ、実在事物の存在意味を構成するには、その素材となるべき感覚与件が必要である。能動的な構成の能作も、それ自身は非志向的な感覚与件を対象から受けとり、それを生化(besslen)することから始まる。すなわち、客観が主観を触発することによって、主観の対象的志向性が目覚めるのである。それゆえフッサールは「何かについての意識が取らざるをえない特殊な形態としての受動的志向」の機能にも注目して、受動性がなければ能動性も機能しえないであろうと述べている。ただし、このように感覚与件を受容する場合だけではなく過去の意識生活の中で既得物(=認識の成果など)を、あらかじめ与えられたものとして受け入れ、それを基盤に新たな意味付与がなされるような場合にも、やはり受動的志向性がともに機能しているのであり、このようなケースは〈受動的発生による構成〉とも言われ、〈連合〉がその原理だとされる。なお、感覚与件を受容する際には、対象へ眼を向けたり、他を伸ばして触るなど、主観の側の能動的な身体運動が必要になる。それゆえこのような〈受動性〉は自我の能動性の最低段階と見なされる。〕
「受動的総合」については、 No11875に書きました。
ここでわたしが見ているところは、 〔感覚与件を受容する際には、対象へ眼を向けたり、他を伸ばして触るなど、主観の側の能動的な身体運動が必要になる。それゆえこのような〈受動性〉は自我の能動性の最低段階と見なされる。〕っていうとこ。 ここに、精神と身体との連関性が触れられている。
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