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■11877 / inTopicNo.85)  Re[6]: 四月馬鹿さんへ
  
□投稿者/ pipit -(2021/04/14(Wed) 21:18:46)
    No.11866
    四月馬鹿さん、こんばんは〜(o^^o)

    これだけ文章にするの、集中力いりますよね。おつかれさまです♪


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■11869 / inTopicNo.86)  Re[12]: 経文
□投稿者/ おくたがわ -(2021/04/14(Wed) 12:27:48)
    No11862に返信(pipitさんの記事)
    素晴らしい経典を紹介いただき、ありがとうございます。

    (or に in が続くと投稿できないようです、なのでカタカナにした部分があります)
    you won't be ‘in that’
    を光明寺さんは
    『あなたは、それ(対境)に対して〔執着することが〕ありません』
    と訳していて
    原語では
    tattha そこで、そこに、そのとき、そのなかで
    とあって
    なるほど、執着ってのは中に入ってしまっていることか
    囚われてる ってことだから まさに入っちゃってる
    (的外れなことを書いていたらすみません)


    それにしても、

    >you won't be in this world or the world beyond or イン between the two.
    >それゆえあなたは、この世にも、あの世にも、両者の中間にも ありません。

    すごいなあ。。



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■11866 / inTopicNo.87)  Re[5]: 四月馬鹿さんへ
□投稿者/ 四月馬鹿 -(2021/04/14(Wed) 00:06:22)
    こんばんは、pipitさん。

    忙しいときにかぎっての現実逃避(息抜き)の動画メモです。

    *************

    カントは物理の研究から出発したが、彼が生きた当時には合理論VS経験論の論争があり、カントは合理論(「理性の合理的推論によって世界は正しく認識できる」)の立場だった。こうした立場に対し「私たちの理性とか人格とかいったものは、経験によって作られるに過ぎない」と主張したのが経験論。この立場は「経験によって得られた<知覚の束>こそが私たちの精神の正体なのだ」と考えた。

    例をあげるならば、私たちは日々東から昇った太陽を観察し「太陽は東から昇る」ことを自然法則だと考えるが、経験論によれば、ある日太陽が東から昇ったことと毎朝東から昇ることには直接因果関係はなく、たんに繰り返し観察した結果「太陽が東から昇った」という経験の束により、それを「自然法則」とみなしたに過ぎない。つまり私たちの作り上げた形而上学的な概念は経験によるもので、実在しないということ。

    「理性の力でなんでもできる」という合理論の立場だったカントは、ヒューム『人間本性論』にあるような、人間の精神や知識もしょせん経験によるものだという懐疑的な経験論を読んで衝撃をうけ、合理論の限界を感じ始める。カントは理性によって解くことができない問題があることに気づいた。それが『純粋理性批判』でも取り上げられている「アンチノミー」である。

    ところでカントはヒュームによって合理論の限界を感じた一方、経験論にも疑問を感じた。それは、個々人ごとのバラバラな経験はどうやってカテゴライズされたりまとめられたりするのか、また、私たちはそれぞれバラバラな経験をするにもかかわらず、純粋数学や自然科学のような経験によらない学問を生み出したりするのは、なぜだろうというものであった。

    これで8分半、やれやれフー
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■11863 / inTopicNo.88)  Re[12]: 経文
□投稿者/ pipit -(2021/04/13(Tue) 21:35:50)
    訳は個性が出て、選択する語には賛否両論などは常にありそうです。

    マインドフルネスという訳語も賛否両論かもしれません。
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■11862 / inTopicNo.89)  Re[11]: 経文
□投稿者/ pipit -(2021/04/13(Tue) 21:33:35)
引用返信/返信 削除キー/
■11860 / inTopicNo.90)  経文
□投稿者/ pipit -(2021/04/13(Tue) 21:19:10)
    比較的簡単な語で訳されてるように感じたのが、
    Bhikkhu Sujato さまの英訳
    https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato

    、、、すみません、↑の英訳を使わせてもらって投稿しようと思ったのですが、
    禁止ワードで投稿できないようですm(_ _)m


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■11856 / inTopicNo.91)  Re[9]: 遊ぶ
□投稿者/ pipit -(2021/04/13(Tue) 20:07:17)
    No.11854
    悪魔ちゃんこんばんは〜

    うん、わたしも、(一日中、遊びたいなぁ)
    の、遊ぶ、には、カント哲学のことを学ぶことも入って、思ってるよ(^_^)

    いろんなこと、思考しすぎて、わたしは遊ぶ気持ちを忘れがちかもしれないね。
    今、子どもの学費とかすごくかかってて、まだ先も長そうで(^^;
    私かだんなさんかの仕事、なくなったらやばいなー、とか
    学校に行かせてあげるためには仕事せんなあかんな、とか。

    でも、実際は今、わたしにはありがたいかんじの環境と仕事内容で、
    会社は超〜低空飛行ながら、今年一年は大丈夫そうだし?(わからんけど(^^;)

    だったら、いろんなことを遊ぶ気持ちで日々を過ごせばいいのかな?

    もったいないよね!
    (いや、実際仕事先は、こんな世界まだあったのかというミラクル異次元ワールドだよ。
    詳細は話せないけど、、、マンガみたいです、、、)

    いろいろありがとうね。
    すこし心軽くなるかな?

    あ、悪魔の仕事、大丈夫 ?
    おつかれさま !
引用返信/返信 削除キー/
■11854 / inTopicNo.92)  Re[8]: 遊ぶ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/04/13(Tue) 19:44:37)
    pipitさま、こんばんわ。

    >勉強してるときに、言われたことも言ったこともないと思うよ〜<
    わたし子どもいないから、わたしも勉強しているときに、言われたことないよ〜。

    「遊ぶ」ってどいうことなのかな〜?ってふと思っただけだから、捨て置いて。

    pipitさまは、カントの『純住理性批判』を読んで理解しようとしてるんよね?
    わたしのばあい現象学なんだけど。
    これって、遊んでるんじゃないかな〜?とも思ってる。

    ん〜ん、こうのって、なんかすっごく知的な遊びのような感じがしてる。
    誰かに強制されるようないわゆる「勉強」的なんじゃなくて。

    そして、こういうのって自由意志とも思ってる。
    だって、pipitさまは『純粋理性批判』を読みなさい、って誰かに言われて(強制されて)そうしてるんじゃないんじゃないの? ん、ちがう?





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■11849 / inTopicNo.93)  Re[7]: 遊ぶ
□投稿者/ pipit -(2021/04/12(Mon) 21:34:41)
    悪魔ちゃん、こんばんは〜

    No11846に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > pipitさま、ちょっと気になったとこあるので、お邪魔しま〜す。
    >
    > >あぁ、遊んで毎日暮らしたい。と、子供時代を思い出しながら<
    > っていうとこ。
    >
    > ねえ、pipitさまが子どものころ、またはpipitさまが子どもに、
    > 子どもが机に向かって勉強してるときに、「なに遊んでるのよ」って言われたり言ったりしたことあります?<

    勉強してるときに、言われたことも言ったこともないと思うよ〜。


引用返信/返信 削除キー/
■11846 / inTopicNo.94)  Re[6]: 遊ぶ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/04/12(Mon) 20:21:47)
    pipitさま、ちょっと気になったとこあるので、お邪魔しま〜す。

    >あぁ、遊んで毎日暮らしたい。と、子供時代を思い出しながら<
    っていうとこ。

    ねえ、pipitさまが子どものころ、またはpipitさまが子どもに、
    子どもが机に向かって勉強してるときに、「なに遊んでるのよ」って言われたり言ったりしたことあります?

    わたしのばあい、
    こどものころ、そんなに>おきらく<じゃなかった気がする。
    「ニーチェクラブ」っていう場で”遊んでる”って思ってる。

    あ、これ、わたしの”ふと”ね。
    >お好きに書き込んでくださいね〜<
    っていうことで書いちゃいました〜。

    ひょっとしたらカントって、考えることを遊んでたのかも。

引用返信/返信 削除キー/
■11825 / inTopicNo.95)   四月馬鹿さんへ
□投稿者/ pipit -(2021/04/11(Sun) 16:00:49)
    No.11819
    四月馬鹿さん、こんにちは〜 
    いつもより2分ほど早く出発できました。2分ぶん、自分をほめます〜(激甘)

    あっという間に四月も三分の一過ぎてしまい(><)

    あぁ、遊んで毎日暮らしたい。。。
    と、子供時代を思い出しながら今日も運転していました。

    おきらくやったなー

    なんでもお好きに書き込んでくださいね〜、おつかれさまです!


引用返信/返信 削除キー/
■11819 / inTopicNo.96)  Re[4]: 四月馬鹿さんへ
□投稿者/ 四月馬鹿 -(2021/04/11(Sun) 10:17:54)
    おはようございます、pipitさん。

    お仕事、お疲れさまでした−(^^)/


    ************

    動画メモ続きです。

    カントが『純粋理性批判』で明らかにしたかったこと、「アプリオリな総合判断はいかにして可能か」という問いについて考えるために、その問いが生まれた背景がまとめられます。まずカントはもともと物理の研究から出発していること、また当時は合理論VS経験論という近代哲学の論争があり、カントは合理論(デカルト、ライプニッツ、スピノザ)の立場にたっていたことがあげられます。合理論とは、「理性の合理的推論によって世界は正しく認識できる」という立場。

    「合理論」として、例えばデカルトは諸々のことについて徹底的に疑い抜いた結果「そうやって疑う私は確実に存在する」(『我思うゆえに我あり』)という確信をえたが、彼はこの『我〜』命題から合理的な推論をしていけば、誰もが合意できる真理を生み出すことができると考えた。一方スピノザはその著『エチカ』で「一切の存在は神であり、神と世界は一体のもの」という汎神論を主張したが、その論証方法として、公理→定理→証明という数学的な推論を用いた。以上のような「理性の能力を正しく使えば真理がわかる」という考えが合理論。

    これに反対したのがロック、バークリ、ヒュームなどの哲学者が主張した「経験論」。経験論とは「私たちの理性とか人格とかいったものは、経験によって作られるに過ぎない」という立場。

    ・・・ようやく7分。

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