| こんぱんは、pipitさん。 おじゃまします。
昨夜、動画の続きを少し視てみましたのでメモ書きです。
帰ってきたロシュフコーさんによれば、『純粋理性批判』のカントの世界観をあらわすキーワードとして(人間の外にあるもの、認識不可能なもの、人間の限界としての)「物自体」と(私たちの認識が対象に従うのではなく、むしろ対象のほうが私たちの認識に従わねばならないという)「コペルニクス的転回」があげられる。だがカントがこの書物で言いたかったことはそのようなことではなくて、実は「アプリオリな総合判断はいかにして可能か?」という問いに明確な答えを与えることに尽きるとのこと。
この「アプリオリな総合判断はいかにして可能か」という問いについて考える準備として、帰ってきたロシュフコーさんは合理論VS経験論の近代哲学の論争をとりあげる。これはカントが生きていた当時の論争だが、もともとカントは物理の研究から出発したようで、そこからライプニッツやデカルト、スピノザを学び合理論の立場にたったようである。ちなみに合理論とは「理性の合理的推論によって世界は正しく認識できる」という立場。
ふーこれでやっと6分くらい。先は長いな。
|