| あ、またごめん、N11461じゃなかったみたい。 (なんか懐かしいやり取りだったけど) どこだかわかんなくなっちゃた。 ま、いいよね。
ついでに今日はもうちょっと。 「統覚」について、もう一度書いとこっかな〜
フッサールの『デカルト的省察』の訳注、 〔Apperzeption:Perzeption(もとはラテン語perceptioで、「知覚」の意)に前つづりAd-(「方向・接近・隣接・接着」の意)が付け加えられたもの。もとはライプニッツが、対象を判明に知覚するとき、その知覚作用自体にもわれわれは気づく、このことを「統覚」と呼んで哲学的概念として定着させた。その後、感性的直観の多様が悟性により結合される場合の、統一を形成する主観の根源的働きを「統覚」と呼んだ。フッサールは、カントの用法を踏まえながらも、或るものの端的な把握としての「知覚」と区別して、さまざまな把握を取りまとめて統一的に知覚することを「統覚」と呼んでいる。〕 ここに書いてある〔或るものの端的な把握としての「知覚」〕がわたしが見ている〈異種感覚情報の総合〉に当たるんだとわたし見てる。
さらに、現象学では「二つの統覚」がある、って見ていうよう。 これについては前に書いたから、もうやめとく、
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