| No10972
>カントの「アプリオリ」っていうのはなんとなくわかったんだけど、「超越論的」っていうの、何言ってるかほとんどわかんない。 わたしが読んだ中島義道さんの超越論的のを書きうつして見ます。 少し長いけど 〔超越論的transzendental この言葉は、スコラ哲学において、「一」「有」「善」「美」などアリストテレスのカテゴリーの区別を超えるあり方を表す言葉“transcendentalia”に由来する。それが、カントにおいて“transzendent”という言葉との関連において、豊かな内実をもって展開されることになった。だが、カント以降この言葉を使用しながら、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルを経てとりわけフッサールさらにアペール、ブプナーなどが本来の意味を単純化・平板化してしまった。ここでは、カントの原意に沿って述べてゆく。〕<
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(上文の短縮) 超越論的transzendental は、“transcendentalia”に由来する。 それ(transzendental)が、カントにおいて“transzendent”という言葉との関連において、豊かな内実をもって展開されることになった。 ここでは、カントの原意に沿って述べてゆく。 ↓ ↓ ↓ (pipit感想) これは、カントが従来とは違う意味で『transzendental』という言葉を使用した、ということを言ってるのかな?と思ったよ。 (まだ、先をきちんと読まなくてはわからないけど)
(参考記事) コトバンクの『超越論的』より抜粋引用 『本来「超越」に由来する語で、中世のスコラ哲学では、「一」とか「真」とか「善」は、個々の述語やカテゴリーを超えた超越論的概念transzendentaliaとされ、ドゥンス・スコトゥスはそのなかでも「存在」がもっとも普遍的で根源的な超越論的概念であるとした。 ところで、「超越論的」という語にそれまでとまったく異なった特殊な意義を与えたのがカントであって、カントは、経験的事物の認識ではなくて、そうした事物の認識を可能にする条件についての認識を超越論的とよび、経験の対象とはならない理念についての思弁的な超越的(もしくは超絶的transzendent)認識から区別した。 (略)』
コトバンクさんの記事で、今はややこしくなりそうなとこは略したよ。
頭から読解してみようと思ってるので、よかったら一緒に読んでみてね。(もちろんいやなら読まなくていいよ〜)
今日はとりあえずここで終わるね。 おつかれさま! おやすみ〜(^O^) ☆彡
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