(現在 過去ログ2 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

No11059 の記事


■11059 / )  Re[13]: カントの幼少のころ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/14(Sun) 19:48:29)
    以下、小牧さんの「カント」からの抜粋で〜す。

    〔イマヌエル=カントは、1724年4月22日、東プロイセン、ケーニヒスベルクの城外町に生まれた。通りの名が「馬具屋通」(ザットラーガッセ)といわれたことからもわかるように、父、ヨーハン=ゲオルク=カント(1682〜1746)は、馬具職の親方であった。革でもって、馬の鞍などをつくっていた、貧しい一市民であった。母、レギーナ=ドロテーア(実家の性はロイータ)(1698〜1737)は、18歳のころ、33歳余の父と結婚して、たくさんの子ども(およそ9人ほど)をもうけた。イマヌエル(イマヌエル=カントは、はじめ、「エマヌエル」という名であった)は、父母の結婚後9年目に、第四子として生まれた。9人あまりの兄弟姉妹があったといっても、死産や若死したものが多く、わりあい長く世にあったのは、イマヌエル(カント)のほか、三人の姉妹と、一人の弟ぐらいのものであった。カントのさいごの病床につきそったのは、末妹のバルバーラだけであった。〕

    〔18世紀といえば、すでに西欧において、産業上の資本主義が、政治上の市民革命が展開していく、まさに近代化の希望にみちた時代であった。しかし、ドイツ東北のはずれの、当時の東プロイセンは、近代化からはるかに立ち遅れた地であった。そこでは、まだ、がっちりと根をおろした前近代的なしきたりとか人間関係が支配していた。ただ、このなかで、ケーニヒスベルクは、この地域における経済上・政治上の中心地であり、海外貿易の要地であり、大学や教会をもった文化上・宗教上の中心であった。遅れた世界の中心であるとともに、進んだ世界へ通ずる門戸であった。そういう、いわば古くて新しい町の町はずれで、カントはうまれたのである。〕

    〔東プロイセン地方には、ピエチスムス(敬虔主義)といわれるキリスト教新教(プロテスタンチズム)の一派が、つとに浸透していた。そもそも新教(プロテスタンチズム)というのは、旧教(カトリック)が、外形的な形式(教会での儀礼とか、教会への寄進など)を重視するのに対し、心からの信仰を主張したキリスト教であった。新教徒は、心からのいちずの信仰こそ真のキリスト教であるとした。ルターやカルヴァンなどによってとなえられたキリスト教改革の運動(いわゆる「宗教改革」)が、この新教のおこりである。このうち、北ドイツやプロイセンなどにひろがっていったのは、ルター派で(つつしみぶかく、神に仕えること)を尊しとするのが、このピエチスムス(敬虔主義)である。
    そして、カントの家庭は、このピエチスムスのねっしんな信者であった。幼少のカントは、信仰深い両親から、とくに母から、強い影響を受けたのであった。〕

    〔カントは晩年(1797年)、ある手紙の草稿に、こう書いた。
    「わたしの家系について誇りうることは、(職人階級の出ではありますが、)正直であり道徳的に正しいという点において模範的であった両親が、わたしに財産をこそ(しかしまた借金をも)残しませんでしたが、一つの教育を与えてくれたことです。この教育は、道徳的方面から見て、これ以上のものはありえないほどすぐれたものでした。わたしはこれを思い出すごとに、つねに深い恩恵の情を禁じ得ません。」(篠田英雄訳『カント書簡集』より)〕

    〔またカントは、弟子のボロヴィスキーに、いくたびか、こう語ったということである。「けっして、ただの一度だって、ぼくは両親から、なにか失礼なことを聞かされる必要はなかったし、品位をおとすようなことを、両親からみせられたことはなかった。」
    あるときのことである。父のなかまである革具屋とのあいだにトラブルがおこった。そのため、父はずいぶんと苦労した。両親は、そのことについて、家庭で話あった。しかしそのさい、たったひとことも、人をののしったり、軽べつしたりするようなことはなく、いつも相手にたいする愛と寛容とをもって、話あった。このことは、まだ子供であったカントを、いたく感動させ、生涯、かれから消えさらぬ思い出となった。〕

    〔「マヌエルちゃん」(幼少時代の愛称)の幼少時代のことは、そうはっきりはわかっていない。カントじしんも、じぶんの幼少時代のことは、あまり語ろうとはしなかった。読み・書きのさいしょの手ほどきを、城外町養育院の学校でうけた。〕

    って小牧さんは言ってるよ。

    マヌエルちゃんは〔「流行おくれの馬鹿であるよりは、流行に合う馬鹿」であれ〕って言っていたみたい。

    また小牧さんはカントの身体につても書いてる。
    〔カントは体が弱かった。身長は低く、胸は扁平で、骨組みは弱く、背柱はひどく曲がり、筋力はいっそう弱かった。肉付きはわるく、肺臓は小さく、鼻はすぐ鼻カタルを起こしかねないほどであった。胃はなかなか丈夫で相当の健啖(けんたん:大食い)であったけれど、あいにく腸は、しじゅう便秘しがちであった。ただ頭脳はさすがに大きかった。視覚・聴覚・味覚などの外界感受の門口もいずれも鋭敏であった。聴覚は、詩の朗読をこのんで受け入れたが、音楽にたいしては駄目であったらしい。〕
    って。

    マジモンさん、どう? 晩年のと幼少とので、カントの人物像?

    昨日今日もつかれた〜。
    コロナのせい。








返信/引用返信 削除キー/


Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -