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■12358 / inTopicNo.25)  うましかさんへ
  
□投稿者/ pipit -(2021/05/03(Mon) 22:17:17)
    うましかさん、こんばんは!
    わ〜い、うましかさんの探究嬉しいなぁ♪

    と、提示してくださったページなどを読んだのですが、、、

    中山先生の解説が、もう難しくてよく理解できない。。。(泣〜)

    でも、きっとばっちり該当箇所ですね!

    あきらめずに、周辺箇所を読んだりして、理解することにチャレンジしてみます。
    ありがとうございます!! (^人^)

引用返信/返信 削除キー/
■12356 / inTopicNo.26)  pipitさんへ
□投稿者/ うましか -(2021/05/03(Mon) 19:51:16)
    こんばんは。pipitさん。
    おじゃまします。

    >でも、手がかりいただいて、とても嬉しいです(o^^o)ありがとうございます!

    こちらこそ、ありがとうございます!

    私も動画メモのまとめ作業と並行しつつ、pipitさんの問いを自分ができる範囲で手探りですが整理していきたいと思います。あらためてカント『純粋理性批判』、中山元訳2、p.161を引用("〜"は強調の点の代わりです)。


    -----

    [純粋な知性の]"形而上学的な根拠づけ"において、思考の一般的な論理的な機能とカテゴリーの機能が完全に一致することで、カテゴリー一般のアプリオリな起源が明示された。これにたいして"超越論的な根拠づけ"では、カテゴリーが直観の対象一般についてのアプリオリな認識をもたらす可能性が明示されたのであった(第二十項と第二十一項参照)

    -----

    ちなみに中山元訳の「根拠づけ」は原佑訳(上巻、p.310〜p.311)では「演繹」と訳されていますね。中山もカッコで[=演繹]としてます。

    原佑訳も引用してみます。

    -----

    "形而上学的演繹"においてはカテゴリーのア・プリオリな起源は、総じて、カテゴリーと思考の一般的な論理的機能との合致において立証されたが、"超越論的演繹"においては直観一般の諸対象についてのア・プリオリな認識としてのカテゴリーの可能性が示された(第二〇項と第二十一項)。

    -----

    原佑訳は第一版と第二版が上下二段に分けて訳されています(上巻、p.249〜)が、今さらながら付け加えると、引用したのは第二版です。

    「根拠づけ」[=演繹]についてはカントが定義をあたえています。
    中山元訳2ではp.91〜で「第二章 純粋知性概念の根拠づけ[=演繹] 第一節 第一三項 超越論的な根拠づけ一般の原理について」において、法学における「権利問題」と「事実問題」をひきあいに、経験的な概念をそのまま使うことのない、権限の証明とか権利要求の証明を根拠づけ[=演繹]とよぶとしています。

    おもしろいなと思ったのは、ここを読みすすめると超越論的な根拠づけは経験的な根拠づけとの区別で論じられていること(中山元訳2、p.93〜)。

    ここから始めの問いにもどって「形而上学的な根拠づけ」の理解にむすびつけることはできるだろうか?

    *****

    とここまで書いてきたところで、なんと!

    中山元訳2、p.181の註(17)をみるために後ろをめくっているとp.319〜中山による解説が・・・(´;ω;`)ウゥゥ

    中山は巻末に詳細な解説をつけているのですね〜

    ちょっと悔しい、でもうれしい。
    解説ですら理解できるかわかりませんが…
引用返信/返信 削除キー/
■12335 / inTopicNo.27)  うましかさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/05/02(Sun) 15:41:26)
    No12332に返信
    > この問い、ちょっと興味がわいたので背伸びしてみました。
    > 「形而上学的演繹」と「超越論的演繹」という用語についてさがしたら、中山元訳第2巻、p.161に出てきました。(他にもあるかもしれません)
    >
    > 下に引用します。(-----線で区切ります)
    >
    > -----
    >
    > [純粋な知性の]形而上学的な根拠づけにおいて、思考の一般的な論理的な機能とカテゴリーの機能が完全に一致することで、カテゴリー一般のアプリオリな起源が明示された。これにたいして超越論的な根拠づけでは、カテゴリーが直観の対象一般についてのアプリオリな認識をもたらす可能性が明示されたのであった(第二十項と第二十一項参照)。
    >
    > -----<

    うましかさん、こんにちは(^o^)/♪
    すばらしっっ!
    まんま、対比されてるカントの文章じゃないですか。。。
    ありがとうございます(#^.^#)

    > 謎です。わかりません。<


    わ〜い、と、わたしも目を通しましたが、、、わたしも謎です〜、しかも、参照を参照しても、また別の参照が。。。
    でも、手がかりいただいて、とても嬉しいです(o^^o)ありがとうございます!

    とりあえず、お互いの位置関係が知りたいと思ったので、比較すると。。。


    > [純粋な知性の]形而上学的な根拠づけにおいて、思考の一般的な論理的な機能とカテゴリーの機能が完全に一致することで、カテゴリー一般のアプリオリな起源が明示された。<
    >これにたいして超越論的な根拠づけでは、カテゴリーが直観の対象一般についてのアプリオリな認識をもたらす可能性が明示されたのであった<

    形而上学的・・・カテゴリー一般のアプリオリな起源が明示された。
    超越論的・・・カテゴリーが直観の対象一般についてのアプリオリな認識をもたらす可能性が明示された。


    考察対象「A」について、
    (形)A一般のアプリオリな起源
    (超)Aが、直観の対象一般についてのアプリオリな認識をもたらす可能性



    (形)Aそのものについてのアプリオリ性の提示
    (超)そのAが、人間に直観的対象認識におけるアプリオリ(非経験的)な認識をもたらす可能性

    > pipitさんは感性論の議論(中山訳第1巻のp.79、p.83)をてがかりに「形而上学的〜」と「超越論的〜」の用語の区別をさぐっていこうということですか?参考になります!<

    私はめっちゃいいかげんなので、きっと間違いだらけの私見ですm(._.)m
    でも、何か見えてくるといいな!

    うましかさんありがとです!(^O^)/
引用返信/返信 削除キー/
■12332 / inTopicNo.28)  Re[22]: 概念の分析論
□投稿者/ うましか -(2021/05/02(Sun) 11:58:37)
    おはようございます。pipitさん。
    おじゃまします。

    >形而上学的演繹と超越論的演繹の位置関係が今ひとつはっきりわからない。
    >中山先生の本をザッと読んでみて、構成をつかめるだろうか?

    この問い、ちょっと興味がわいたので背伸びしてみました。
    「形而上学的演繹」と「超越論的演繹」という用語についてさがしたら、中山元訳第2巻、p.161に出てきました。(他にもあるかもしれません)

    下に引用します。(-----線で区切ります)

    -----

    [純粋な知性の]形而上学的な根拠づけにおいて、思考の一般的な論理的な機能とカテゴリーの機能が完全に一致することで、カテゴリー一般のアプリオリな起源が明示された。これにたいして超越論的な根拠づけでは、カテゴリーが直観の対象一般についてのアプリオリな認識をもたらす可能性が明示されたのであった(第二十項と第二十一項参照)。

    -----

    謎です。わかりません。

    pipitさんは感性論の議論(中山訳第1巻のp.79、p.83)をてがかりに「形而上学的〜」と「超越論的〜」の用語の区別をさぐっていこうということですか?参考になります!

引用返信/返信 削除キー/
■12331 / inTopicNo.29)  日記・切り替えられるかな?
□投稿者/ pipit -(2021/05/02(Sun) 11:09:26)
    さ!

    100均で買った、温泉卵つくる容器使ってみよう

    ちゃんと作れるのかな ?



引用返信/返信 削除キー/
■12330 / inTopicNo.30)  ここで戻ってみる。
□投稿者/ pipit -(2021/05/02(Sun) 11:07:11)
    No12322に返信(pipitさんの記事)
    > 形而上学的演繹と超越論的演繹の位置関係が今ひとつはっきりわからない。
    > 中山先生の本をザッと読んでみて、構成をつかめるだろうか?
    >
    > 中山先生訳本第2巻p45から目を通してみる。(B91あたり〜)
    >
    > p45
    > 概念の分析論の目的:知性の純粋な利用一般についての分析
    >
    > p48
    > 一つの原則に基づいて純粋知性概念をすべて列挙する<


    知性の原則の一側面、思考の判断の形式を体系的に抽出した、既存の一般論理学の判断表(カント的には完成版)
    から、純粋知性概念を列挙する。

    判断とは、高次の像に、ある像を統一させること。
    判断から内容を捨て、残った型が、判断表。
    型、に、残った像(統一先)、が、純粋知性概念。





    > p51
    > 対象と・・・直接関わる像 < 高次の像 (判断・さまざまな像を統一する働き=知性の働き)
    >
    > 統一する機能を完全に列挙する=知性のすべての機能の発見。
    >
    >
引用返信/返信 削除キー/
■12329 / inTopicNo.31)  超越論的
□投稿者/ pipit -(2021/05/02(Sun) 10:55:42)
    感性論では、形而上学的解明と超越論的解明の二本立て。
    (論理学では、形而上学的演繹と超越論的演繹の二本立て。)

    超越論的解明について
    『超越論的な解明とは、ある概念を一つの〈原理〉として解明することであるが、[それを〈超越論的な〉と呼ぶのは]その原理によって、他のアプリオリな総合認識の可能性が洞察されるからである。』
    中山元先生訳本第一巻p83より引用、B40あたり

    By a transcendental exposition, I mean the explanation of a conception, as a principle, whence can be discerned the possibility of other synthetical a priori cognitions.
    (J. M. D. Meiklejohnさんの英訳)

    、、、ということは、

    超越論的な演繹は、

    純粋知性概念を一つの原理として演繹(根拠づけ、権利を主張できる根拠を弁明)する試み、ってことかなあ?
引用返信/返信 削除キー/
■12327 / inTopicNo.32)  形而上学的
□投稿者/ pipit -(2021/05/02(Sun) 10:31:17)
    カントは感性論のところでこう言ってる。

    『そしてこの解明が、概念をアプリオリに与えられたものとして提示するときには、それは形而上学的な解明と呼ばれる。』
    (中山元先生訳本、『純粋理性批判1』光文社古典新訳文庫、p79、B38あたり)

    and an exposition is metaphysical when it contains that which represents the conception as given a priori.
    (J. M. D. Meiklejohnさんの英訳)


    、、、ということは、
    形而上学的演繹とは、その演繹で、その議題の概念がアプリオリに与えられたものとして提示されることになったときの呼び名、ということかな。
引用返信/返信 削除キー/
■12323 / inTopicNo.33)  Re[22]: 概念の分析論
□投稿者/ pipit -(2021/05/01(Sat) 22:43:10)

    判断、とは、知性による断定。
    断定とは、さまざまな像をある像に統一すること。
    判断の形式についての学が、一般論理学。


引用返信/返信 削除キー/
■12322 / inTopicNo.34)  概念の分析論
□投稿者/ pipit -(2021/05/01(Sat) 22:36:53)
    形而上学的演繹と超越論的演繹の位置関係が今ひとつはっきりわからない。
    中山先生の本をザッと読んでみて、構成をつかめるだろうか?

    中山先生訳本第2巻p45から目を通してみる。(B91あたり〜)

    p45
    概念の分析論の目的:知性の純粋な利用一般についての分析

    p48
    一つの原則に基づいて純粋知性概念をすべて列挙する

    p51
    対象と・・・直接関わる像 < 高次の像 (判断・さまざまな像を統一する働き=知性の働き)

    統一する機能を完全に列挙する=知性のすべての機能の発見。








引用返信/返信 削除キー/
■12320 / inTopicNo.35)  うましかさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/05/01(Sat) 22:12:14)
    うましかさん、こんばんは〜(^o^)/♪
    まとめ作業進んでますね!
    演繹論、やっぱり難解なんだなぁ(~_~;)

    。。。カント先生のせいや。。。とも思うわたしでありました。。。

    うましかさんに触発されて、今からカントの文章読んでみま〜す


引用返信/返信 削除キー/
■12314 / inTopicNo.36)  Re[19]: 四月馬鹿さんへ
□投稿者/ うましか -(2021/05/01(Sat) 18:21:20)
    こんばんは。pipitさん。
    おじゃまします。

    *******

    引き続き、超越論的原理論>超越論的論理論>超越論的分析論>「概念の分析論」。

    『純粋理性批判』
    序論 ← 済
     超越論的原理論
         超越論的感性論 ← 前回済
         超越論的論理論
             超越論的分析論
                 概念の分析論 ← 今回(続)
                 原則の分析論
             超越論的弁証論
     超越論的方法論

    カントは人間の認識能力を「経験」だけでは説明できないと考え、経験によらないアプリオリな形式として感性−悟性−理性というモデルをあたえた。アプリオリに組み込まれた時間と空間の形式によって制限された「感性」の働きによって、私たちの認識はバラバラでカオスな「直観」を与えられる。これらに「概念」を当てはめ、まとめるのが「悟性」。「悟性」は「カテゴリー」において物事を捉える働きであるが、カントにあげられた12個のカテゴリーを、経験に先立って純粋に備わっているという意味で「純粋悟性概念」とよぶ。カントはこの12個のカテゴリーをアリストテレス以来の論理学の知見から得ている。

    カテゴリー表
    量のカテゴリー  ・・・ 単一性、数多性、総体性
    質のカテゴリー  ・・・ 実在性、否定性、制限性
    様相のカテゴリー ・・・ 可能性、存在性、必然性
    関係のカテゴリー ・・・ 実体性、原因性、相互性

    ところでカントはカテゴリーの表だけではなく論理学にもとづく「判断表」も提示している。カテゴリーの表は下の「判断表」にもとづきカントがつくったもので、悟性の能力をリストアップしたもの。

    判断表
    量  ・・・ 単称的、特称的、全称的
    質  ・・・ 肯定的、否定的、無限的
    様相 ・・・ 問題的、主張的、必然的
    関係 ・・・ 定言的、仮言的、選言的

    ここまでをまとめると『物自体からの刺激を感性が受け取り、それが直観となり、それに悟性の概念(カテゴリー)が適用されて認識が成立する』(帰ってきたロシュフコーさん)となるが、ここで忘れてはならない認識についての重要な前提が、直観の一つ一つに<これは私の経験だ>とラベル貼りする仕組み。カントはこれを「超越論的統覚」(いわば自己意識)とよぶ。「超越論的統覚」によって、バラバラな直観は私の経験として認識される。

    ところで直観に純粋悟性概念が適用できるのはなぜか?これについては引き続き「超越論的演繹」で論証される(帰ってきたロシュフコーさんは、ここは難しくて解説できそうにないとのこと。残念)。
    以上、動画による「概念の分析論」解説。


    ようやく19分こえた。

    *******

    私はこの動画で学んでいます。
    https://www.youtube.com/watch?v=YE7d-fFT72c
引用返信/返信 削除キー/

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