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Re[3]: pipitさまへ
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/13(Sat) 16:49:04)
| カントって、語のともとの意味(概念)を自分なりに変えちゃう、のかも?
たとえばね、 中島義道さんは「現象・仮象」と題して書いてるんだけど、そのなかで、〔ドイツ語における「現象」(Erscheinug)には「真」という意味が含まれておらず、また「仮象」(Schein)も「仮」という意味を特に担っていない。“Erscheinug”も“Schein”も「現れ」であって、ここに真偽ないし正誤の問題はもともと入っていない。〕って言ってて、カントは〔仮象を「誤った現れ」という意味に限定した。それは「錯覚」とほぼ同義であり、広く主観的にそう見える(思われる)ものを客観的だと誤って判断するときに生ずるものである。仮象には経験的仮象と超越論的仮象がある。〕ってして、〔カントにおいては積極的に経験内の「真の現れ」という意味を受け持つことになる〕ということのようです。 このように。
あ、わたしのは真偽善悪っていう判断の手前で話してるからそう眼で見てね。 ん〜、アプリオリをアリストテレス由来の意味「より先なるもの」としてるから、 〈○○より先なるもの〉の○○に真偽善悪を入れて真偽善悪アプリオリでね。
カントの「現象学」はErscheinug。現象学の「現象」はphenomenon。違うものを見ている、ってわたしすることにしてるよ。
No10972は何度も読んでるんだけど、よくわかんなかったのね、 だからここに来てるのよ。
他にもあるから、またここに来させてもらいま〜す。
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