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■12963 / inTopicNo.1)  Re[40]: パンにおけるリアルプレゼンス
  
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/21(Fri) 20:00:09)
    knowing itselfさんこんばんは。

    福音書では、イエス様がパンとワインを、自分の体と血として飲食せよとあり、
    それは、ユダヤの過越祭の最中の出来事であり、最後の晩餐は過越の祭りの食事だったと考えられるみたいですね。

    この過越祭は、イスラエルがエジプト脱出を記念して祝われた祭りであり、各家族がいけにえの小羊をエルサレム神殿で捧げ、その後、ともにそれを食する神の前での神聖な儀式的食事だったようです。

    しかも、この小羊は、贖罪の犠牲として捧げられ、特にその血は罪の赦しを与える契約の血であり、この過越の食事は、贖罪のために捧げられた聖なる供え物を共に食することで人々と神との交わりがもたらされると考えられたようです。

    イエス様は、自分自身を過越祭の犠牲の小羊と対比させ、自分の死が人類に贖罪と救済をもたらす犠牲であることを語っています。

    さらに、パンとワインを、自分の体と血として弟子たちに飲食させることには、
    自分の死によってもたらされる贖罪と救済に彼らを与らせ、神との交わりに参入させようという意図を読み取ることができます。

    これは、私達が、パンとワインを飲食する度に、イエスの死の意味を心に刻み、その都度新たに救いの力にあずかるようにという意味ではないかと思います。

    聖別されたパンはリアルな意味でキリストの体であり、パンの形態のもとに神人キリストが真に現存することを意味しているのだと思います。

    > シンボルであることを否定する立場がなぜ多いかというと、天国のキリストは単なるシンボルでいいのか?最後の審判のキリストは単なるシンボルでいいのか?死後に出会うキリストがシンボルでいいのか?そもそも現世で出会っているキリストも単なるシンボル?などもその理由。シンボルでいいなら、なぜキリスト教を信仰しているのか、意味がわからんということです。

    仰る通りだと思います。
    私たちに求められているのは、如何にイエス様が、パンとワインという肉と血のシンボルだけではなく現存しているのかを認識できるのかだと思います。
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■12962 / inTopicNo.2)  Re[40]: パンにおけるリアルプレゼンス
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/21(Fri) 19:56:15)
    パンがイコールでキリストの体、劣化コピー性を一切認めずに100パーセントキリストの体であるとする。これはどういうことかというと、二千年前の異国の出来事を遠く振り返って、信じましょうというレベルではなくなるってことだね。

    二千年前にキリストの十字架と復活が、いまパンを食べる自分の中で再現される。いつくるかわからない最後審判のために準備するどころの話しではなく、いまパンを食べるこのときが最後の審判になる。


    リニアーな歴史的時間の一点に成就したことが、時空間に遍在する。三位一体の恵みが時空間に遍在する。華厳的な発想でいえば、一即多、多即一。井筒俊彦ではないが、大乗仏教にも相通じる。
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■12892 / inTopicNo.3)  Re[39]: パンにおけるリアルプレゼンス
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/20(Thu) 19:39:55)
    シンボルであることを否定する立場がなぜ多いかというと、天国のキリストは単なるシンボルでいいのか?最後の審判のキリストは単なるシンボルでいいのか?死後に出会うキリストがシンボルでいいのか?そもそも現世で出会っているキリストも単なるシンボル?などもその理由。シンボルでいいなら、なぜキリスト教を信仰しているのか、意味がわからんということです。
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■12883 / inTopicNo.4)  パンにおけるリアルプレゼンス
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/20(Thu) 17:20:12)
    https://youtu.be/sCEP-z4rGSU

    この方はルター派。リアルプレゼンスはカトリックだけのものではなく、教義的には違うにしても、リアルプレゼンスを認めることにおいて、カトリック、東方正教会、英国国教会、ルター派は大まかなところでは一致しているはずです。

    パンは単なるシンボルではなく、そこにキリストがリアルプレゼンスしている。
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■12833 / inTopicNo.5)  Re[37]: キリストを食べる者
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/19(Wed) 19:35:37)
    ルカ福音書22・19〜20でイエスから与えられるパンとぶどう酒。ここで新契約、つまり新約が成立するわけですが、パンとぶどう酒はイエスの体と血そのものとされます。それは十字架上のイエスの体と血と完全にイコール。予告と先取りとも言えますね。この最後の晩餐に対して、ヨハネ福音書6章のパンはさらにその予告・先取りということだと思います。

    で、以後の二千年間の聖体の秘蹟にもまったく同一の出来事が起こっているとされ、それは最後の審判まで続くと。
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■12832 / inTopicNo.6)  Re[36]: キリストを食べる者
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/19(Wed) 19:19:03)
    愛満開さん こんばんは

    > まとめるとイエス様の十字架上での肉を裂き血を流されたことで贖い、贖罪と
    > 三位一体の神の恩寵を信じる人は、永遠の生命を得ることが出来ると言う事だと思います。

    基本的にその通りだと思いますが、キリストの体についてのカトリックの理解はもう少し補足する必要があります。

    ヨハネ6章のパンを食べるは、比喩的にではなく文字通りに読みます。動物がエサを食べるときに使うギリシャ語を端的に使っているという理由と、話しの流れからいっても、文字通りに食べるだと。ただし、このパンを食べるは人間その他の生き物を対象にするのではなく、ルカなどの福音書の後半、イエスが最後の晩餐でパンを取って裂いて「これはあなたがたのために与えられるわたしの体である」を予告しその先取りとなるという意味です。このとき、イエスのみことばの力で、パンの外観はそのままに内側がイエスの体に聖変化する。食べるのはパンで、五感にはパンでしかありませんが、内側はイエスの体そのもの。この体がその後に十字架にかけられて復活するわけですが、寸分の代わりもなく同じイエスの体です。

    確かに「食べる」は文字通りの意味ですが、カニバリズム的な要素はまったくなく、
    真意はキリストの体を信徒の内部に取り入れて同化することにあると思います。キリストと完全に一つになることが理想ですから、不自然ではないですね。




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■12816 / inTopicNo.7)  Re[35]: キリストを食べる者
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/18(Tue) 20:29:24)
    まとめるとイエス様の十字架上での肉を裂き血を流されたことで贖い、贖罪と
    三位一体の神の恩寵を信じる人は、永遠の生命を得ることが出来ると言う事だと思います。
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■12811 / inTopicNo.8)  Re[34]: キリストを食べる者
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/18(Tue) 19:58:26)
    悪魔ちゃんこんばんは。

    > でね、この記述、わたしが見ると、
    > 〈永遠のいのちをもつ者が、わたし(キリスト)の肉を食べ、わたし(キリスト)の血を飲む者なのである〉、って見たんだけど。

    その通りですね。
    ただ、カニバリズムのような本当に人の肉を食べることとは全く違う話です。

    もっと、霊的に神と人とが慈愛といたわりとによって結ばれてイエス様を
    信じる者が永遠の生命を受けると言う事です。




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■12809 / inTopicNo.9)  Re[33]: キリストを食べる者
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/18(Tue) 19:44:19)
    knowing itselfさんこんばんは。

    本当に、三位一体を考えていると、どんどん奥深い世界へ踏み入る感じがします。

    > ここでも三位一体の内側に入るという含意です。外側にキリストの体を仰ぎみるというより、キリストの体が自分の中にダウンロードされる。逆に自分の方もキリストの体の中にダウンロードされる。入れ子構造的ですね。ちょうど、父なる神が子なる神の中に注ぎ込まれ、子なる神も父なる神に同じものを与え返すのと、構造的に同型といえるかもしれません。

    ダウンロードとは、面白い比喩ですね。
    三位一体の内側に入ることが出来る喜びかなと思います。
    イスラームのようだと、中に入れずに、外側をだだグルグル立ち回っている感じがします。
    メッカに確か、そういうような人々がグルグル医師の周りをまわる祭りがあったような気がしますが。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%95

    やはり、三位一体でないと神に近づけないことになる気がします。




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■12791 / inTopicNo.10)  Re[33]: キリストを食べる者
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/05/17(Mon) 20:57:23)
    悪魔ちゃん、お邪魔しま〜す。

    >「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。」<
    ヨハネさんの書物には面白いこと書いてるみたいね。

    解釈。

    でね、この記述、わたしが見ると、
    〈永遠のいのちをもつ者が、わたし(キリスト)の肉を食べ、わたし(キリスト)の血を飲む者なのである〉、って見たんだけど。

    キリストっていう名の存在者は、人として生きていた期間と、死んで復活したのとあるよね。肉とか血は両者に当てまるのかしら?死んで復活したとき受肉よね。受肉っていうかぎりにには」肉を受けるっていうことよね。ってすると、誰かの肉に受肉したんあやない?なのかの肉を受けた人の肉を喰らい血をゴクゴクって飲む者が永遠のいのちをもつ者ってしてるのかしら?それとも人として生きてるとのキリストさんの肉を食べ血を飲むものが永遠のいのちをもつものとヨハネさんはいってるのかしら?わたしどちらもイヤ。人肉を生きたまま食べるっていうことよ。悪魔だってそんなことしない。キリストさんの肉なんておいしくなさそうじゃん。あ、もっとも悪魔ちゃんだったら、そうさせることを”ほのめかす ”ことはするけどね。ま、もっとも実際にやるやらないは本人しだいだけけどね。

    「神話」って考えてみるとおもしろいよね。
    でもね、「信仰」は自ら考えちゃダメ。ただひたすら誰かの言うことを信じなくちゃ。な〜んにも考えちゃダメなの。信仰心が足りないのはこれがあるからよ。

    ところで、
    ここに天使ミカエルちゃんが登場してくれたら悪魔ちゃんとしては楽しくなるんだけど。





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■12789 / inTopicNo.11)  Re[32]: キリストを食べる者
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/17(Mon) 19:35:38)
    ここでも三位一体の内側に入るという含意です。外側にキリストの体を仰ぎみるというより、キリストの体が自分の中にダウンロードされる。逆に自分の方もキリストの体の中にダウンロードされる。入れ子構造的ですね。ちょうど、父なる神が子なる神の中に注ぎ込まれ、子なる神も父なる神に同じものを与え返すのと、構造的に同型といえるかもしれません。
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■12788 / inTopicNo.12)  Re[32]: キリストを食べる者
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/17(Mon) 19:31:03)
    knowing itselfさんこんばんは

    > カニバリズム的に食べるという意味は全くないと思います。誰がそんなこといっているのでしょうか。カトリックでいわれるのは、キリストのリアルプレゼンスということです。フィジカルボディではなくサクラメンタルボディだとも言われます。サクラメンタルボディとは、復活して昇天したキリストの神秘の体、それと寸分も変わらない神秘の体というようなことです。

    ああ、復活して昇天したキリストの神秘の体と言う事だったのですね。
    私は、てっきりそのように、神を愛し思いやることが、結果、自分の救いの助けになるのかなと思っていました。

    >>パンと葡萄酒での聖餐式となったこのことは、そうした儀式としての形を求められたのではなく、そこまでして神様は、罪人である人類のために、十字架上で肉を裂き血を流され救済されたと言う事を、どれ程、真摯に個人的に受け止められるかにかかっているように思います。
    >>
    >>そこから、当然、三位一体の神への感謝も生まれてくる訳で、この受け止めが無いと救済もないように感じるのですが、如何でしょうか。
    >
    > それはそう思いますが、儀式としての形だけを重視するというのは、カトリックにもないですね。キリストの神秘体のリアルプレゼンスが真理だから、それにふさわしい姿勢で臨もうというのだと思います。
    >
    > キリストのリアルプレゼンスとは、最後の審判の先取りという意味もあるんです。

    へっえー、そうだったのですね。
    最後の審判の先取りだなんて、やはり、いろいろ勉強になります。
    ありがとうございます。
    自分は、まだまだ信仰が足りないなあと思いました。
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