| 2021/02/18(Thu) 22:05:59 編集(投稿者) 2021/02/18(Thu) 21:04:58 編集(投稿者)
私見書きます。
人間にとっての先天的総合判断がいかにして可能か?
可能としている、ある能力が、人間の内にあるといえる権利があるのだ、と、カントは主張した。(超越論的感性論、超越論的論理学、などかな?)
その主張は、どこにつながるか?
それは、形而上学は、感性を超えた範囲については、万人共通の『知識』となり得ない、につながるとわたしは思っています。(なぜなら、人間がアプリオリに総合判断する能力は、カント的いかにして?の解明では、感性による現前の素材の提供が必ず必要とされるから。総合は、感性と悟性が結びついての、総合・判断となるから。違うかな?)
pipitの表現で言えば、感性を超えた範囲の『知識』を、客観的共通知識として、自分にも他人にも強制することはできない、ということ。
カントの狙いは、そこにあるかと思っています。
全然違うかもやけどね(^ ^)
ちゃんと、私に、わかるとき、今世のうちにくるかな、無理かな(^^;;
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