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■11062 / inTopicNo.73)  Re[14]: カントの幼少のころ
  
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/02/14(Sun) 22:28:22)
    No11059に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > 以下、小牧さんの「カント」からの抜粋で〜す。
    >
    > 〔イマヌエル=カントは、1724年4月22日、東プロイセン、ケーニヒスベルクの城外町に生まれた。通りの名が「馬具屋通」(ザットラーガッセ)といわれたことからもわかるように、父、ヨーハン=ゲオルク=カント(1682〜1746)は、馬具職の親方であった。革でもって、馬の鞍などをつくっていた、貧しい一市民であった。母、レギーナ=ドロテーア(実家の性はロイータ)(1698〜1737)は、18歳のころ、33歳余の父と結婚して、たくさんの子ども(およそ9人ほど)をもうけた。イマヌエル(イマヌエル=カントは、はじめ、「エマヌエル」という名であった)は、父母の結婚後9年目に、第四子として生まれた。9人あまりの兄弟姉妹があったといっても、死産や若死したものが多く、わりあい長く世にあったのは、イマヌエル(カント)のほか、三人の姉妹と、一人の弟ぐらいのものであった。カントのさいごの病床につきそったのは、末妹のバルバーラだけであった。〕
    >
    > 〔18世紀といえば、すでに西欧において、産業上の資本主義が、政治上の市民革命が展開していく、まさに近代化の希望にみちた時代であった。しかし、ドイツ東北のはずれの、当時の東プロイセンは、近代化からはるかに立ち遅れた地であった。そこでは、まだ、がっちりと根をおろした前近代的なしきたりとか人間関係が支配していた。ただ、このなかで、ケーニヒスベルクは、この地域における経済上・政治上の中心地であり、海外貿易の要地であり、大学や教会をもった文化上・宗教上の中心であった。遅れた世界の中心であるとともに、進んだ世界へ通ずる門戸であった。そういう、いわば古くて新しい町の町はずれで、カントはうまれたのである。〕
    >
    > 〔東プロイセン地方には、ピエチスムス(敬虔主義)といわれるキリスト教新教(プロテスタンチズム)の一派が、つとに浸透していた。そもそも新教(プロテスタンチズム)というのは、旧教(カトリック)が、外形的な形式(教会での儀礼とか、教会への寄進など)を重視するのに対し、心からの信仰を主張したキリスト教であった。新教徒は、心からのいちずの信仰こそ真のキリスト教であるとした。ルターやカルヴァンなどによってとなえられたキリスト教改革の運動(いわゆる「宗教改革」)が、この新教のおこりである。このうち、北ドイツやプロイセンなどにひろがっていったのは、ルター派で(つつしみぶかく、神に仕えること)を尊しとするのが、このピエチスムス(敬虔主義)である。
    > そして、カントの家庭は、このピエチスムスのねっしんな信者であった。幼少のカントは、信仰深い両親から、とくに母から、強い影響を受けたのであった。〕
    >
    > 〔カントは晩年(1797年)、ある手紙の草稿に、こう書いた。
    > 「わたしの家系について誇りうることは、(職人階級の出ではありますが、)正直であり道徳的に正しいという点において模範的であった両親が、わたしに財産をこそ(しかしまた借金をも)残しませんでしたが、一つの教育を与えてくれたことです。この教育は、道徳的方面から見て、これ以上のものはありえないほどすぐれたものでした。わたしはこれを思い出すごとに、つねに深い恩恵の情を禁じ得ません。」(篠田英雄訳『カント書簡集』より)〕
    >
    > 〔またカントは、弟子のボロヴィスキーに、いくたびか、こう語ったということである。「けっして、ただの一度だって、ぼくは両親から、なにか失礼なことを聞かされる必要はなかったし、品位をおとすようなことを、両親からみせられたことはなかった。」
    > あるときのことである。父のなかまである革具屋とのあいだにトラブルがおこった。そのため、父はずいぶんと苦労した。両親は、そのことについて、家庭で話あった。しかしそのさい、たったひとことも、人をののしったり、軽べつしたりするようなことはなく、いつも相手にたいする愛と寛容とをもって、話あった。このことは、まだ子供であったカントを、いたく感動させ、生涯、かれから消えさらぬ思い出となった。〕
    >
    > 〔「マヌエルちゃん」(幼少時代の愛称)の幼少時代のことは、そうはっきりはわかっていない。カントじしんも、じぶんの幼少時代のことは、あまり語ろうとはしなかった。読み・書きのさいしょの手ほどきを、城外町養育院の学校でうけた。〕
    >
    > って小牧さんは言ってるよ。
    >
    > マヌエルちゃんは〔「流行おくれの馬鹿であるよりは、流行に合う馬鹿」であれ〕って言っていたみたい。
    >
    > また小牧さんはカントの身体につても書いてる。
    > 〔カントは体が弱かった。身長は低く、胸は扁平で、骨組みは弱く、背柱はひどく曲がり、筋力はいっそう弱かった。肉付きはわるく、肺臓は小さく、鼻はすぐ鼻カタルを起こしかねないほどであった。胃はなかなか丈夫で相当の健啖(けんたん:大食い)であったけれど、あいにく腸は、しじゅう便秘しがちであった。ただ頭脳はさすがに大きかった。視覚・聴覚・味覚などの外界感受の門口もいずれも鋭敏であった。聴覚は、詩の朗読をこのんで受け入れたが、音楽にたいしては駄目であったらしい。〕
    > って。
    >
    > マジモンさん、どう? 晩年のと幼少とので、カントの人物像?
    >
    > 昨日今日もつかれた〜。
    > コロナのせい。

    どうも、長文ありがとう、悪魔ちゃん

    品質を理解している人間だろうね。
    しかし、かなり無欲な人間で、俗にいうツマラナイ人だったかもしれない。
    人間のあるべき姿を追求した人かもしれないね。

    Pipitさんのスレの『ケーニヒスベルク(地名)の時計』って言うくらいだから、
    時間割もハッキリしていて…、誘惑に負けない人か?

    教育者だろうね。
引用返信/返信 削除キー/
■11060 / inTopicNo.74)  Re[13]: 連想そのA
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/02/14(Sun) 21:46:45)
    No11058に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > マジモンさん、いきなりなにピピっきてるの。
    > pipitさま宛みたいだけど、お邪魔しちゃうよ〜
    >
    > ■11055、
    > >その差はなんでしょうかね?<
    > え、わかんないの?
    > じゃ、教えてあげる。
    > 意味と言葉を結びつけることができるかどうかの差よ。
    >
    > カントの人物像を知りたいようなので、
    > pipitさまから「晩年のカント」 についての本を教えてもらったので、
    > わたし幼少のころのを「カント」っていう本から書き写してみたよ。
    > 文字数の関係で、次にね紹介するね。
    > じつは今日はこれがメインの作業だったのね。部屋にこもっての。


    はいこんばんわ、悪魔ちゃん

    ヒエログリフの事を言っているんだと思うけど、
    このヒエログリフが読める人、読めない人の差は……

    読めない人でも…、何か伝わるんだと思うんだけど、
    恐竜パラサウロロフスのように、「頑張って掘ったんだなぁ〜」とか

    悪魔ちゃんは下のヒエログリフの内容は読めますか?
    読めないのならば、何を感じますか?

    言葉と意味を繋ぎ合わせるってのは理解できるよ。
    言葉は教育で学ぶんだけど、意味はどっからやってくるのか?

    私は辞書を持たないけど…、…意味はどうも、浮かんでくるだよね。
    解らない事は勉強するが、勉強嫌いな奴だって、何かしら浮かぶんじゃないの?

    記号と発音

    この発音だとか文法は、
    俺はオウム(鳥)とかインコ(鳥)とか関わっているような気がするんだわな。

    例えば、未知のUMAの名前を付けなさいと問われれば、
    私は…、ムチョムチョポポンと名付けるが…
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引用返信/返信 削除キー/
■11059 / inTopicNo.75)  Re[13]: カントの幼少のころ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/14(Sun) 19:48:29)
    以下、小牧さんの「カント」からの抜粋で〜す。

    〔イマヌエル=カントは、1724年4月22日、東プロイセン、ケーニヒスベルクの城外町に生まれた。通りの名が「馬具屋通」(ザットラーガッセ)といわれたことからもわかるように、父、ヨーハン=ゲオルク=カント(1682〜1746)は、馬具職の親方であった。革でもって、馬の鞍などをつくっていた、貧しい一市民であった。母、レギーナ=ドロテーア(実家の性はロイータ)(1698〜1737)は、18歳のころ、33歳余の父と結婚して、たくさんの子ども(およそ9人ほど)をもうけた。イマヌエル(イマヌエル=カントは、はじめ、「エマヌエル」という名であった)は、父母の結婚後9年目に、第四子として生まれた。9人あまりの兄弟姉妹があったといっても、死産や若死したものが多く、わりあい長く世にあったのは、イマヌエル(カント)のほか、三人の姉妹と、一人の弟ぐらいのものであった。カントのさいごの病床につきそったのは、末妹のバルバーラだけであった。〕

    〔18世紀といえば、すでに西欧において、産業上の資本主義が、政治上の市民革命が展開していく、まさに近代化の希望にみちた時代であった。しかし、ドイツ東北のはずれの、当時の東プロイセンは、近代化からはるかに立ち遅れた地であった。そこでは、まだ、がっちりと根をおろした前近代的なしきたりとか人間関係が支配していた。ただ、このなかで、ケーニヒスベルクは、この地域における経済上・政治上の中心地であり、海外貿易の要地であり、大学や教会をもった文化上・宗教上の中心であった。遅れた世界の中心であるとともに、進んだ世界へ通ずる門戸であった。そういう、いわば古くて新しい町の町はずれで、カントはうまれたのである。〕

    〔東プロイセン地方には、ピエチスムス(敬虔主義)といわれるキリスト教新教(プロテスタンチズム)の一派が、つとに浸透していた。そもそも新教(プロテスタンチズム)というのは、旧教(カトリック)が、外形的な形式(教会での儀礼とか、教会への寄進など)を重視するのに対し、心からの信仰を主張したキリスト教であった。新教徒は、心からのいちずの信仰こそ真のキリスト教であるとした。ルターやカルヴァンなどによってとなえられたキリスト教改革の運動(いわゆる「宗教改革」)が、この新教のおこりである。このうち、北ドイツやプロイセンなどにひろがっていったのは、ルター派で(つつしみぶかく、神に仕えること)を尊しとするのが、このピエチスムス(敬虔主義)である。
    そして、カントの家庭は、このピエチスムスのねっしんな信者であった。幼少のカントは、信仰深い両親から、とくに母から、強い影響を受けたのであった。〕

    〔カントは晩年(1797年)、ある手紙の草稿に、こう書いた。
    「わたしの家系について誇りうることは、(職人階級の出ではありますが、)正直であり道徳的に正しいという点において模範的であった両親が、わたしに財産をこそ(しかしまた借金をも)残しませんでしたが、一つの教育を与えてくれたことです。この教育は、道徳的方面から見て、これ以上のものはありえないほどすぐれたものでした。わたしはこれを思い出すごとに、つねに深い恩恵の情を禁じ得ません。」(篠田英雄訳『カント書簡集』より)〕

    〔またカントは、弟子のボロヴィスキーに、いくたびか、こう語ったということである。「けっして、ただの一度だって、ぼくは両親から、なにか失礼なことを聞かされる必要はなかったし、品位をおとすようなことを、両親からみせられたことはなかった。」
    あるときのことである。父のなかまである革具屋とのあいだにトラブルがおこった。そのため、父はずいぶんと苦労した。両親は、そのことについて、家庭で話あった。しかしそのさい、たったひとことも、人をののしったり、軽べつしたりするようなことはなく、いつも相手にたいする愛と寛容とをもって、話あった。このことは、まだ子供であったカントを、いたく感動させ、生涯、かれから消えさらぬ思い出となった。〕

    〔「マヌエルちゃん」(幼少時代の愛称)の幼少時代のことは、そうはっきりはわかっていない。カントじしんも、じぶんの幼少時代のことは、あまり語ろうとはしなかった。読み・書きのさいしょの手ほどきを、城外町養育院の学校でうけた。〕

    って小牧さんは言ってるよ。

    マヌエルちゃんは〔「流行おくれの馬鹿であるよりは、流行に合う馬鹿」であれ〕って言っていたみたい。

    また小牧さんはカントの身体につても書いてる。
    〔カントは体が弱かった。身長は低く、胸は扁平で、骨組みは弱く、背柱はひどく曲がり、筋力はいっそう弱かった。肉付きはわるく、肺臓は小さく、鼻はすぐ鼻カタルを起こしかねないほどであった。胃はなかなか丈夫で相当の健啖(けんたん:大食い)であったけれど、あいにく腸は、しじゅう便秘しがちであった。ただ頭脳はさすがに大きかった。視覚・聴覚・味覚などの外界感受の門口もいずれも鋭敏であった。聴覚は、詩の朗読をこのんで受け入れたが、音楽にたいしては駄目であったらしい。〕
    って。

    マジモンさん、どう? 晩年のと幼少とので、カントの人物像?

    昨日今日もつかれた〜。
    コロナのせい。








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■11058 / inTopicNo.76)  Re[12]: 連想そのA
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/14(Sun) 19:24:28)
    マジモンさん、いきなりなにピピっきてるの。
    pipitさま宛みたいだけど、お邪魔しちゃうよ〜

    ■11055、
    >その差はなんでしょうかね?<
    え、わかんないの?
    じゃ、教えてあげる。
    意味と言葉を結びつけることができるかどうかの差よ。

    カントの人物像を知りたいようなので、
    pipitさまから「晩年のカント」 についての本を教えてもらったので、
    わたし幼少のころのを「カント」っていう本から書き写してみたよ。
    文字数の関係で、次にね紹介するね。
    じつは今日はこれがメインの作業だったのね。部屋にこもっての。


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■11056 / inTopicNo.77)  Re[10]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/14(Sun) 17:12:00)
    ■11030の、『純粋理性批判4』中山元先生訳、p20より引用−―とっても参考になりました。ありがとうございます。

    わたし現象学連関でカントのを知ろうとしてるなかでたまたま中ちゃんのがあったので読んでみたんだっけど、なんか彼の解説はね〜、っていうところあるのね。あ、わたしの感想ね。

    独りだけであれこれ考えているだけより、ほかの人とお喋りするなかでwhatが見えてくるものもあるような気がしてる、っていう意味で、pipitさま、お世話になってます。


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■11055 / inTopicNo.78)  Re[11]: Pipitさん 連想そのA
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/02/14(Sun) 17:08:52)
    もう一つが、エジプトのヒロエグリフですね。

    我々は、このヒロエグリフを読めません。
    しかし、このヒロエグリフが読める人がいたとなると…

    その差はなんでしょうかね?


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■11054 / inTopicNo.79)  Pipitさん 連想その@
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/02/14(Sun) 17:01:52)
    はい、こんにちわ、Pipitさん

    私は連想で閃くタイプなんですが、
    話の流れで、連想したのは、恐竜のパラサウロロフスです。
    私は辞書を使いませんが、
    それと同じで、恐竜は辞書をつかいません。
    そもそも、恐竜は言葉がないです。

    パラサウロロフスは社会性のある恐竜で音楽を奏でる恐竜と言われています。
    おそらく、彼らは『ジェスチャー』と『鳴き声』で意思疎通をしていた思います。


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■11052 / inTopicNo.80)  中島義道先生の新刊
□投稿者/ pipit -(2021/02/14(Sun) 16:28:14)
    中島義道先生は、多分、カントのこと変人と思ってるんやろな〜、と、検索したら、
    ちょうど晩年のカント伝みたいな新刊出されてました。

    『晩年のカント 』(講談社現代新書)
    中島義道先生著


    『哲学者は精神の黄昏といかに向かい合ったか。
    還暦を過ぎ、ようやく購入した自宅。いっさいの装飾を欠いた空間で、家族とのつきあいも絶ち、老哲学者カントは何を考えていたのか?
    三批判書を書き上げ、名声を確かなものとした彼を襲った、ある筆禍事件とは?
    同業の哲学者は一度として招待せず、連日四、五時間におよぶ食卓で繰り広げられる会話。女性や人種に対する高慢と偏見の集積。人の名前を覚えられなくなり、アルファベット順の引き出しをこしらえて会見に臨む姿。ケーニヒスベルク市内の年長の高齢者に対する異様な関心――。
    ある老哲学者の、ぎこちない下手な生き方を辿る。』

    中島義道先生はとても参考になるけど、実は、ちょっと、カント哲学の解釈以外のところで苦手なんだよねー

    読むか読まないか迷うな〜

    関連した記事が別箇所にあったので、リンク先載せます。特に2番目のアドレス先のほうにカントのエピソードがけっこう載ってます。

    https://gendai.ismedia.jp/articles/-/79246

    https://gendai.ismedia.jp/articles/-/79283


    どうしようかな〜 
    読みたいような、こわ〜いような (*_*)
引用返信/返信 削除キー/
■11031 / inTopicNo.81)  Re[8]: 現象の二義性
□投稿者/ pipit -(2021/02/14(Sun) 13:03:08)
    あ、ちなみに、『真の現れ』と言う言葉が、
    カント哲学に出てくるのか、中島義道先生の意見を表した言葉なのか、
    『純粋理性批判』を通して全然読めていないわたしには、全くわからないんやけど。

    いろんな可能性を思って、できればカントの文章を読み通すことにチャレンジしてみるね!

引用返信/返信 削除キー/
■11030 / inTopicNo.82)  現象の二義性
□投稿者/ pipit -(2021/02/14(Sun) 12:59:05)
    マジモンさん、こんにちは〜
    とりあえずあだ名の一つは、『ケーニヒスベルク(地名)の時計』だったそうですね。
    カッコいい呼び名なのか否か、判断分かれそうですね〜

    悪魔ちゃん、ありがとう〜
    固定化された概念を私は持つとこやったよ、やっぱまだまだまだまだやな〜

    ニ義性のうちの一つを表現してるような箇所は、カントの文章で見つけられたんよ。
    でも、もう一つを表現してるような箇所、確かに私はそういう文章を見た気がするんだけど、まだ見つけられないんよ。
    なんか、現象がわたしに現象として現れられるのは結局はカテゴリーによるみたいな意味に思えた文章やったと思うんやけど、、、
    そこらへんが、悪魔ちゃんが書いてくれた、現象は真の現れ、の意味あたりの文章で、『純粋理性批判』にとってはめっちゃ大切な箇所かなと思うんやけど、まだ見つけきれない(>人<;)(見つけられないけど、あったと私は記憶してるんだ、文章はそのままではないと思うけど)

    とりあえず、ニ義性のうちの一面と思えるカントの文章を引用しておくね。
    中山元先生訳だよ。

    カントの文章
    『ましてや現象(エアシャイヌング)と仮象(シャイン)を同じものだと考えてはならない。
    真理と仮象は、対象が直観されているかぎりでの対象そのものにあるのではなく、対象が思考されているかぎりで、対象について人間が下した判断のうちにあるからである。
    だから「感覚は誤らない」と主張するのは正しいが、それは感覚能力がつねに正しく判断するからではなく、そもそもまったく判断しないからである。
    すなわち真理も誤謬も、また誤謬に導く仮象も、判断のうちだけに、すなわちわたしたちの知性と対象の関係のうちだけにおいて発生しうるのである。
    認識が知性の法則と完全に一致した場合には、誤謬というものは存在しない。
    さらに感覚能力の描いた像のうちにも、誤謬というものは存在しない(そこに判断は含まれないからである。』
    B350あたり? 『純粋理性批判4』中山元先生訳、p20より引用

    、、、引用してて思ったけど、もしかしたら、最後らへんの、
    >認識が知性の法則と完全に一致した場合には、誤謬というものは存在しない。<
    が、カテゴリーの適用された現象は、真の現れ、という意味とかぶる可能性もあると思えたけど、、、
    しかも、別可能性として、そもそも、この文章の冒頭の現象=感覚能力によるものというのは私の思い込みの気もしてくるよ、、、、

    、、、

    こんなにややこしいの、カント先生のせいにしたい!!

    兎にも角にも、現象は真の現れというフレーズについて考察することは、『純粋理性批判』においてめちゃめちゃ大切な予感してる。

    思い込みはなくならないけど、悪魔ちゃんのおかげで、時々少しだけ気づくことがかなうよ。
    本当ありがとう。
引用返信/返信 削除キー/
■11028 / inTopicNo.83)  Re[6]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/14(Sun) 11:20:22)
    ■11013、
    >カントは『判断』は知性の能力ってしてるみたいなの<
    ありがと!これでわたしのなかでつながったかも。

    ■11014、
    >違うかもやけど、もしかしたら、悪魔ちゃんと私の意見をくっつけたら、オーケーになったりせん?<
    うん、もしかしたら、そうかも!

    「判断」で結びつけてみよっかな〜
    ちょっと考えて見ま〜す。

引用返信/返信 削除キー/
■11027 / inTopicNo.84)  Re[5]: マジモンさんへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/14(Sun) 11:11:25)
    わたしの、「概念は言葉として表されその意味となる」っていうの基本的見方。
    まず概念が形成され、あとからそれに語がつけられる、っていう見方。
    あ、これについてはこれ以上はやめとく。

    >カントが書いた文章よりも、カントの人物像を先に知りたいですよ<

    カントの、についてじゃなくて、カントについてね。

    それだったら、pipiさまのほうがよく知ってると思うよ。

引用返信/返信 削除キー/

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