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■11862 / inTopicNo.13)  Re[11]: 経文
  
□投稿者/ pipit -(2021/04/13(Tue) 21:33:35)
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■11863 / inTopicNo.14)  Re[12]: 経文
□投稿者/ pipit -(2021/04/13(Tue) 21:35:50)
    訳は個性が出て、選択する語には賛否両論などは常にありそうです。

    マインドフルネスという訳語も賛否両論かもしれません。
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■11866 / inTopicNo.15)  Re[5]: 四月馬鹿さんへ
□投稿者/ 四月馬鹿 -(2021/04/14(Wed) 00:06:22)
    こんばんは、pipitさん。

    忙しいときにかぎっての現実逃避(息抜き)の動画メモです。

    *************

    カントは物理の研究から出発したが、彼が生きた当時には合理論VS経験論の論争があり、カントは合理論(「理性の合理的推論によって世界は正しく認識できる」)の立場だった。こうした立場に対し「私たちの理性とか人格とかいったものは、経験によって作られるに過ぎない」と主張したのが経験論。この立場は「経験によって得られた<知覚の束>こそが私たちの精神の正体なのだ」と考えた。

    例をあげるならば、私たちは日々東から昇った太陽を観察し「太陽は東から昇る」ことを自然法則だと考えるが、経験論によれば、ある日太陽が東から昇ったことと毎朝東から昇ることには直接因果関係はなく、たんに繰り返し観察した結果「太陽が東から昇った」という経験の束により、それを「自然法則」とみなしたに過ぎない。つまり私たちの作り上げた形而上学的な概念は経験によるもので、実在しないということ。

    「理性の力でなんでもできる」という合理論の立場だったカントは、ヒューム『人間本性論』にあるような、人間の精神や知識もしょせん経験によるものだという懐疑的な経験論を読んで衝撃をうけ、合理論の限界を感じ始める。カントは理性によって解くことができない問題があることに気づいた。それが『純粋理性批判』でも取り上げられている「アンチノミー」である。

    ところでカントはヒュームによって合理論の限界を感じた一方、経験論にも疑問を感じた。それは、個々人ごとのバラバラな経験はどうやってカテゴライズされたりまとめられたりするのか、また、私たちはそれぞれバラバラな経験をするにもかかわらず、純粋数学や自然科学のような経験によらない学問を生み出したりするのは、なぜだろうというものであった。

    これで8分半、やれやれフー
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■11869 / inTopicNo.16)  Re[12]: 経文
□投稿者/ おくたがわ -(2021/04/14(Wed) 12:27:48)
    No11862に返信(pipitさんの記事)
    素晴らしい経典を紹介いただき、ありがとうございます。

    (or に in が続くと投稿できないようです、なのでカタカナにした部分があります)
    you won't be ‘in that’
    を光明寺さんは
    『あなたは、それ(対境)に対して〔執着することが〕ありません』
    と訳していて
    原語では
    tattha そこで、そこに、そのとき、そのなかで
    とあって
    なるほど、執着ってのは中に入ってしまっていることか
    囚われてる ってことだから まさに入っちゃってる
    (的外れなことを書いていたらすみません)


    それにしても、

    >you won't be in this world or the world beyond or イン between the two.
    >それゆえあなたは、この世にも、あの世にも、両者の中間にも ありません。

    すごいなあ。。



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■11877 / inTopicNo.17)  Re[6]: 四月馬鹿さんへ
□投稿者/ pipit -(2021/04/14(Wed) 21:18:46)
    No.11866
    四月馬鹿さん、こんばんは〜(o^^o)

    これだけ文章にするの、集中力いりますよね。おつかれさまです♪


引用返信/返信 削除キー/
■11882 / inTopicNo.18)  おくたがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/04/14(Wed) 22:52:31)
    No11869に返信(おくたがわさんの記事)
    > ■No11862に返信(pipitさんの記事)
    > 素晴らしい経典を紹介いただき、ありがとうございます。
    >
    > (or に in が続くと投稿できないようです、なのでカタカナにした部分があります)
    > you won't be ‘in that’
    > を光明寺さんは
    > 『あなたは、それ(対境)に対して〔執着することが〕ありません』
    > と訳していて
    > 原語では
    > tattha そこで、そこに、そのとき、そのなかで
    > とあって
    > なるほど、執着ってのは中に入ってしまっていることか
    > 囚われてる ってことだから まさに入っちゃってる
    > (的外れなことを書いていたらすみません)
    >
    >
    > それにしても、
    >
    > >you won't be in this world or the world beyond or イン between the two.
    > >それゆえあなたは、この世にも、あの世にも、両者の中間にも ありません。
    >
    > すごいなあ。。<


    そこらへんの文章、カッコいいですよね (^_^)v ☆彡
    喜んでもらえて嬉しいです、こちらこそありがとうございます♪
引用返信/返信 削除キー/
■11928 / inTopicNo.19)  Re[6]: 四月馬鹿さんへ
□投稿者/ エフニ -(2021/04/17(Sat) 00:51:39)
    No11866に返信(四月馬鹿さんの記事)
    > こんばんは、pipitさん。
    >
    > 忙しいときにかぎっての現実逃避(息抜き)の動画メモです。
    >
    > *************
    >
    > カントは物理の研究から出発したが、彼が生きた当時には合理論VS経験論の論争があり、カントは合理論(「理性の合理的推論によって世界は正しく認識できる」)の立場だった。こうした立場に対し「私たちの理性とか人格とかいったものは、経験によって作られるに過ぎない」と主張したのが経験論。この立場は「経験によって得られた<知覚の束>こそが私たちの精神の正体なのだ」と考えた。
    >
    > 例をあげるならば、私たちは日々東から昇った太陽を観察し「太陽は東から昇る」ことを自然法則だと考えるが、経験論によれば、ある日太陽が東から昇ったことと毎朝東から昇ることには直接因果関係はなく、たんに繰り返し観察した結果「太陽が東から昇った」という経験の束により、それを「自然法則」とみなしたに過ぎない。つまり私たちの作り上げた形而上学的な概念は経験によるもので、実在しないということ。
    >
    > 「理性の力でなんでもできる」という合理論の立場だったカントは、ヒューム『人間本性論』にあるような、人間の精神や知識もしょせん経験によるものだという懐疑的な経験論を読んで衝撃をうけ、合理論の限界を感じ始める。カントは理性によって解くことができない問題があることに気づいた。それが『純粋理性批判』でも取り上げられている「アンチノミー」である。
    >
    > ところでカントはヒュームによって合理論の限界を感じた一方、経験論にも疑問を感じた。それは、個々人ごとのバラバラな経験はどうやってカテゴライズされたりまとめられたりするのか、また、私たちはそれぞれバラバラな経験をするにもかかわらず、純粋数学や自然科学のような経験によらない学問を生み出したりするのは、なぜだろうというものであった。
    >
    > これで8分半、やれやれフー


    いつもロムしています。

    続きが楽しみです。
引用返信/返信 削除キー/
■11939 / inTopicNo.20)  Re[7]: 四月馬鹿さんへ
□投稿者/ 四月馬鹿 -(2021/04/17(Sat) 10:26:02)
    おはようございます。pipitさん
    おじゃまします。

    エフニさん、はじめまして。
    ロムしていただいているとのこと。ありがとうございます。

    私がメモをこころみているのが下の動画です。帰ってきたロシュフコーさんという方によるものです。

    https://www.youtube.com/watch?v=YE7d-fFT72c

    ***********

    カントの出発点は物理の研究であり、立場的には「理性の合理的推論によって世界は正しく認識できる」とする合理論。当時は合理論VS経験論という論争があったが、カントはヒュームの経験論に衝撃を受け、合理論の限界を感じ始める。しかし経験論に対しても、個々の経験はどのようにまとめられるのか、また経験によらない純粋数学や自然科学が生み出されるのはなぜかという疑問を持った。

    帰ってきたロシュフコーさん動画によれば、合理論VS経験論の論争を受けたカントの上のような疑問の「凝縮」こそ、「アプリオリな総合判断はいかにして可能か?」という問いとのこと。

    ここから動画は『純粋理性批判』の中身に入ります。まず同書の構造を確認。

    『純粋理性批判』
    序論
     超越論的原理論
         超越論的感性論
         超越論的論理論
             超越論的分析論
                 概念の分析論
                 原則の分析論
             超越論的弁証論
     超越論的方法論

    カントが「アプリオリな総合判断はいかにして可能か?」という問いを投げかけるのは「序論」。

    さて上の問いでは<アプリオリ>とか<総合判断>という言葉が使われる。動画では<総合判断>−<分析判断>、<アプリオリ>−<アポステリオリ>という対義語とのセットで、これらの言葉の解説から入ります。


    ついに中身へ突入?!
    でも時間にして30秒分ほどしかまとめていなかった…
引用返信/返信 削除キー/
■11940 / inTopicNo.21)  四月馬鹿さんへ
□投稿者/ pipit -(2021/04/17(Sat) 11:13:38)
    四月馬鹿さん、こんにちは♪(^o^)/

    No11939

    > ついに中身へ突入?!
    > でも時間にして30秒分ほどしかまとめていなかった…<


    うふふ(o^^o) 四月馬鹿さんのお気持ち、わかるかもぉ〜
    おつかれさまです♪

    わたしはこれから、本文(翻訳)読む予定してます。
    四月馬鹿さんの投稿の表記で言えば、『概念の分析論』中の
    カテゴリー表についての箇所です。
    (光文社古典新訳文庫『純粋理性批判2』中山元先生訳p76〜 、B108あたり)

    では、チャレンジしてみま〜す (^o^)/

引用返信/返信 削除キー/
■11942 / inTopicNo.22)  派生概念についての注/準カテゴリー
□投稿者/ pipit -(2021/04/17(Sat) 11:37:12)
    (光文社古典新訳文庫『純粋理性批判2』中山元先生訳p76〜 、B108あたり)
    を読んで、こういうことが書いてあるのかな?という感想を書きます。

    カントはカテゴリー表で、量、性質、関係、様態の四大部門を提示してますが、
    これらの概念は、派生的な概念や下位概念を持つと記述しています。
    ですが、『純粋理性批判』という書物においては、知性の体系を完璧にすることではなく、原理を探ることを目指してるので、
    これらを追求することはここではしない、と。
    カテゴリーのそれぞれの部門は定め、部門の内容も明確にするのだから、各概念が収まる場所を判別することは容易い、と考えてる?みたいです。
    派生的な概念の例としては、
    因果性のカテゴリーに、力、能動、受動、
    相互性のカテゴリーに、現存や抵抗、
    様態のカテゴリーに、発生、消滅、変化、
    などの『準カテゴリー(プレディカビリエン)』を追加することもできるだろう、とのこと。

    そのあたりの英訳を引用します。
    ひっかかる禁止ワードがあるかもなので、少しずつ引用します。

引用返信/返信 削除キー/
■11943 / inTopicNo.23)  Re[8]: 派生概念についての注/準カテゴリー
□投稿者/ pipit -(2021/04/17(Sat) 11:44:44)
    Translated by J. M. D. Meiklejohnさん

    カテゴリーは純粋知性(the pure understanding)の真の原始的な概念(中山先生は真の基幹的な概念と原語を訳されてます)であるが、同時に派生的な概念を持つものでもある、みたいな箇所の英訳です。

    With regard to these, it is to be remarked, that the categories, as the true primitive conceptions of the pure understanding, have also their pure deduced conceptions, which, in a complete system of transcendental philosophy, must by no means be passed over; though in a merely critical essay we must be contented with the simple mention of the fact.
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■11944 / inTopicNo.24)  Re[9]: 派生概念についての注/準カテゴリー
□投稿者/ pipit -(2021/04/17(Sat) 11:56:40)
    根源的で本源的なものを手に入れてあれば、派生概念や下位概念を追加して、知性の体系を完璧に書き出すことは容易いが
    目下の目的は知性の原理を書き出すことなので、それはまた別の機会に〜、みたいな箇所


    If we are in possession of the original and primitive, the deduced and subsidiary conceptions can easily be added, and the genealogical tree of the understanding completely delineated.

    As my present aim is not to set forth a complete system, but merely the principles of one, I reserve this task for another time.
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