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■12298 / inTopicNo.37)  Re[18]: 四月馬鹿さんへ
  
□投稿者/ うましか -(2021/05/01(Sat) 00:56:46)
    こんばんは。pipitさん。
    四月馬鹿あらため、うましかです。
    おじゃまします。

    >お互い、『純粋理性批判』でのカントの言いたいことを理解できますように(^_^)v

    そうですね!


    さて動画メモです。


    *******

    前回は超越論的原理論>超越論的感性論。
    今回は超越論的原理論>超越論的論理論>超越論的分析論>「概念の分析論」。

    『純粋理性批判』
    序論 ← 済
     超越論的原理論
         超越論的感性論 ← 前回済
         超越論的論理論
             超越論的分析論
                 概念の分析論 ← 今回
                 原則の分析論
             超越論的弁証論
     超越論的方法論

    人間が物事を把握する能力(認識能力)は経験だけでは説明できないと、カントは考えた。そこで彼は経験によらないアプリオリな形式に感性−悟性−理性というモデルをあたえる。「感性」とは外からの刺激(情報)を感覚器官が受け取る能力。それはアプリオリに組み込まれた時間と空間という形式に限界づけられるが、この形式があるからこそ、私たちはものの「大きさ」「奥行き」「位置関係」「運動」を把握できている。

    しかしカントによれば「感性」だけでは人間は物事を捉えられない。感性の働きによって私たちに直接与えられたものを「直観」とよぶが、これだけでは感性によって受け取ったイメージのカオスに過ぎない。私たちが物事を把握するためには、感性によって与えられた直観に「概念」を当てはめ、バラバラでカオスな直観をすっきりまとめる必要がある。この概念を当てはめる能力が「悟性」である。悟性は「カテゴリー」によって物事を捉える働きであり、4つの組に分かれた12個のカテゴリーは、私たち人間に経験に先立って純粋に備わっているという意味で「純粋悟性概念」とよばれる。

    カテゴリー表
    量のカテゴリー  ・・・ 単一性、数多性、総体性
    質のカテゴリー  ・・・ 実在性、否定性、制限性
    様相のカテゴリー ・・・ 可能性、存在性、必然性
    関係のカテゴリー ・・・ 実体性、原因性、相互性

    *******

    私はこの動画で学んでいます。
    https://www.youtube.com/watch?v=YE7d-fFT72c



引用返信/返信 削除キー/
■12157 / inTopicNo.38)  日記
□投稿者/ pipit -(2021/04/25(Sun) 13:34:28)
    そういえば、中山先生の、カントの自由論についてみたいな本を本屋さんで見たことあるなーと、検索してみました。

    https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334977580

    自由の哲学者カント
    カント哲学入門「連続講義」

    そういえば2、
    前にknowing itselfさんからも、カント哲学のキーワードとして、『自由』があることを教えていただいたなぁ。
    、、、全然たどりつけない、、、まだ、演繹論手前、、、_| ̄|○
引用返信/返信 削除キー/
■12155 / inTopicNo.39)  四月馬鹿さんへ
□投稿者/ pipit -(2021/04/25(Sun) 13:18:13)
    四月馬鹿さん、こんにちは〜(^o^)/

    >No.12146

    中山先生本、購入されたのですね!!
    中山先生の解説が各巻とても詳しく載ってるので、私は重宝しています。
    わたしも、原先生はじめ他の方の翻訳本もいろいろ見てみたいな〜

    >ところで上の説明では、感性の形式(時間と空間)をそれの「縛り」といったが、これらの形式をもっているからこそ、私たちはものの「大きさ」「奥行き」「位置関係」「運動」を把握できているともいえる。<

    帰ってきたロシュフコーさんの説明聞いてて、
    こういう、視点を変えてみるって、おもしろいなあと思いました。

    お互い、『純粋理性批判』でのカントの言いたいことを理解できますように(^_^)v

引用返信/返信 削除キー/
■12146 / inTopicNo.40)  Re[16]: 四月馬鹿さんへ
□投稿者/ 四月馬鹿 -(2021/04/24(Sat) 23:52:20)
    こんばんは。pipitさん
    おじゃまします。

    本日、中山元訳7冊を購入いたしました〜

    さて動画メモ続きです。

    ********

    前回は「序論」。今回は超越論的原理論の「超越論的感性論」。

    『純粋理性批判』
    序論 ← 前回済
     超越論的原理論
         超越論的感性論 ← 今回
         超越論的論理論
             超越論的分析論
                 概念の分析論
                 原則の分析論
             超越論的弁証論
     超越論的方法論

    人間の物事を把握する能力を「認識能力」とすれば、それは「経験」だけでは説明できない。とすれば経験以外にも経験によらないアプリオリな形式があるのではないか。そこでカントは人間の「認識装置」について徹底的に考察した。では人間はいかにして物事を認識するのか。

    カントは人間の認識能力について感性−悟性−理性という基本的モデルをたてる。まず「感性」とは何か。これについて説明されるのが「超越論的感性論」。ちなみに、以降「超越論的」いう言葉が頻出するが、帰ってきたロシュフコーさんによれば、これは「経験論では説明できないもの」「経験に先立って存在するもの」という意味。つまり「超越論的感性論」とは、経験に先立って存在する私たちの感性の働きについて論じたパート。

    さて私たちは目や耳といった感覚器官を通じて外からの刺激を(情報として)取り込む。この外からの刺激を感覚器官が受け取る能力を「感性」とよぶ。カントによれば感性には時間と空間という形式がある。人間は物事を認識するさいに、時間と空間に縛られた(限界づけられた)形で認識する。こうした感性の働きによって私たちに直接与えられたものを「直観」とよぶ。

    ところで上の説明では、感性の形式(時間と空間)をそれの「縛り」といったが、これらの形式をもっているからこそ、私たちはものの「大きさ」「奥行き」「位置関係」「運動」を把握できているともいえる。これらの形式は、私たちの感覚能力(感性)にアプリオリに組み込まれた仕組みなのである。


    15分こえた! 残り約10分だ〜

引用返信/返信 削除キー/
■12108 / inTopicNo.41)  マジモンさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/04/23(Fri) 16:05:00)
    おつかれさま〜

    書き込みありがとうでした〜! (^o^)/
引用返信/返信 削除キー/
■12107 / inTopicNo.42)  Pipitさんへ
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/04/23(Fri) 11:00:58)
    どうも、Pipitさんと歯車が合わないイメージがありますので、
    これにて、失礼します。
    私の方のトピには、ぜひ参加してください。
    ありがとうございました。

    お茶目なマジモンより
引用返信/返信 削除キー/
■12102 / inTopicNo.43)  マジモンさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/04/22(Thu) 23:40:41)
    はい、こんばんわ、マジモンさん。


    > こんばちわ、Pipitさん
    >
    > 感想です。(´Д`)
    >
    > 私自身、言葉が弱いんだなと思いましたね。
    > 決定論と非決定論…、
    > 居場所が確保されているというより〜、シュレディンガーの猫は事実ですね。
    >
    > 自由意志の世界で生きていかなければならないとは思いますが
    > 実の所、私は既に量子力学的思考で金儲けをしています。
    > 私のようなタイプの金の亡者は結構いると思います。
    > しかし、これに関しては、訓練が必要と感じます。<

    非決定論で、自由意志で世界を切り開いていくのかな?

    お幸せにね (^_^)
引用返信/返信 削除キー/
■12100 / inTopicNo.44)  四月馬鹿さんへ
□投稿者/ pipit -(2021/04/22(Thu) 23:35:28)
    No.12088
    四月馬鹿さん、こんばんは〜、おつかれさまです(^_^)

    > 私の手元にあるのは買ったばかりの原佑訳の3冊(平凡社ライブラリー)です。<


    教えていただいて嬉しいです!
    ちゃんと3冊揃えられたのですね!
    私と一緒〜、(私はまだ通読できてないけど)、中山先生本を最終巻まで買いました。
    (^_^)v

    ややこしすぎてイヤになるけど、わかりたい気持ちにもなる。。。
    し、私的には、すごく感動することもある

    やっかいだなぁと思う時もありますf^_^;

    まとめ作業おつかれさまです!おやすみなさーい☆彡
引用返信/返信 削除キー/
■12096 / inTopicNo.45)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2021/04/22(Thu) 23:21:32)
    悪魔ちゃん、こんばんは!(^o^)/
    No12084に返信
    > pipitさま、
    > ■12073の、
    > >Now these sciences, ‥‥<
    > の「sciences」って、わたし「科学」って訳しちゃうんだけど、
    > これじゃだめ?<

    カントの原文見てみたら、『学』は、『Wissenschaften』という単語を使ってるのかな?って感じだったよ。

    それで、悪魔ちゃんの思う『科学』と、カントの使った『Wissenschaften』が、同じ意味合いかどうかは、私にはわからないです。ごめんねm(_ _)m

    コトバンクさんに『Wissenschaften』の項目があったよ。引用するね。


    Wissenschaft

    世界大百科事典内のWissenschaftの言及

    【科学】より

    …ヨーロッパ語としてはフランス語に取り入れられたのが早く,17世紀初期に英語としても定着した。ドイツ語ではこれにWissenschaftという訳語を当てた。したがって,フランス語圏,英語圏,ドイツ語圏,さらには時代によってもその意味内容は微妙にくい違う。…

    【社会科学】より

    …科学という語の最もゆるやかな(したがって広い)規定はこれを学問一般と同一視する用法で,自然科学,社会科学,人文科学をすべて科学と呼ぶ用法はそれにあたる。ドイツ語のWissenschaftという語はしばしばそのような使われ方をし,この場合には人文科学の中に含まれる形而上学や文献学Philologieや思想史history of ideas,Geistesgeschichteなどもすべて科学の名で呼ばれることになる。科学の語をこのようなゆるい意味に用いるときは,社会科学を科学と呼ぶことに問題を生ずる余地はないが,社会科学が方法的に自然科学から強いインパクトを受けつづけてきた事実を考えると,社会科学における〈科学〉の意味をもっと厳格に解するべきだとする意見がでてくる可能性がある。…

    【体系】より

    …近代ヨーロッパ哲学には,真の知は必ずその根拠を有し,したがってすべての知はその根拠づけの連関をたどって究極の根拠にまでさかのぼる一つの組織のうちにあり,知は必然的に〈体系知〉となるべきだ,という考え方があった。ドイツ観念論の時代にWissenschaft(学)という言葉,しかももっぱら単数形のこの言葉が愛用されたが,それはこの言葉がWissen(知)に集合を示す後綴‐schaftが付されており,〈組織化された知〉つまり〈体系知〉を指すのに好都合だったからである。この時代には,哲学はいっさいの断片的な知識を一つの体系知に組織するWissenschaftであるべきだと考えられていたのである。…

    ※「Wissenschaft」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

    出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 』



    カントの『純粋理性批判』のかなり最後の方に、この『学』についてのカントの考え方が記されてるみたい。

    光文社古典新訳文庫の中山元先生訳では、第7巻のp225(B860あたり)〜

    で、少しだけ中山先生の訳文を抜粋引用するね。

    『このような体系的な統一があってこそ、一般的な認識を初めて〈学〉に構築することができるのであり、』

    『体系とは、多様な認識が一つの理念のもとで統一されることを意味する。』

    『すべての部分は、この目的における統一にかかわるのであり、この目的理念においてたがいに関連しあう。』

    『だからこの全体的な体系はたんに集積されたものではなく、内的な構造をもつものである。』

    『これは動物の身体のようなものであり、成長するときに新たな肢体が追加されることはなく、[それぞれの肢体の]比率を変えずに、それぞれの肢体がその目的に合わせて、さらに強くなり、逞しくなるだけなのである。』

    『あらかじめ一つの理念を根拠とせずに、学を構築しようと試みた者はいない。しかし学が構築されてみると、そうした図式が、学を構築しようと試みた者の理念と一致していることは、さらに最初に示した定義と一致していることは、きわめて稀である。というのはこの理念は、理性のうちに萌芽のように存在するものであり、この萌芽においてはすべての部分はまだ十分に発達しないままに秘して蔵されていて、顕微鏡で調べてみても、見分けることができないほどに隠されているからだ。』

    『きわめて残念なことなのだが、わたしたちが学の理念を明るい光のうちで初めて眺めることができ、その学の全体を理性の目的にしたがって、建築術的に設計できるようになるまでは、長い時間がかかる。わたしたちは自分のうちにひそんだままになっている理念の指示に導かれて、関連のある多数の認識を断片的に寄せ集め、さらに長い時間をかけて、技術的に組み立てた後で、やっと建築術的に学を設計できるようになるものである』

    『わたしたちはここでは、自分の仕事、すなわち純粋理性に基づいて、すべての認識を設計するための建築術を構想するという仕事を完成することだけで満足しよう。』

    初めて目を通したかも。
    悪魔ちゃん、キッカケをありがとうね!
引用返信/返信 削除キー/
■12091 / inTopicNo.46)  Re[32]: マジモンさんへ
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/04/22(Thu) 21:03:44)
    No12080に返信(pipitさんの記事)
    > はい、こんにちは〜、マジモンさん(^_^)
    > そして、
    > 決定論の支配下では自由意志は居場所を持ち得ないが、
    > 非決定論の支配下では自由意志の居場所が確保されてる、
    >
    > ということをおっしゃってるのでしょうか??

    > そして、現代の科学は量子力学にシフトするので、
    > わたしたちは自由意志のある世界として生きていけばいい、とおっしゃっているのでしょうか?

    こんばちわ、Pipitさん

    感想です。(´Д`)

    私自身、言葉が弱いんだなと思いましたね。
    決定論と非決定論…、
    居場所が確保されているというより〜、シュレディンガーの猫は事実ですね。

    自由意志の世界で生きていかなければならないとは思いますが
    実の所、私は既に量子力学的思考で金儲けをしています。
    私のようなタイプの金の亡者は結構いると思います。
    しかし、これに関しては、訓練が必要と感じます。
引用返信/返信 削除キー/
■12088 / inTopicNo.47)  Re[14]: 翻訳本
□投稿者/ 四月馬鹿 -(2021/04/22(Thu) 20:00:25)
    こんばんは。pipitさん。
    おじゃまします。

    私の手元にあるのは買ったばかりの原佑訳の3冊(平凡社ライブラリー)です。

    *********

    さて動画メモ続き。

    カント『純粋理性批判』の中心テーマである「アプリオリな総合判断はいかにして可能か?」という問いを考える。動画では、この問いにある「アプリオリ」、「総合判断」という二つの言葉についてそれらの対義語(「アポステリオリ」「分析判断」)とともに解説される。

    総合判断は、「AはBである」という文において、主語の概念Aに述語の概念Bがふくまれていないことがわかる判断であり、「7+5=12」(「7+5」は「12」である)のように、AとBが合体して新たな意味が生まれる判断。これに対しAにBがふくまれる判断を分析判断とよぶ。

    アプリオリは「先なるもの」という意味。何かを知る場合、観察や経験を通して知られるのではなく(カントのいう「経験によらない」=「純粋」)、数学的な推論や証明を通して知られるものをカントはアプリオリな知識とよび、経験によって知られるもの、すなわちアポステリオリ(「後なるもの」)な知識と区別する。

    アプリオリ−アポステリオリ、総合判断−分析判断という4つの言葉をそれぞれ組み合わせると次の4つの判断ができあがる。
           アプリオリ       アポステリオリ
    分析  アプリオリな分析判断   アポステリオリな分析判断
    総合  アプリオリな総合判断   アポステリオリな総合判断

    これらにあてはまるものをあげると、
           アプリオリ       アポステリオリ
    分析  アプリオリな分析判断  アポステリオリな分析判断
        ・合理論            ・×(判断とは認められず)
    総合  アプリオリな総合判断  アポステリオリな総合判断
        ・純粋数学           ・経験論
        ・純粋自然科学
        ・形而上学

    カントにとって、純粋数学、純粋自然科学、形而上学は「アプリオリな総合判断」に基づく。この判断はいかにして可能かという問いに答えたのが『純粋理性批判』。この<純粋理性批判>とは「純粋理性」=「経験に頼らないアプリオリな総合判断をする能力」について徹底的に吟味して考えてみるという試み。純粋理性の可能性を知ることで純粋数学や純粋自然科学、形而上学の可能性を知ることができる。これはつまり、人間の知ることができるものの限界がわかるということ。以上が『純粋理性批判』の序論。



    13分超えた、やっと半分か〜
引用返信/返信 削除キー/
■12084 / inTopicNo.48)  Re[34]: カント
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/04/22(Thu) 18:39:01)
    pipitさま、
    ■12073の、
    >Now these sciences, ‥‥<
    の「sciences」って、わたし「科学」って訳しちゃうんだけど、
    これじゃだめ?


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