| knowing itselfさんこんばんは
それにしても、予定説が、こんなに皆さんから批判を受けることになろうとは 思ってもみませんでした。
自分としては、むしろ、論理的だし、自力、つまり、自分の力ではなく神の御意思、恩寵が反映されることがはっきりしてて最高の教説だと思っていたのですが、とても残念でなりません。
まあ、結果については、最後の審判が行われるときに明確になると思いますが、 論理的に言って三位一体の神の愛が、最終的には、勝利すると感じています。
> 予定説そのものが批判されているわけではなく、「二重」予定にして滅びも救いと同じレベルで、前もって決定されるとするなら、それはほとんどの教派から拒否されるでしょうね。
なるほど、ただ、誰かを救うことを予定すると言う事は、当然の成り行きとして 誰かを滅ぼすことになるのではないかなと思うんです。
救済か絶滅かどちらか一方しか答えはないと思うのですが、如何でしょうか。 >>「2.012 論理においては何ひとつ偶然ではない。あるものがある事態のうちに現れるならば、その事態の可能性はすでにそのものにおいて先取りされていなければならない。」
> 仮に、あるものが現れることが何ひとつ偶然ではない、といえるとして、「二重」予定説までもがそこから帰結されるとする理由がわかりません。
神が予定されているのだから、当然に二重予定なのではないのかなと思いました。
|