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■12312 / inTopicNo.13)  「なぜ私たちは神を信じるのか」
  
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/01(Sat) 17:41:31)
    YouTubeの翻訳機能を使っても、おかしな訳に変換されることがほとんどです

    バロン司教の動画には日本人が翻訳して字幕をつけたのがいくつかあります。そちらは比較的まとも。

    https://youtu.be/qP2rLgrBtTI
引用返信/返信 削除キー/
■12306 / inTopicNo.14)  勿忘草さん
□投稿者/ toll -(2021/05/01(Sat) 10:49:46)


    震度5 の揺れ 被害のないようにと願います

引用返信/返信 削除キー/
■12305 / inTopicNo.15)  Re[26]: バロン司教
□投稿者/ toll -(2021/05/01(Sat) 10:09:31)

    バロン司教について調べても
    あまり出てこないですね
    英語で検索すれば もっと沢山出て来るかもしれませんが
    内容が読めないので^^諦めました

    最先端を行く人との印象を受けましたが
    カトリック内部からは
    革新派 と捉えられているようですね
    現場主義的な様子で好印象です^^

    こんなのがありました
    引用させて頂きます

    最近の会議での評判でしょうか?



    ーー引用ーー

    (マイケル・J・マットによるまえがき)
    2020年8月
    大司教様、
    おそらく、あなたはこの件を興味深く思われることでしょう。ご存知のように、ロバート・バロン司教は米国で最悪の司教でないのは確かです。私は過去に彼のいくつかの講演から恩恵を受けてきましたので、彼の誠実さに疑問を投げかけたくはありません。しかし、彼が最近投稿した第二バチカン公会議についての捉え方には、ここで詳細に述べているように、多くのレベルで問題があると感じています。
    このイニシアティブが開始されたことが、この同じテーマに関するあなた自身の最近の手紙の数々と何らかの関係があったかどうか私にはわかりません。しかしこのイニシアティブは、第二バチカン公会議の悲惨で、また拘束力に欠ける様々な新奇性に対する伝統的なカトリックの抵抗に対して、(それを中傷するとは言えないまでも)、それを不適切なものとさせようとする見え透いた試みのように、私には見えるのです。
    バロン司教と「Word on Fire」【米ロサンゼルス大司教区の補佐司教である同司教を支援するメディア使徒職やそのウェブサイトのこと】のチームが行う主張に対するあなたの反応を私はぜひ知りたいと思います。もしそれを読者の皆さんにもご紹介することをお望みでしたら、喜んで公開させていただきます。あなたに天主の祝福がありますように、マリア様があなたを守られますように。
    王たるキリストにおいて
    マイケル・J・マット

    ttps://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/a321e61efb5363291e9c2c802ff235e4




    「Word on Fire Ministries」(人々を信仰に立ち戻させるためにメディアを活用しようとする”メディア使徒職”の組織)の創設者、福音宣教の現代的な形として科学技術の活用を主唱する米国での先覚者として広く知られたロバート・バロン司教によるものだった。彼は、若者たちにもっと合うように教会の護教学、信仰教育を刷新するよう提唱。現在の信仰教育のプログラムが”反知性的”なっていることを嘆き、新たな護教学−”上位下達”でなく”下位上達”の形をとる−の必要を指摘。「私たちの司牧活動に、傲慢に改宗させるやり方が合わないのは、はっきりしていると思いたい。同じようにはっきりしていると思いたいのは、知的で、敬意をこめた、(その地の)文化を大切にした、信仰についての説明(私たちの中にある希望に理由を与えるような)が確かに、切実に求められている、ということです」

    ttps://catholic-i.net/bachikan/・全体会議2日目:性的虐待、lgbt、移民・難民な/

引用返信/返信 削除キー/
■12302 / inTopicNo.16)  バロン司教
□投稿者/ toll -(2021/05/01(Sat) 09:56:56)

    横レス 失礼します


    No12295に返信(愛満開さんの記事)
    > knowing itselfさん こんばんは
    >
    > >>特に最後の「私達はその神の子羊に顔と顔を合わせて会えるのです。その神の子羊は、私達を愛し、私たちが永遠に天にてご臨在を楽しむことができるようにと、ご自分を犠牲にされたのです。」
    > >>
    > >>というところが、イエス様の十字架の贖罪の意味が読み取れるようで大変分かりやすかったです。
    >>
    >>https://youtu.be/5l-Lv9tGQwI
    >>
    >>最後の方で、三位一体の神の喩えとして、神が鏡に映る自分自身の完璧な像を見ていることを挙げています。神が鏡をみて愛のため息をもらす。神が父で、像が子=イエス、愛のため息が聖霊です。天とは、この三位一体の神の交わりのど真ん中に招き入れられることだと思います。パウロに限らず、そこしかゴールはないでしょう。
    >>
    >>天とは何処かという問いを別にしても、バロン司教のこの動画は三位一体の説明として秀逸だと思います。
    >
    > なるほど、ありがとうございます。
    >
    > 神様はお一人だが、唯一の神でありながら父と子と聖霊でもあり父と子と聖霊は、永遠に愛し合っているということでしょうか。
    >
    > 神様は、愛に出会うために他の相手を必要としない。神様は完全だから、私たち人間とか被造物を全然必要としないのでしょう。
    >
    > 神様が宇宙万物を創られたのは、それを必要とされたからではなく、父と子と聖霊の愛が溢れ出て、三位一体以外の相手を創ろうとされたからかもしれません。
    >
    > そして、その相手である人間も愛のために創られたと言えると思います。
    >
    > 「神はその一人子をお与えになるほど、世を愛された」。
    >
    > 人間の本当の充実というか完成は愛のうちにあるのであり、実際、経験でも、人間は深く愛し愛される時こそ、本当の特別な喜びを感じます。
    >
    > それは、人間存在の目的をそこで達しているということの表れですが、それは人間どうしの愛だけではなく、神様ご自身、父と子と聖霊が愛し合って、その交わりの中へ人間を招き入れようとされているのだと思います。
    >
    > そう考えてみると、これは凄いことだと思う。親しい友達のグループ仲間に入れてもらって、皆と同じように親しく交わるのは大きな喜び。
    >
    > でも人間どうしがそうだったら、神様ご自身の交わりに招き入れられるというのは、なんという素晴らしいことでしょう。私たちの理解だけではなく、想像をはるかに超えることだと思います。
    >
    > その意味では、聖ヨハネが言っている「神は愛である」というのは、人間を捉えるためにも重要なこと。愛である神様に創られた人間は、愛のために創られたのですから。




    英語が判らない私のために訳を載せて頂き
    ありがとうございました
    再生スピードを落として
    英語の字幕を見ても
    想像すら出来ない内容です
    ご厚意に感謝いたします

引用返信/返信 削除キー/
■12300 / inTopicNo.17)  第2バチカン公会議
□投稿者/ toll -(2021/05/01(Sat) 09:27:35)


    愛満開 様 おはようございます


    No12294に返信(愛満開さんの記事)
    > tollさんこんばんは。
    >
    >>カトリックさんの問題みたいですからね
    >>何百年ぶりかの公会議が開かれて
    >>現在に則した教義になればいいのかもしれませんね
    >
    > 第2バチカン公会議は、なかなか大変だったみたいですね。
    > Wikipediaに出ていましたが、何か、聖書を解釈することの難しさを感じます。




    カトリックの公会議は20世紀に開かれていたのですね
    あははは
    どうぞ私の無知を笑って下さいませ
    てっきり何百年も開かれてなくて
    中世辺りの信条のままでいたのかと思ってました^^


    第二バチカン公会議は1962〜1965年に開催されたのですね
    大変には大変でしょうね
    世界各国そのまた各地からの召集となれば、、、
    沢山のエピソードもありそうですし^^
    映画にもなっているかもしれませんね

    開催理由がコレ↓でしょ
    俄然 興味が湧きました^^
    気付かせて下さいまして ありがとうございました


    ーーーWiki よりーーー
    1959年1月25日、教皇ヨハネ23世はサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂附属のベネディクト派修道院をふらりと訪れ、17人の枢機卿の前で突然、公会議を召集することを告げた。この教皇自身が下した決断は長い熟考の結果ではなく「予期しないところにふと訪れた春の木々の芽生えのように生まれた[2]」。
    この突然の公会議開催の発表は大きい混乱を引き起こした[3]

    ーーー中略ーーー

    このような流れの中で、つなぎの老教皇とみなされていたヨハネ23世が公会議の召集を発表したことは、カトリック教会と全世界にとって驚きと同時に大きな期待を持って迎えられた。
引用返信/返信 削除キー/
■12295 / inTopicNo.18)  Re[24]: 第三の天
□投稿者/ 愛満開 -(2021/04/30(Fri) 21:56:54)
    knowing itselfさん こんばんは

    >>特に最後の「私達はその神の子羊に顔と顔を合わせて会えるのです。その神の子羊は、私達を愛し、私たちが永遠に天にてご臨在を楽しむことができるようにと、ご自分を犠牲にされたのです。」
    >>
    >>というところが、イエス様の十字架の贖罪の意味が読み取れるようで大変分かりやすかったです。
    >
    > https://youtu.be/5l-Lv9tGQwI
    >
    > 最後の方で、三位一体の神の喩えとして、神が鏡に映る自分自身の完璧な像を見ていることを挙げています。神が鏡をみて愛のため息をもらす。神が父で、像が子=イエス、愛のため息が聖霊です。天とは、この三位一体の神の交わりのど真ん中に招き入れられることだと思います。パウロに限らず、そこしかゴールはないでしょう。
    >
    > 天とは何処かという問いを別にしても、バロン司教のこの動画は三位一体の説明として秀逸だと思います。

    なるほど、ありがとうございます。

    神様はお一人だが、唯一の神でありながら父と子と聖霊でもあり父と子と聖霊は、永遠に愛し合っているということでしょうか。

    神様は、愛に出会うために他の相手を必要としない。神様は完全だから、私たち人間とか被造物を全然必要としないのでしょう。

    神様が宇宙万物を創られたのは、それを必要とされたからではなく、父と子と聖霊の愛が溢れ出て、三位一体以外の相手を創ろうとされたからかもしれません。

    そして、その相手である人間も愛のために創られたと言えると思います。

    「神はその一人子をお与えになるほど、世を愛された」。

    人間の本当の充実というか完成は愛のうちにあるのであり、実際、経験でも、人間は深く愛し愛される時こそ、本当の特別な喜びを感じます。

    それは、人間存在の目的をそこで達しているということの表れですが、それは人間どうしの愛だけではなく、神様ご自身、父と子と聖霊が愛し合って、その交わりの中へ人間を招き入れようとされているのだと思います。

    そう考えてみると、これは凄いことだと思う。親しい友達のグループ仲間に入れてもらって、皆と同じように親しく交わるのは大きな喜び。

    でも人間どうしがそうだったら、神様ご自身の交わりに招き入れられるというのは、なんという素晴らしいことでしょう。私たちの理解だけではなく、想像をはるかに超えることだと思います。

    その意味では、聖ヨハネが言っている「神は愛である」というのは、人間を捉えるためにも重要なこと。愛である神様に創られた人間は、愛のために創られたのですから。

引用返信/返信 削除キー/
■12294 / inTopicNo.19)  Re[23]: キリスト教の外の救い 愛満開様へ
□投稿者/ 愛満開 -(2021/04/30(Fri) 21:45:24)
    tollさんこんばんは。

    > カトリックさんの問題みたいですからね
    > 何百年ぶりかの公会議が開かれて
    > 現在に則した教義になればいいのかもしれませんね

    第2バチカン公会議は、なかなか大変だったみたいですね。
    Wikipediaに出ていましたが、何か、聖書を解釈することの難しさを感じます。


引用返信/返信 削除キー/
■12293 / inTopicNo.20)  Re[24]: バチカン公会議
□投稿者/ パニチェ -(2021/04/30(Fri) 20:29:23)
    こんばんは、knowing itselfさん

    No12289に返信(knowing itselfさんの記事)

    > >>動画でバロン司教がいっているのは、↑上記を前提にした上で、第2バチカン公会議ではキリスト教を信仰していない、キリスト教の外でも、救われる可能性を認めたということです。無神論者も救われうる。良心や善意思をもって真摯に生きた場合ですが。

    >>上記のような見解あるいは聖書解釈?の正誤は何を根拠、あるいは判断基準としてなされるのでしょうか。

    > 聖書を制定したキリストの意思という他ないと思います。人間にキリストの意思がわかるのかという疑問もありますが、キリストの弟子ならある程度キリストの意思がわかる、そのキリストの弟子の直系がカトリック教会なのだから、カトリック教会にはその権限があるという立場だと思います。

    なるほど、そういうことですね。ありがとうございました。

    No12291に返信(knowing itselfさんの記事)
    >>聖書を制定したキリストの意思という他ないと思います。人間にキリストの意思がわかるのかという疑問もありますが、キリストの弟子ならある程度キリストの意思がわかる、そのキリストの弟子の直系がカトリック教会なのだから、カトリック教会にはその権限があるという立場だと思います。

    > 憲法解釈における、憲法制定権者と憲法典の関係とのアナロジーが成り立つかもしれません。

    面白い例えですね。
    旧約聖書と新約聖書は大日本帝国憲法と日本国憲法くらいの差があるようにも思えますが。。。^^
    これについてのレスはお気遣いなく。

引用返信/返信 削除キー/
■12291 / inTopicNo.21)  Re[23]: バチカン公会議
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/30(Fri) 20:10:17)
    > 聖書を制定したキリストの意思という他ないと思います。人間にキリストの意思がわかるのかという疑問もありますが、キリストの弟子ならある程度キリストの意思がわかる、そのキリストの弟子の直系がカトリック教会なのだから、カトリック教会にはその権限があるという立場だと思います。

    憲法解釈における、憲法制定権者と憲法典の関係とのアナロジーが成り立つかもしれません。
引用返信/返信 削除キー/
■12289 / inTopicNo.22)  Re[22]: バチカン公会議
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/30(Fri) 19:53:50)
    パニチェさん こんばんは

    >>動画でバロン司教がいっているのは、↑上記を前提にした上で、第2バチカン公会議ではキリスト教を信仰していない、キリスト教の外でも、救われる可能性を認めたということです。無神論者も救われうる。良心や善意思をもって真摯に生きた場合ですが。
    >
    > 上記のような見解あるいは聖書解釈?の正誤は何を根拠、あるいは判断基準としてなされるのでしょうか。

    聖書を制定したキリストの意思という他ないと思います。人間にキリストの意思がわかるのかという疑問もありますが、キリストの弟子ならある程度キリストの意思がわかる、そのキリストの弟子の直系がカトリック教会なのだから、カトリック教会にはその権限があるという立場だと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■12288 / inTopicNo.23)  Re[23]: 第三の天
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/30(Fri) 19:06:17)
    愛満開さん こんばんは

    > 特に最後の「私達はその神の子羊に顔と顔を合わせて会えるのです。その神の子羊は、私達を愛し、私たちが永遠に天にてご臨在を楽しむことができるようにと、ご自分を犠牲にされたのです。」
    >
    > というところが、イエス様の十字架の贖罪の意味が読み取れるようで大変分かりやすかったです。

    https://youtu.be/5l-Lv9tGQwI

    最後の方で、三位一体の神の喩えとして、神が鏡に映る自分自身の完璧な像を見ていることを挙げています。神が鏡をみて愛のため息をもらす。神が父で、像が子=イエス、愛のため息が聖霊です。天とは、この三位一体の神の交わりのど真ん中に招き入れられることだと思います。パウロに限らず、そこしかゴールはないでしょう。

    天とは何処かという問いを別にしても、バロン司教のこの動画は三位一体の説明として秀逸だと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■12286 / inTopicNo.24)  Re[22]: キリスト教の外の救い 愛満開様へ
□投稿者/ toll -(2021/04/30(Fri) 18:33:17)
    No12274に返信(愛満開さんの記事)
    > tollさんこんばんは。
    >
    > 「救済に関するカトリック教会本来の教えを私は知りたい。」
    > のサイトの御紹介、大変、参考になりました。
    >
    > カトリックやプロテスタントもユダヤ教も所詮は人間が営む不完全な組織なのだと思います。
    > とは言え、今は、神を信じて愛し続けることが幸福なのではないのかなと思っているところです。



    カトリックさんの問題みたいですからね
    何百年ぶりかの公会議が開かれて
    現在に則した教義になればいいのかもしれませんね
引用返信/返信 削除キー/

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