□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/03(Mon) 19:49:55)
| tollさんこんばんは。
礼拝では、信仰と行いのどちらが救いになるのかというものでした。
救いについて、パウロは、信仰によってのみ義と認められるのだと言っていますが(エペソ人への手紙2:8−9)、ヤコブは、信仰と行いによって義と認められると言っているので対立した意見のように見えます。
ある人はパウロ派の信仰のみ、ある人はヤコブ派の行いだけと両極端に分かれているようにも見えます。
ただ、信仰が無くて行いだけで救われるのなら信仰の意味もないのでしょうけど。
YouTubeに良い解説がありましたので上げておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=guwLGq3oXm8&t=7s
心に本当の信仰があれば、自然に木に実がなるように、行いは自然と現れる。
なので、信仰のみか行いなのかというものではなく、信仰があれば自然と行いがついてくると言う事です。
神は前もって準備してくださった善い行いをするために、人間を造られたのです。
そして、わたしたちがそのような善い行いをするのは自然なことなのですね。 (エフェソの信徒への手紙第2章10節)
ですから、これは一つの、心に信仰を持って告白をした人の信仰となります。そう、本当の信仰です。
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