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■23865  超越論的感性論 第七項:[−4
□投稿者/ うましか -(2022/06/11(Sat) 20:38:28)
    2022/06/11(Sat) 20:50:49 編集(投稿者)

    やっと、感性論本文の続きに戻ってきたー(;´Д`A ```

    *******

    T 超越論的原理論
    第一部門 超越論的感性論

    第二節 時間について
     第七項 解明

    ◇したがって時間と空間は二つの認識源泉〔zwei Erkenntnisquellen〕であり、そこから様々な綜合的認識がア・プリオリに汲み取られ得るのであるが、とりわけ純粋数学が空間とその諸関係についての認識に関して、一つの輝かしい実例を示している。すなわち、時間と空間は、両者合わせて全ての感性的直観の純粋形式であり、だからこのことによってア・プリオリな諸綜合的命題を可能ならしめる。
    しかし、これらのア・プリオリな認識源泉はまさに次のこと(それらが単に感性の条件であるということ)によってその限界〔Grenzen〕を設定される。すなわち、それは時間と空間とが、現象として考察される限りでの諸対象にのみ関わり、諸物自体そのものを描出しないということである。現象だけが時間と空間の妥当性の分野であって、その分野からは、人がそこを越え出ていくなら、もはやそれらのいかなる客観的使用も生じない。
    いずれにしても、空間と時間とのこうした実在性は、経験認識〔Erfahrungskenntnis〕の確実性を侵すものではない。なぜなら私たちは、空間と時間というこれらの形式が諸物自体そのものに結びついているにせよ、これらの諸物の私たちの直観にだけ必然的に結びついているにせよ、同じく経験認識を確信しているからである。
    これに反して、空間と時間との絶対的実在性を主張する人々は、たとえ彼らがこれら両者を基体的なものとして想定するにせよ、或いは内属的なものとしてのみ想定するにせよ、経験自身の諸原理と一致しなくならざるを得ない。
    なぜなら、彼らがこれら両者を基体的なものとして想定する第一の立場(これは一般に数学的自然探究者がとる立場である)を採ることに決めれば、彼らは、永遠無限な独立して存立する二つの不可解なもの(空間と時間)を想定せざるを得ず、これらの不可解なものは(なんとしても現実的なものであるということ無しに)全ての現実的なものをそれ自身の内に包括するためにのみ現存することになるからである。

    --- No.23247 からの続き ---

    ◇彼らがこれら両者〔空間と時間〕を内属的なものとして想定する第二の立場(これは幾人かの形而上学的自然論者が採る立場である)を採り、空間と時間とを、経験から抽象された、もっともこの抽象のために混乱して表象されたところの、諸現象の諸関係(並存的ないしは継続的)とみなすなら、彼らは現実的な諸物(例えば空間の内にある)に関するア・プリオリな数学上の諸学説に、その妥当性を、少なくとも確然的な確実性を拒否せざるを得なくなる。

    ◇ 〔というのも〕それは、この確然的な確実性はア・ポステリオリには全然生ずることなく、だから空間と時間というア・プリオリな概念は、これらの人々の私見によれば、単に構想力〔Einbildungskaraft〕の作り物になるわけであって、このもの〔*1〕の源泉は、実際は経験に求められざるを得ず、この経験の抽象された諸関係に基づいて、構想〔Einbildung〕は、なるほどそれらの諸関係の一般的なものを含んではいるものの、自然がそれらの諸関係と結びつけておいた制限抜きでは生じ得ない或るものを作りあげてしまったからである。

     *1 中山元訳1、p.114ではこう訳される。「そもそも想像力の源泉は、現実には経験のうちに求めねばならない。」

    ◇ 第一の立場を採る人々は、彼らが数学的な諸主張のために現象の分野を開放するというだけの有利さは持っている。これに反して彼らは、悟性がこの分野を越え出てゆこうとする時には、まさにこうした諸条件によって甚だしい困惑に陥る。

    ◇ 第二の立場を採る人々は、なるほどこの最後の点に関しては、つまり、空間と時間という表象は、彼らが対象について、現象としてではなく、単に悟性との関係において、判断しようとする時、彼らに障害とならないという点に関しては、有利ではある。しかし、ア・プリオリな数学的認識の可能性については、(彼らにはア・プリオリな真の客観的に妥当する直観が欠けていることによって)その根拠を指示することできなければ、諸経験命題を数学的な諸主張と必然的に一致させることもできない。

    ◇ 感性のこれらの二つの根源的な形式の真の性質に関する私たちの理論においては、こうした二つの難点は除去されている。


    † 原佑訳上巻、p.171〜p.172参照。他に、石川文康訳上巻、p.94〜p.95、中山元訳1、p.112〜p.115を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。


    *******

    [−4 No.23865
    [−1 No.23091、[−2 No.23113、[−3 No.23247
    Z−4 No.22690、Z−5 No.23032
    Z−1 No.21262、Z−2 No.21969、Z−3 No.22067
    Y−1 No.20986
    X−4 No.20772
    X−1 No.20568、X−2 No.20578、X−3 No.20699
    W−10 No.20434
    W−7 No.19817、W−8 No.20105、W−9 No.20168
    W−4 No.19542、W−5 No.19668、W−6 No.19682
    W−1 No.18802、W−2 No.19157、W−3 No.19216
    V−7 No.18378、V−8 No.18764
    V−4 No.17945、V−5 No.18058、V−6 No.18323
    V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841
    U−1 No.16741、U−2 No.16783
    T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495

    *******

    第一項 No.16440,16454,16495,16741,16783
    第二項 No.17515,17588,17841,17945,18058,18323,18378,18764
    第三項 No.18802,19157,19216,19542,19668,19682,19817,20105,20168,20434
    第四項 No.20568,20578,20699,20772
    第五項 No.20986
    第六項 No.21262,21969,22067,22690,23032
    第七項 No.23091,23113,23247,23865
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