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■11011 / inTopicNo.13)  Re[12]: 真の現れ
  
□投稿者/ pipit -(2021/02/13(Sat) 20:16:44)
    > だからカントの場合、実は現象は二義的である。運動学のようなカテゴリーを適用した客観的妥当世界のみが現象であるわけではない。もうひとつ、夢や幻おみならず、私の目や耳に触れるある印象や私の舌に感じられる味わいや、私の手に触れる感触等々、いわゆる主観的現象もまた現象である。それらは「誤り」であるわけではなく、ただ主観的妥当性をもつにすぎないだけである。こうした現象はランベルトの「中間物」として仮象に近づいており、また偽と判断されたわけではなく真偽以前の「現れ」である。これら主観的妥当性を持つにすぎないものをいかに捉えるかが、カントの現象理解の鍵とも言える。<

    この部分はどう読む?
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■11012 / inTopicNo.14)  Re[13]: 真の現れ
□投稿者/ pipit -(2021/02/13(Sat) 20:20:38)
    何かがまず現れて、それに対して真偽をつける。

    何かがまず現れて、の部分が「真の現れ」と表現してるんじゃないかなぁと私はおもってるんだけど、、、

    ややこしいね(*_*)
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■11013 / inTopicNo.15)  Re[14]: 真の現れ
□投稿者/ pipit -(2021/02/13(Sat) 20:39:47)
    あー、『判断』がキーワードになるかも!

    カントは『判断』は知性の能力ってしてるみたいなの。

    で、現象は、多分なんだけど、感性の範囲っぽいの。

    で、カントは、感じたものを考えて認識とする、みたいだから、

    感性の領域にある現象は、そのまま肯定される「真の現れ」になるんじゃないかなぁ


    カントの文章引用するね。中山元先生訳だよ。中山先生による差し込みは略してみたよ。

    『感覚を通じて対象にかかわる直観は、経験的な直観と呼ばれる。経験的な直観の対象は、それが未規定なものである場合には、現象と呼ばれる。』
    B34
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■11014 / inTopicNo.16)  もしかしたら、、、
□投稿者/ pipit -(2021/02/13(Sat) 21:01:15)
    違うかもやけど、もしかしたら、悪魔ちゃんと私の意見をくっつけたら、オーケーになったりせん?

    中ちゃん先生が、
    『だからカントの場合、実は現象は二義的である。』ってしてるの、

    もしかして
    現象は、真の現れ、と、真偽以前の現れ、の二義のことかもしれへんって、悪魔ちゃん思わへん???

    (もし、そうやったら、おもしろいね (#^.^#) )
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■11015 / inTopicNo.17)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/02/14(Sun) 00:07:28)
    No10995に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > カントって、語のともとの意味(概念)を自分なりに変えちゃう、のかも?

    私が、辞書を使わない理由は、
    辞書に描かれている意味が、3種類あって、

    @ 科学的な意味で書かれている。
    A 宗教的な意味で書かれている。
    B 権力・力ある者の意見で書かれている。

    ですので、私は辞書をアテにしてません。
    私がアテにしているのは、「形(図形)」と「歌(感情)」ですね。
    まさにアスペルガー的な発想ですが、
    まず、カントが書いた文章よりも、カントの人物像を先に知りたいですよ。
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■11027 / inTopicNo.18)  Re[5]: マジモンさんへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/14(Sun) 11:11:25)
    わたしの、「概念は言葉として表されその意味となる」っていうの基本的見方。
    まず概念が形成され、あとからそれに語がつけられる、っていう見方。
    あ、これについてはこれ以上はやめとく。

    >カントが書いた文章よりも、カントの人物像を先に知りたいですよ<

    カントの、についてじゃなくて、カントについてね。

    それだったら、pipiさまのほうがよく知ってると思うよ。

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■11028 / inTopicNo.19)  Re[6]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/14(Sun) 11:20:22)
    ■11013、
    >カントは『判断』は知性の能力ってしてるみたいなの<
    ありがと!これでわたしのなかでつながったかも。

    ■11014、
    >違うかもやけど、もしかしたら、悪魔ちゃんと私の意見をくっつけたら、オーケーになったりせん?<
    うん、もしかしたら、そうかも!

    「判断」で結びつけてみよっかな〜
    ちょっと考えて見ま〜す。

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■11030 / inTopicNo.20)  現象の二義性
□投稿者/ pipit -(2021/02/14(Sun) 12:59:05)
    マジモンさん、こんにちは〜
    とりあえずあだ名の一つは、『ケーニヒスベルク(地名)の時計』だったそうですね。
    カッコいい呼び名なのか否か、判断分かれそうですね〜

    悪魔ちゃん、ありがとう〜
    固定化された概念を私は持つとこやったよ、やっぱまだまだまだまだやな〜

    ニ義性のうちの一つを表現してるような箇所は、カントの文章で見つけられたんよ。
    でも、もう一つを表現してるような箇所、確かに私はそういう文章を見た気がするんだけど、まだ見つけられないんよ。
    なんか、現象がわたしに現象として現れられるのは結局はカテゴリーによるみたいな意味に思えた文章やったと思うんやけど、、、
    そこらへんが、悪魔ちゃんが書いてくれた、現象は真の現れ、の意味あたりの文章で、『純粋理性批判』にとってはめっちゃ大切な箇所かなと思うんやけど、まだ見つけきれない(>人<;)(見つけられないけど、あったと私は記憶してるんだ、文章はそのままではないと思うけど)

    とりあえず、ニ義性のうちの一面と思えるカントの文章を引用しておくね。
    中山元先生訳だよ。

    カントの文章
    『ましてや現象(エアシャイヌング)と仮象(シャイン)を同じものだと考えてはならない。
    真理と仮象は、対象が直観されているかぎりでの対象そのものにあるのではなく、対象が思考されているかぎりで、対象について人間が下した判断のうちにあるからである。
    だから「感覚は誤らない」と主張するのは正しいが、それは感覚能力がつねに正しく判断するからではなく、そもそもまったく判断しないからである。
    すなわち真理も誤謬も、また誤謬に導く仮象も、判断のうちだけに、すなわちわたしたちの知性と対象の関係のうちだけにおいて発生しうるのである。
    認識が知性の法則と完全に一致した場合には、誤謬というものは存在しない。
    さらに感覚能力の描いた像のうちにも、誤謬というものは存在しない(そこに判断は含まれないからである。』
    B350あたり? 『純粋理性批判4』中山元先生訳、p20より引用

    、、、引用してて思ったけど、もしかしたら、最後らへんの、
    >認識が知性の法則と完全に一致した場合には、誤謬というものは存在しない。<
    が、カテゴリーの適用された現象は、真の現れ、という意味とかぶる可能性もあると思えたけど、、、
    しかも、別可能性として、そもそも、この文章の冒頭の現象=感覚能力によるものというのは私の思い込みの気もしてくるよ、、、、

    、、、

    こんなにややこしいの、カント先生のせいにしたい!!

    兎にも角にも、現象は真の現れというフレーズについて考察することは、『純粋理性批判』においてめちゃめちゃ大切な予感してる。

    思い込みはなくならないけど、悪魔ちゃんのおかげで、時々少しだけ気づくことがかなうよ。
    本当ありがとう。
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■11031 / inTopicNo.21)  Re[8]: 現象の二義性
□投稿者/ pipit -(2021/02/14(Sun) 13:03:08)
    あ、ちなみに、『真の現れ』と言う言葉が、
    カント哲学に出てくるのか、中島義道先生の意見を表した言葉なのか、
    『純粋理性批判』を通して全然読めていないわたしには、全くわからないんやけど。

    いろんな可能性を思って、できればカントの文章を読み通すことにチャレンジしてみるね!

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■11052 / inTopicNo.22)  中島義道先生の新刊
□投稿者/ pipit -(2021/02/14(Sun) 16:28:14)
    中島義道先生は、多分、カントのこと変人と思ってるんやろな〜、と、検索したら、
    ちょうど晩年のカント伝みたいな新刊出されてました。

    『晩年のカント 』(講談社現代新書)
    中島義道先生著


    『哲学者は精神の黄昏といかに向かい合ったか。
    還暦を過ぎ、ようやく購入した自宅。いっさいの装飾を欠いた空間で、家族とのつきあいも絶ち、老哲学者カントは何を考えていたのか?
    三批判書を書き上げ、名声を確かなものとした彼を襲った、ある筆禍事件とは?
    同業の哲学者は一度として招待せず、連日四、五時間におよぶ食卓で繰り広げられる会話。女性や人種に対する高慢と偏見の集積。人の名前を覚えられなくなり、アルファベット順の引き出しをこしらえて会見に臨む姿。ケーニヒスベルク市内の年長の高齢者に対する異様な関心――。
    ある老哲学者の、ぎこちない下手な生き方を辿る。』

    中島義道先生はとても参考になるけど、実は、ちょっと、カント哲学の解釈以外のところで苦手なんだよねー

    読むか読まないか迷うな〜

    関連した記事が別箇所にあったので、リンク先載せます。特に2番目のアドレス先のほうにカントのエピソードがけっこう載ってます。

    https://gendai.ismedia.jp/articles/-/79246

    https://gendai.ismedia.jp/articles/-/79283


    どうしようかな〜 
    読みたいような、こわ〜いような (*_*)
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■11054 / inTopicNo.23)  Pipitさん 連想その@
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/02/14(Sun) 17:01:52)
    はい、こんにちわ、Pipitさん

    私は連想で閃くタイプなんですが、
    話の流れで、連想したのは、恐竜のパラサウロロフスです。
    私は辞書を使いませんが、
    それと同じで、恐竜は辞書をつかいません。
    そもそも、恐竜は言葉がないです。

    パラサウロロフスは社会性のある恐竜で音楽を奏でる恐竜と言われています。
    おそらく、彼らは『ジェスチャー』と『鳴き声』で意思疎通をしていた思います。


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■11055 / inTopicNo.24)  Re[11]: Pipitさん 連想そのA
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/02/14(Sun) 17:08:52)
    もう一つが、エジプトのヒロエグリフですね。

    我々は、このヒロエグリフを読めません。
    しかし、このヒロエグリフが読める人がいたとなると…

    その差はなんでしょうかね?


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