(現在 過去ログ2 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■12408 / inTopicNo.1)  Re[32]: パウロの教えか、ヤコブの教えか
  
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/05(Wed) 15:30:08)
    愛満開さん、バロン司教の動画をぜんぜんまともに聞いていないね、英語がわからないならわからない、カトリックに基礎的な理解がないならないと、素直に認めないと。

    固定観念や思い込みで、感情的な反応をあらわにしても、対話はできません。
引用返信/返信 削除キー/
■12401 / inTopicNo.2)  論争するつもりはまるでなし
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/05(Wed) 13:21:05)
    プロテスタント対カトリック論争をするつもりはありませんので。
    バロン司教についても批判するなら、理解してからにしてください。

    藁人形論争に付き合うつもりは、まったくありません。
引用返信/返信 削除キー/
■12400 / inTopicNo.3)  Re[31]: パウロの教えか、ヤコブの教えか
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/05(Wed) 13:19:58)
    tollさん、良いご意見だと思います。

    > ■No12396に返信(愛満開さんの記事)
    >
    >
    > 動画は見てませんが一言
    >
    >
    >>>第2バチカン公会議ではキリスト教を信仰していない、キリスト教の外でも、救われる可能性を認めたということです。無神論者も救われうる。良心や善意思をもって真摯に生きた場合ですが。
    >>
    >>無神論者でも救われるというのは、言い過ぎにしか聞こえません。
    >>これは、キリスト教が布教されていない地域ではという条件付けなのでしょうか。
    >>なにかバロン司教も胡散臭い感じがしてしまいます。
    >
    >
    >
    > カトリックですから
    > 洗礼を受けて信者さんにならなければ救われないというのは
    > 根底にはあるんじゃないでしょうか?
    >
    > トピ主様のお返事が待たれますね

    その通りでないかなと思います。
    教会の信者を無理に獲得しようという魂胆が見え見えでうんざりします。
    knowing itselfさんのご意見が待ち遠しいですね。
引用返信/返信 削除キー/
■12399 / inTopicNo.4)  Re[30]: 礼拝
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/05(Wed) 13:17:01)
    tollさん、こんにちは。レスありがとうございます

    > 自粛の折
    > 細やかながら近場で遊んでました、、、大人しく^^

    明日からまた仕事なので、気分転換も必要かと思います。
    私は、臆病なので、食料の調達以外は、外に出かけませんでした。
    コロナもバージョンアップしているみたいですから。

    >>神は前もって準備してくださった善い行いをするために、人間を造られたのです。
    >>
    >>そして、わたしたちがそのような善い行いをするのは自然なことなのですね。
    >>(エフェソの信徒への手紙第2章10節)
    >>
    >>ですから、これは一つの、心に信仰を持って告白をした人の信仰となります。そう、本当の信仰です。
    >
    > 選ばれた人、、、という風に感じますが
    > こういう事への信奉というのは普通なんでしょうか?

    二重予定説は、行き過ぎだと思いますが、神の恩寵に力点を置くのであれば、
    神が全人類を救済する計画の予定説は受け入れないといけないかなと思います。

    > ルター主義?のプロテスタント系のようですから
    > ルターの思想についてから調べてみました
    >
    > キリスト教内の「行い」というのは
    > 律法における「行い」かと思いますが
    > ルターは
    > 「人が義とされるのは、律法の行いによるものではなく信仰によってのみ」と説いたそうですね

    引用ありがとうございます。

    信仰か行いかというのは、カトリックのバロン司教の話が、どうも胡散臭くて嫌いです。無神論者でも救われる等とほざいているからです。

    それだったら、イエス様の十字架の死、贖罪と神の愛の恩寵は、どうなってしまうのでしょうか。
    とても、いたたまれません。

引用返信/返信 削除キー/
■12398 / inTopicNo.5)  Re[30]: パウロの教えか、ヤコブの教えか
□投稿者/ toll -(2021/05/05(Wed) 13:10:37)


    横レス失礼します

    No12396に返信(愛満開さんの記事)


    動画は見てませんが一言


    > >第2バチカン公会議ではキリスト教を信仰していない、キリスト教の外でも、救われる可能性を認めたということです。無神論者も救われうる。良心や善意思をもって真摯に生きた場合ですが。
    >
    > 無神論者でも救われるというのは、言い過ぎにしか聞こえません。
    > これは、キリスト教が布教されていない地域ではという条件付けなのでしょうか。
    > なにかバロン司教も胡散臭い感じがしてしまいます。



    カトリックですから
    洗礼を受けて信者さんにならなければ救われないというのは
    根底にはあるんじゃないでしょうか?

    トピ主様のお返事が待たれますね
引用返信/返信 削除キー/
■12397 / inTopicNo.6)  Re[29]: 礼拝
□投稿者/ toll -(2021/05/05(Wed) 13:00:03)


    愛満開 様 レスありがとうございます
    お返事遅くなりすみませんでした
    自粛の折
    細やかながら近場で遊んでました、、、大人しく^^



    No12355に返信(愛満開さんの記事)
    > tollさんこんばんは。
    >
    > 礼拝では、信仰と行いのどちらが救いになるのかというものでした。


    教えて下さり ありがとうございました


    > YouTubeに良い解説がありましたので上げておきます。
    >
    > https://www.youtube.com/watch?v=guwLGq3oXm8&t=7s


    日本でも
    こういう伝道の仕方もあるのですね
    参考にさせて頂きました



    > なので、信仰のみか行いなのかというものではなく、信仰があれば自然と行いがついてくると言う事です。
    >
    > 神は前もって準備してくださった善い行いをするために、人間を造られたのです。
    >
    > そして、わたしたちがそのような善い行いをするのは自然なことなのですね。
    > (エフェソの信徒への手紙第2章10節)
    >
    > ですから、これは一つの、心に信仰を持って告白をした人の信仰となります。そう、本当の信仰です。


    選ばれた人、、、という風に感じますが
    こういう事への信奉というのは普通なんでしょうか?




    ちょっとおベンキョしてみました
     
    クリスチャンさんの行いですから
    普通の道徳や規則とは違いますよね
    厳しいものかと?

    ルター主義?のプロテスタント系のようですから
    ルターの思想についてから調べてみました

    キリスト教内の「行い」というのは
    律法における「行い」かと思いますが
    ルターは
    「人が義とされるのは、律法の行いによるものではなく
 信仰によってのみ」と説いたそうですね



    ルターの思想 についての引用です

    ーー引用始めーー
    神の恵みはルターにとって圧倒的であり,一方的ですらある。人間の救いのために,人間がその意志においても,能力においても,実行においても,神と協力していささかなりとも貢献しうるといういっさいの可能性を拒否する。すなわち神の全能と全活動性の確認である。だから,どれほどキリスト教的にみえてもルターはエラスムスのキリスト教的人文主義を認めることはできなかった。人間の〈奴隷意志〉の主張は,神中心からの必然的な要請にほかならない。そして,神の恵みに相応じるのは,ただ信仰のみである。ルターによれば,信仰すらまず〈われわれのうちにおける神の働き〉であり,それゆえ〈神に対する固い信頼〉である。キリストの十字架による,神の救いの働きを神への感謝をもって受けいれ,受けとめることである。このようにして神中心の確立の中で,〈恵みのみ〉に〈信仰のみ〉が対応する。だがそれは決して,信仰者にとって安住坐臥や無為を意味しはしない。教会改革の実際においても,この信頼に徹したルターの日々をみてもこれはわかる。恵みに支えられ,動かされて,神から与えられた生の日々をこの世界の中で精いっぱい生きるキリスト者の生のありかたの積極的な示唆を,われわれはルターの信仰と神学の中に豊かに見いだすことができるであろう。
    ーー引用終わりーー

    こちらから引用しました
    ttps://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=1595
引用返信/返信 削除キー/
■12396 / inTopicNo.7)  パウロの教えか、ヤコブの教えか
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/05(Wed) 12:59:19)
    調べていたところ、次のようなサイトがありました。

    https://www.youtube.com/watch?v=ctsNdNoLzic

    ttp://seishonyumon.com/movie/6113/

    「信仰+行いの救い」が正しいと思っているなら、その人はまだ救われていません。なぜなら、神のことばを疑っているからです。神を信用しないことが、罪の根源です。
    人は、信仰のみによって救われます。
    これが、キリスト教を他の宗教から別つ最大の特徴です。

    人は、信仰のみによって救われます。との解説でした。

    つまり、信仰が無くて行いだけでは救われないと言う事でしょうか。
    これだと、 knowing itselfさんに解説していただいたバロン司教の説明とも違ってくるように思います。

    >第2バチカン公会議ではキリスト教を信仰していない、キリスト教の外でも、救われる可能性を認めたということです。無神論者も救われうる。良心や善意思をもって真摯に生きた場合ですが。

    無神論者でも救われるというのは、言い過ぎにしか聞こえません。
    これは、キリスト教が布教されていない地域ではという条件付けなのでしょうか。
    なにかバロン司教も胡散臭い感じがしてしまいます。
引用返信/返信 削除キー/
■12355 / inTopicNo.8)  Re[28]: 礼拝
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/03(Mon) 19:49:55)
    tollさんこんばんは。

    礼拝では、信仰と行いのどちらが救いになるのかというものでした。

    救いについて、パウロは、信仰によってのみ義と認められるのだと言っていますが(エペソ人への手紙2:8−9)、ヤコブは、信仰と行いによって義と認められると言っているので対立した意見のように見えます。

    ある人はパウロ派の信仰のみ、ある人はヤコブ派の行いだけと両極端に分かれているようにも見えます。

    ただ、信仰が無くて行いだけで救われるのなら信仰の意味もないのでしょうけど。

    YouTubeに良い解説がありましたので上げておきます。

    https://www.youtube.com/watch?v=guwLGq3oXm8&t=7s

    心に本当の信仰があれば、自然に木に実がなるように、行いは自然と現れる。

    なので、信仰のみか行いなのかというものではなく、信仰があれば自然と行いがついてくると言う事です。

    神は前もって準備してくださった善い行いをするために、人間を造られたのです。

    そして、わたしたちがそのような善い行いをするのは自然なことなのですね。
    (エフェソの信徒への手紙第2章10節)

    ですから、これは一つの、心に信仰を持って告白をした人の信仰となります。そう、本当の信仰です。

引用返信/返信 削除キー/
■12345 / inTopicNo.9)  礼拝
□投稿者/ toll -(2021/05/03(Mon) 08:52:09)
    No12338に返信(愛満開さんの記事)
    > knowing itselfさんこんばんは。
    >
    > いつになったらまた元通りの生活に戻れるか、残念ながら元通りの生活は戻ってこない、私はそう感じています。


    昨日は日曜礼拝に行かれたのですか
    先般
    東京都港区(だと思うけど)の根津にある福音教会では
    「ご自由にどうぞ」と書いてたので
    入ってお祈りしてきたという人がいました

    今時のキリスト教教会もオンラインでしょうか
    Zoom を導入とかもあるようですね
    昨日はどんな説教があったのでしょうか
    差し支えなければ お話し頂ければ嬉しいのですが
    無理にというのではないのでスルーで大丈夫ですよ

    いい一日にでありますように

引用返信/返信 削除キー/
■12344 / inTopicNo.10)  神の愛
□投稿者/ toll -(2021/05/03(Mon) 08:19:01)


    愛満開 様 おはようございます

    横レス失礼します


    No12338に返信(愛満開さんの記事)
    > knowing itselfさんこんばんは。
    >
    > いつになったらまた元通りの生活に戻れるか、残念ながら元通りの生活は戻ってこない、私はそう感じています。
    > それでも、否、だからこそ、三位一体の神の愛を信じて生きていくことが大切なのではないかなと思っています。
    >
    >>バロン司教は動画の中で、岩や植物から始めて、生物、人間のあらゆるコミュケーション、素粒子からマクロの宇宙まで、すべてのものが、みごとなコミユニケイティングとイメージメイキングであって、自らをコミユニケーティングしている。それは究極のコミユニケーティングとイメージメイキングである神を映し出しているのだと。神自らのコミユニケーティングが三位一体の神、それはまさに愛そのものだと。
    >
    > 御解説ありがとうございます。
    > そうですね、今は、愛の神を信じる力が求められているように感じます。



    クリスチャンさん同士で頷け合う場所が持たれて
    良かったですね
    三位一体は判りませんが
    神の愛は地球上全てに注がれていて安心ですね
    宇宙までは想像の域にはありませんが
    身近かなところ、、、
    愛満開 様の愛する御家族、教会の兄弟姉妹の皆さん、友人、、、
    神様の愛の中にある人の中で安心して居られるのも心強いですよね

    信仰と関係なくですみません^^
引用返信/返信 削除キー/
■12338 / inTopicNo.11)  Re[26]: 第三の天
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/02(Sun) 20:19:37)
    knowing itselfさんこんばんは。

    いつになったらまた元通りの生活に戻れるか、残念ながら元通りの生活は戻ってこない、私はそう感じています。
    それでも、否、だからこそ、三位一体の神の愛を信じて生きていくことが大切なのではないかなと思っています。

    > バロン司教は動画の中で、岩や植物から始めて、生物、人間のあらゆるコミュケーション、素粒子からマクロの宇宙まで、すべてのものが、みごとなコミユニケイティングとイメージメイキングであって、自らをコミユニケーティングしている。それは究極のコミユニケーティングとイメージメイキングである神を映し出しているのだと。神自らのコミユニケーティングが三位一体の神、それはまさに愛そのものだと。

    御解説ありがとうございます。
    そうですね、今は、愛の神を信じる力が求められているように感じます。
引用返信/返信 削除キー/
■12337 / inTopicNo.12)  Re[25]: 第三の天
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/02(Sun) 15:51:25)
    愛満開さん こんにちは


    >>https://youtu.be/5l-Lv9tGQwI

    > 神様はお一人だが、唯一の神でありながら父と子と聖霊でもあり父と子と聖霊は、永遠に愛し合っているということでしょうか。
    >
    > 神様は、愛に出会うために他の相手を必要としない。神様は完全だから、私たち人間とか被造物を全然必要としないのでしょう。
    >
    > 神様が宇宙万物を創られたのは、それを必要とされたからではなく、父と子と聖霊の愛が溢れ出て、三位一体以外の相手を創ろうとされたからかもしれません。
    >
    > そして、その相手である人間も愛のために創られたと言えると思います。
    >
    > 「神はその一人子をお与えになるほど、世を愛された」。
    >
    > 人間の本当の充実というか完成は愛のうちにあるのであり、実際、経験でも、人間は深く愛し愛される時こそ、本当の特別な喜びを感じます。
    >
    > それは、人間存在の目的をそこで達しているということの表れですが、それは人間どうしの愛だけではなく、神様ご自身、父と子と聖霊が愛し合って、その交わりの中へ人間を招き入れようとされているのだと思います。
    >
    > そう考えてみると、これは凄いことだと思う。親しい友達のグループ仲間に入れてもらって、皆と同じように親しく交わるのは大きな喜び。
    >
    > でも人間どうしがそうだったら、神様ご自身の交わりに招き入れられるというのは、なんという素晴らしいことでしょう。私たちの理解だけではなく、想像をはるかに超えることだと思います。
    >
    > その意味では、聖ヨハネが言っている「神は愛である」というのは、人間を捉えるためにも重要なこと。愛である神様に創られた人間は、愛のために創られたのですから。


    バロン司教は動画の中で、岩や植物から始めて、生物、人間のあらゆるコミュケーション、素粒子からマクロの宇宙まで、すべてのものが、みごとなコミユニケイティングとイメージメイキングであって、自らをコミユニケーティングしている。それは究極のコミユニケーティングとイメージメイキングである神を映し出しているのだと。神自らのコミユニケーティングが三位一体の神、それはまさに愛そのものだと。

引用返信/返信 削除キー/

次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -