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■10971 / inTopicNo.1)  純粋理性批判を読んでみる。19
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/02/12(Fri) 12:42:59)
    2021/02/12(Fri) 12:43:54 編集(投稿者)

    トピ主:pipitさん

    引き続きよろしくお願いします。

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■10979 / inTopicNo.2)  パニチェさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/02/12(Fri) 20:47:46)
    ありがとうございます!

    ちょっとずつでもがんばりたい(進化したい)です o(^o^)o

    おつかれさまです(o^^o)
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■10981 / inTopicNo.3)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2021/02/12(Fri) 21:05:46)
    No10972

    >カントの「アプリオリ」っていうのはなんとなくわかったんだけど、「超越論的」っていうの、何言ってるかほとんどわかんない。
    わたしが読んだ中島義道さんの超越論的のを書きうつして見ます。
    少し長いけど
    〔超越論的transzendental 
    この言葉は、スコラ哲学において、「一」「有」「善」「美」などアリストテレスのカテゴリーの区別を超えるあり方を表す言葉“transcendentalia”に由来する。それが、カントにおいて“transzendent”という言葉との関連において、豊かな内実をもって展開されることになった。だが、カント以降この言葉を使用しながら、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルを経てとりわけフッサールさらにアペール、ブプナーなどが本来の意味を単純化・平板化してしまった。ここでは、カントの原意に沿って述べてゆく。〕<

    ********

    (上文の短縮)
    超越論的transzendental は、“transcendentalia”に由来する。
    それ(transzendental)が、カントにおいて“transzendent”という言葉との関連において、豊かな内実をもって展開されることになった。
    ここでは、カントの原意に沿って述べてゆく。



    (pipit感想)
    これは、カントが従来とは違う意味で『transzendental』という言葉を使用した、ということを言ってるのかな?と思ったよ。
    (まだ、先をきちんと読まなくてはわからないけど)

    (参考記事)
    コトバンクの『超越論的』より抜粋引用
    『本来「超越」に由来する語で、中世のスコラ哲学では、「一」とか「真」とか「善」は、個々の述語やカテゴリーを超えた超越論的概念transzendentaliaとされ、ドゥンス・スコトゥスはそのなかでも「存在」がもっとも普遍的で根源的な超越論的概念であるとした。
     ところで、「超越論的」という語にそれまでとまったく異なった特殊な意義を与えたのがカントであって、カントは、経験的事物の認識ではなくて、そうした事物の認識を可能にする条件についての認識を超越論的とよび、経験の対象とはならない理念についての思弁的な超越的(もしくは超絶的transzendent)認識から区別した。
    (略)』

    コトバンクさんの記事で、今はややこしくなりそうなとこは略したよ。

    頭から読解してみようと思ってるので、よかったら一緒に読んでみてね。(もちろんいやなら読まなくていいよ〜)

    今日はとりあえずここで終わるね。
    おつかれさま!
    おやすみ〜(^O^) ☆彡

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■10995 / inTopicNo.4)  Re[3]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/13(Sat) 16:49:04)
    カントって、語のともとの意味(概念)を自分なりに変えちゃう、のかも?

    たとえばね、
    中島義道さんは「現象・仮象」と題して書いてるんだけど、そのなかで、〔ドイツ語における「現象」(Erscheinug)には「真」という意味が含まれておらず、また「仮象」(Schein)も「仮」という意味を特に担っていない。“Erscheinug”も“Schein”も「現れ」であって、ここに真偽ないし正誤の問題はもともと入っていない。〕って言ってて、カントは〔仮象を「誤った現れ」という意味に限定した。それは「錯覚」とほぼ同義であり、広く主観的にそう見える(思われる)ものを客観的だと誤って判断するときに生ずるものである。仮象には経験的仮象と超越論的仮象がある。〕ってして、〔カントにおいては積極的に経験内の「真の現れ」という意味を受け持つことになる〕ということのようです。
    このように。

    あ、わたしのは真偽善悪っていう判断の手前で話してるからそう眼で見てね。
    ん〜、アプリオリをアリストテレス由来の意味「より先なるもの」としてるから、
    〈○○より先なるもの〉の○○に真偽善悪を入れて真偽善悪アプリオリでね。

    カントの「現象学」はErscheinug。現象学の「現象」はphenomenon。違うものを見ている、ってわたしすることにしてるよ。

    No10972は何度も読んでるんだけど、よくわかんなかったのね、
    だからここに来てるのよ。

    他にもあるから、またここに来させてもらいま〜す。







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■10996 / inTopicNo.5)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2021/02/13(Sat) 17:30:56)
    こんばんは〜

    No10995に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > カントって、語のともとの意味(概念)を自分なりに変えちゃう、のかも?<

    うん。なんかそういう傾向あるように思えるね。あんまり好き勝手に言葉使われたら、わかりにくくなっちゃうよね。(*_*)

    > たとえばね、
    > 中島義道さんは「現象・仮象」と題して書いてるんだけど、そのなかで、〔ドイツ語における「現象」(Erscheinug)には「真」という意味が含まれておらず、また「仮象」(Schein)も「仮」という意味を特に担っていない。“Erscheinug”も“Schein”も「現れ」であって、ここに真偽ないし正誤の問題はもともと入っていない。〕って言ってて、カントは〔仮象を「誤った現れ」という意味に限定した。それは「錯覚」とほぼ同義であり、広く主観的にそう見える(思われる)ものを客観的だと誤って判断するときに生ずるものである。仮象には経験的仮象と超越論的仮象がある。〕ってして、〔カントにおいては積極的に経験内の「真の現れ」という意味を受け持つことになる〕ということのようです。
    > このように。
    >
    > あ、わたしのは真偽善悪っていう判断の手前で話してるからそう眼で見てね。
    > ん〜、アプリオリをアリストテレス由来の意味「より先なるもの」としてるから、
    > 〈○○より先なるもの〉の○○に真偽善悪を入れて真偽善悪アプリオリでね。
    >
    > カントの「現象学」はErscheinug。現象学の「現象」はphenomenon。違うものを見ている、ってわたしすることにしてるよ。<

    うん。その方がいいかんじがするね。


    > No10972は何度も読んでるんだけど、よくわかんなかったのね、
    > だからここに来てるのよ。
    >
    > 他にもあるから、またここに来させてもらいま〜す。<

    長い引用ありがとうね。勉強になる予感してるよ。

    カントに関連あってもなくても、書き込みはお好きなようにいつでもどうぞ〜♪(^ ^)

    いつもありがとう!

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■10997 / inTopicNo.6)  中島義道先生の文章を読んでみる
□投稿者/ pipit -(2021/02/13(Sat) 17:41:46)
    No10972
    悪魔ちゃんが引用してくれた中島義道先生の文章の続きを読んでみます。
    ちょっとわかりにくかったので、思い切って略して、構造?を探ってみます。

    > 〔超越的と超越論的〕
    (略)
    まず神や死後の魂の永遠などの人間の認識を超えるものに関することを「超越的」と呼ぶが、「超越論的」とはこの基本構図をのこしたまま、積極的意味と消極的意味とをあわせ持っている。積極的意味はさらに二局面に分かれる。第一は、人間の認識の限界を定めるという機能、そして第二は、その限界内でさらに夢や錯覚や妄想や印象から「客観的な実在世界」を区別する機能である。

    (略)

    しかし、カントにおいてはこの積極的意味と表裏一体をなして、次の消極的意味が息づいているのである。
    人間の認識の限界を設定することができるためには、われわれはその外側に位置する「超越的なもの」に――認識できなくとも――何らかの仕方で関与できねばならない。カントによれば、人間理性は「超越的なもの」に「仮象」(Schein)というかたちで関与するのである。つまり、「超越的なもの」を捉えようとすると人間理性は必ず仮象に陥るが、その仮象への陥り方に関することすべてに消極的意味における「超越論的」という言葉が付される。<

    ********

    勉強しようと思ったけどタイムアップ!
    上記引用文をまた後で考えてみますo(^o^)o
引用返信/返信 削除キー/
■10999 / inTopicNo.7)  余談
□投稿者/ pipit -(2021/02/13(Sat) 18:02:38)
    No10995
    余談やけど、
    悪魔ちゃんのこの文の繋げ方、カントの意図から外れてる可能性あるかもと思ってるよ。

    >中島義道さんは「現象・仮象」と題して書いてるんだけど、そのなかで、〔ドイツ語における「現象」(Erscheinug)には「真」という意味が含まれておらず、また「仮象」(Schein)も「仮」という意味を特に担っていない。“Erscheinug”も“Schein”も「現れ」であって、ここに真偽ないし正誤の問題はもともと入っていない。〕って言ってて、カントは〔仮象を「誤った現れ」という意味に限定した。それは「錯覚」とほぼ同義であり、広く主観的にそう見える(思われる)ものを客観的だと誤って判断するときに生ずるものである。仮象には経験的仮象と超越論的仮象がある。〕ってして、〔カントにおいては積極的に経験内の「真の現れ」という意味を受け持つことになる〕ということのようです。<

    違う意味にとられてしまうように繋げられちゃってる可能性あるかも?と、私は思ってる事は書いておくね(^ ^)
引用返信/返信 削除キー/
■11000 / inTopicNo.8)  Re[7]: 余談
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/13(Sat) 18:25:02)
    ■10999、
    >違う意味にとられてしまうように繋げられちゃってる可能性あるかも?<

    そうね。

    中島さんが「現象・仮象」と題して書いてあるのを書き写して見ますね。

    〔現象・仮象 Ercheinung/Schein
    現象と仮象という両概念は、哲学的にはカントの時代まで正確に区別されることはなかったが、それも当然である。なぜなら、ドイツ語における「現象」(Erscheinug)には「真」という意味が含まれておらず、また「仮象」(Schein)も「仮」という意味を特に担っていないからである。“Erscheinug”も“Schein”も「現れ」であって、ここに真偽ないし正誤の問題はもともと入っていない。ドイツ語では成績表も紙幣も身分証も“Schein”と呼ぶ。これらは「誤った現れ」ではなく、むしろ何ものかの「真の現れ」なのだ。こうした文脈において、カントと彼の同時代人ランベルトとを比べると、両概念がまったく異なった方向に彫琢(宝石などを加工研磨すること、詩や文章を推敲し立派なものにすること、美しく磨き上げる)されてゆくのを看取(見てそれを知ること、観取)できて興味深い。その後ヘーゲルやフッサールの現象学における現象概念も、また両解釈の間を揺れ動いていると言えよう。〕

    ここにおける〔その後ヘーゲルやフッサールの現象学における現象概念も、また両解釈の間を揺れ動いていると言えよう〕っていうところ、不満。カントのはErscheinugで、フッサールのはphenomenon。違うよね。なかちゃんの知ったかぶりにわたし不満。

    あ、中ちゃんのつづけるね。

    〔仮象の両義性
    ランベルトは「現象学」(Ph&#228;nomenologie)という用語をはじめて使用したとされるが、彼の現象学とは「仮象の学」にほかならない。この場合、仮象という概念に「真」に対する「偽」という意味合は含まれていない。仮象とはあくまでも真偽以前の「中間物」であり、何ごとにせよ見えるがまま・現れるままの事柄であって、これはドイツ語の“Schein”の意味を忠実に保っていると言えよう。こうした基本的態度のもとに、彼は「超越的仮象」「生理的仮象」「道徳的仮象」「病理学的仮象」「天文学的仮象」等々詳細な分類を施している。彼のプランは、こうした見えるままに記述する「仮象の言語」と、物に即した「物理学の言語」との間に翻訳規則を作ることであった。
    カントはこのランベルトの構想を一部引き受け、『純粋理性批判』をはじめ『現象学』というタイトルにしようとしたほどほどである。しかし、この構想をカントは大きく変容させ、仮象を「誤った現れ」という意味に限定した。それは「錯覚」とほぼ同義であり、広く主観的にそう見える(思われる)ものを客観的だと誤って判断するときに生ずるものである。仮象には経験的仮象と超越論的仮象がある。前者は、昇る月の大きさを対象としての月の大きさと錯覚するとき(月の錯視)や、岸の上に海が見えると、対象としての海が対象としての岸より上にあると判断するときなどに生ずる。そして、後者こそカントがもっとも注目したものであり、理性そのものが有する本性であって、本来可能な経験の範囲内で有効なカテゴリーを、経験を超える領野にも使用し、「世界全体の量は有限あるいは無限である」「魂は実体(不滅)である」「神は存在する」等々の誤った結論を導き出してしまうことである。
    こうした変容の過程で、ランベルトにおいては特に積極的な意味を持っていなかった現象は、カントにおいては積極的に経験内の「真の現れ」という意味を受け持つことになる。現象と仮象との区別は、とりわけ『自然科学の形而上学的原理』の第4章「現象学の形而上学的原理」において鮮明である。カントは互に等速度直線運動する二つに物体A,Bについては、ガリレイの相対性原理をそのまま認めて、どちらかが真のつまり実在的な運動であるわけではないと言う。両者ともに、可能的運動として等価なのである。しかし、円運動のように実在的な力が実在的な力が加わるような等速度運動においては、力が実在的であるがゆえに、そこには真の実在的運動が成立している。その場合、円運動の上に座標を組むと、その座標においては外界の運動は反対の方向の円運動として知覚されるであろう。しかし、もしそれを真の実在的運動であるとみなすなら、そのときはじめて「仮象」が生ずるのである。言い換えれば、そう見なさないとき、円の外の観察者にとっての円運動も円の上の観察者にとっての反対方向の円運動も、ともに現象である。同様にして、互いに等速度直線運動する二つの物体A,Bの上にある自分自身の運動も相手の運動も現象である。〕

    あ、ちょっと限られた文字数超えそうなので、分けるね。
    つづく。





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■11001 / inTopicNo.9)  Re[8]: 余談
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/13(Sat) 18:35:32)
    ■11000のつづき

    〔現象の両義性
    だからカントの場合、実は現象は二義的である。運動学のようなカテゴリーを適用した客観的妥当世界のみが現象であるわけではない。もうひとつ、夢や幻おみならず、私の目や耳に触れるある印象や私の舌に感じられる味わいや、私の手に触れる感触等々、いわゆる主観的現象もまた現象である。それらは「誤り」であるわけではなく、ただ主観的妥当性をもつにすぎないだけである。こうした現象はランベルトの「中間物」として仮象に近づいており、また偽と判断されたわけではなく真偽以前の「現れ」である。これら主観的妥当性を持つにすぎないものをいかに捉えるかが、カントの現象理解の鍵とも言える。カントは『プロレゴメナ』で主観的妥当性のみを持つ知覚判断と客観的妥当性を持つ経験判断の区別を推し進め、主観的妥当性の領野を確保しようとしたが、それはうまく超越論的観念論の体系の中におさまることはなかった。カントは『純粋理性批判』第2版に至って外的経験と並ぶ「内的経験」という概念を彫琢したが、これも経験であるかぎりすでに客観的妥当性を持つ。つまり、私に具体的に現れている現象をそのまま記述するとき、その現象記述はいかなる位置を占めるか、それがカントでは難問として残されているのである。〕

    〔現象と表象
    また、現象については、しばしば「表象」という概念との異同が問題となる。その使われ方は混乱しており、現象が表象と同義であったり、また、表象が特に単なる主観的妥当性しかもたないような現象を意味することもある。日本語では区別がはっきりしないが、ドイツ語の“Erscheinug”(現象)と“Vorstellung”(表象)との区別は明確であり、前者は何ものかの現れという自動詞の名詞化であるが、後者は私が私の前に何ものかを立てるという他動詞の名詞化である。前者は物理現象とも心理現象とも言うように語自体に存在論的な限定はないが、後者は私が私の前に立てるものであり、その操作の限り「ある」という主観的存在の色合いが濃厚になる。ショーペンハウアーは『意志と表象としての世界』の冒頭で「世界は私の表象である」と宣言するが、こう語ることによって彼は、世界は何ものかの「現れ」であると言いたかったのではなく、私が私の前に立てるものにすぎない、したがって私を離れて無かもしれない、と言いたかったのである。
    カントにおいては、表象は物自体との対比で図式的に使用されている。私に現れる世界(現象)はそれ自体として存在するもの(物自体)ではなく、私の思考と直観との協同によって構築したもの(表象)だ、というのがカントにおける両概念の基本的な使用法である。つまり、表象は特に物自体の絶対的実在性というあり方に対する「超越論的観念性」」というあり方を強調するときに使われる。〕


    〔カント以降
    ドイツ観念論は、ヘーゲルによる「意識の経験の学」を含み、科学的認識をことごとく取り入れた正しい現れ(=現象)と誤った現れ(=仮象)という、カントの現象と仮象の区別をほぼ侵襲している。だが、フッサールによる「現象学」は、現象とう地平を獲得する方法論を洗練させながら。「Schein=現れ」すなわち「中間物」であるというランベルトの視点から取り戻している。カントにおいて現象はわれわれには未知の物自体の「現れ」として捉えられているが、現象学において現象とはわれわれに未知のXが「現れる」ことではない。それは、われわれにみずからをその通りに告知する作用である。現象学にとって、現象と現象の背後世界との関係が問題なのではなく、むしろいったんあらゆる(物理学のような)事実学を遮断してこうした「現れ」の世界を記述し、次にこうした現象学による事実学への関係づけが問題なのである。これは、仮象の言語と物理学の言語との関係を求めるというランベルトの構想に沿っている。すなわち、カントが物理学のうちに認められるア・プリオリな総合判断をみずからのうちにも含むような学としての形而上学を目指すのに対して、フッサールはむしろ物理学などの事実学を徹底的に排して、「現れ」に戻ることにより開かれる現象学的地平を目指していると言えよう。〕


    このなかの中ちゃんの、〔フッサールはむしろ物理学などの事実学を徹底的に排して、「現れ」に戻ることにより開かれる現象学的地平を目指していると言えよう。〕っていうのも不満ね。

    わたしがカントのについて、中ちゃんから得たの、だいたい書き写せたかも。




引用返信/返信 削除キー/
■11004 / inTopicNo.10)  Re[9]: 余談
□投稿者/ pipit -(2021/02/13(Sat) 19:12:01)
    悪魔ちゃん、ありがとう。
    No11000、No11001を、読んで、カントにとっての現象・仮象についての捉え方と今の段階の私が思うものを、繋げてみたよ。
    ↓以下のようになりました。発表します。

    >カントは<
    >仮象を「誤った現れ」という意味に限定した。<

    >カントの場合、<
    >現象は<
    >真偽以前の「現れ」である。<

    まちごうてたらすんません。
引用返信/返信 削除キー/
■11007 / inTopicNo.11)  Re[10]: 余談
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/13(Sat) 19:32:33)
    pipitさま
    >カントの場合、現象は、真偽以前の「現れ」である。<
    っていうの、わたしの見えと違う。
    カントは「現象Ercheinung」を「真の現れ」ってした、って中ちゃんは言ってるんだと思う。

    No11000 の〔仮象の両義性〕のところで、〔こうした変容の過程で、ランベルトにおいては特に積極的な意味を持っていなかった現象は、カントにおいては積極的に経験内の「真の現れ」という意味を受け持つことになる。〕って言ってる。

    「現れ」っていうのを、真偽っていう”判断”以前のもの、ってするの、わたしのと同じなんだけど、でも中ちゃんは、カントの言う「現象」の原意は、そういうのじゃないっていうことを言ってるんだとわたし見てる。

    もっとも、カントの原意は中ちゃんのじゃない、っていう見方もあるけどね。


引用返信/返信 削除キー/
■11010 / inTopicNo.12)  真の現れ
□投稿者/ pipit -(2021/02/13(Sat) 20:12:21)
    中ちゃん先生の表現がすごくわかりにくくなってると私は思ってるんだけど、まず、しょっぱなに、『真の現れ』の中ちゃん先生なりの定義がでてくるよね。

    曰く、
    『現象と仮象という両概念は、哲学的にはカントの時代まで正確に区別されることはなかったが、それも当然である。なぜなら、ドイツ語における「現象」(Erscheinug)には「真」という意味が含まれておらず、また「仮象」(Schein)も「仮」という意味を特に担っていないからである。“Erscheinug”も“Schein”も「現れ」であって、ここに真偽ないし正誤の問題はもともと入っていない。ドイツ語では成績表も紙幣も身分証も“Schein”と呼ぶ。これらは「誤った現れ」ではなく、むしろ何ものかの「真の現れ」なのだ。』

    これって、真偽、正誤の区分のない、「現れありのまま」っていう意味だと私は思ってるんだけど、悪魔ちゃんは、この中ちゃん先生の文章をどのように読む?
引用返信/返信 削除キー/

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