| 勿忘草さんへ
> なかなか、三位一体は、難しいですが、カルヴァンにおいて予定論は出発点ではないのだとか。後世のカルヴィニストは予定論あるいは聖定論を神学体系の公理のように、これを先ず確定して、そこから他の教理条項を導き出そうとしたのですが。 > > カルヴァンはそうではない。予定論の位置も最初ではなく、救いについて論じた後である。これだけの神からは、豊かな救いが差し出されているのに、なお滅びのうちに留まる人があるのは何故か。 > > それは、予定があるからである、と考えるほかないというロジックのようです。 > > では、予定論は経験的事実から割り出した理論であるかと言えば、カルヴァンはそのような推論による教理の定立はしないものであり、これは聖書の神の言葉からの帰結であるというようです。 > > やはり、knowing itselfさんの仰るように、神が積極的にある人を滅びに定めているとしたわけではないようです。 > > 自分としては、二重予定説として、宇宙の初めから、救済は定まっていると思っていたのですが、滅びを定めていたのではないのですね。
アメリカで最も読まれていて定評のある神学書の一つ、Systematic theology 著者Wayne Grudemが手元にあります。著者はカルバン的な福音派の人です。
「二重予定説」は誤解を招く、不正確なフレーズなので注意を要すると書いてあります。救済と滅びのそれぞれで、予定の意味が違うからだそうです。第一に救済の原因は神にあるが、滅びの原因は人間にあると。第二に救済の根拠は神の恵みだが、滅びの根拠は神の正義だと。
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