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■23247  超越論的感性論 第七項:[−3
□投稿者/ うましか -(2022/05/14(Sat) 13:16:33)
    2022/05/14(Sat) 14:04:17 編集(投稿者)

    pipitさん、おはようございますー


    カント沼感性論、飛び込みます! (`・ω・´)ゞ


    (/・ω・)/パシャパシャ



    *******

    T 超越論的原理論
    第一部門 超越論的感性論

    第二節 時間について
     第七項 解明

    ◆ しかし、こうした異議がこのように異口同音になされ、しかも、それにもかかわらず、空間の観念性についての説に対して何ら明白な反論を示し得ない人々によってなされる原因は次の通りである。
    彼らは空間の絶対的実在性を確然的に立証し得るとは期待しなかった。というのも彼らは観念論に直面しており、その観念論に従えば外的な諸対象の現実性は何ら厳密に証明され得ないが、これに反して私たちの内的感官の対象(私自身と私の状態)の現実性は、直接的に意識を通じて明瞭であるからである。
    彼らの見解によれば、外的な諸対象は単なる仮象であり得たかもしれないが、内的感官の対象は何か現実的なものであることは拒みがたいというわけである。しかし、彼らは表象としての両者〔外的な諸対象と内的感官の対象〕の現実性は拒否され得ないとしても、にもかかわらず両者とも現象にだけ属しているということを見落としていた。
    この現象はいつでも二つの側面を持っている。一方は、客体がそれ自体そのもので考察される側面である(この場合にはこの客体を直観する様式にかかわりなく考察され、まさにこのゆえに、この客体の性質はいつでもあくまでも問題としては残る)。
    他方は、この対象の直観の形式が考慮される側面であり、この形式はその対象自体そのものの内にではなく、その対象がそれに現象する主体のうちに求められねばならないが、それにもかかわらず、その対象の現象に、現実的かつ必然的に帰属するのである。

    --- No. 23113 からの続き ---

    ◇したがって時間と空間は二つの認識源泉〔zwei Erkenntnisquellen〕であり、そこから様々な綜合的認識がア・プリオリに汲み取られ得るのであるが、とりわけ純粋数学が空間とその諸関係についての認識に関して、一つの輝かしい実例を示している。

     ※1 時間と空間は二つの認識源泉→様々な綜合的認識がア・プリオリに汲み取られる
     ※2 例として、空間とその諸関係についての認識に関する純粋数学
     ※3 「空間とその諸関係についての認識」 (;´・ω・)?空間と何の関係?

    ◇すなわち、時間と空間は、両者合わせて全ての感性的直観の純粋形式であり、だからこのことによってア・プリオリな諸綜合的命題を可能ならしめる。しかし、これらのア・プリオリな認識源泉はまさに次のこと(それらが単に感性の条件であるということ)によってその限界〔Grenzen〕を設定される。

     ※4 感性的直観の純粋形式(時間と空間)→ア・プリオリな綜合的命題を可能とする条件 ← 感性の条件であることによる限界がある。

    ◇すなわち、それは時間と空間とが、現象として考察される限りでの諸対象にのみ関わり、諸物自体そのものを描出しないということである。現象だけが時間と空間の妥当性の分野であって、その分野からは人がそこを越え出ていくなら、もはやそれらのいかなる客観的使用も生じない。

     ※5 「現象」として考察される限りでのみ諸対象に関わる
     ※6 「客観的使用」とは、時間と空間のどのような使用のことか(;´・ω・)?

    ◇いずれにしても、空間と時間とのこうした実在性は経験認識〔Erfahrungskenntnis〕の確実性を侵すものではない。なぜなら私たちは、空間と時間というこれらの形式が諸物自体そのものに結びついているにせよ、これらの諸物の私たちの直観にだけ必然的に結びついているにせよ、同じく経験認識を確信しているからである。

     ※7 「こうした実在性」 ・・・ 経験的実在性のこと?
     ※8 空間と時間という(感性的直観の純粋)形式は、物自体に、、、結びついているの(;´・ω・)?

    ◇これに反して、空間と時間との絶対的実在性を主張する人々は、たとえ彼らがこれら両者を基体的なものとして想定するにせよ、或いは内属的なものとしてのみ想定するにせよ、経験自身の諸原理と一致しなくならざるを得ない。

    ◇なぜなら、彼らがこれら両者を基体的なものとして想定する第一の立場(これは一般に数学的自然探究者がとる立場である)をとることに決めれば、彼らは永遠無限な独立して存立する二つの不可解なもの(空間と時間)を想定せざるを得ず、これらの不可解なものは(なんとしても現実的なものであるということ無しに)全ての現実的なものをそれ自身の内に包括するためにのみ現存することになる。

     ※9 第一の立場 ・・・ 永遠無限な独立して存在する不可解な(絶対的実在性)ものとしての時間空間 → 全ての現実的なものをそれ自身の内に包括するためにのみ現存する
     ※10 経験自身の諸原理と一致しない


    † 原佑訳上巻、p.169〜p.171参照。他に、石川文康訳上巻を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。


    *******
    [−1 No.23091、[−2 No.23113、[−3 No.23247
    Z−4 No.22690、Z−5 No.23032
    Z−1 No.21262、Z−2 No.21969、Z−3 No.22067
    Y−1 No.20986
    X−4 No.20772
    X−1 No.20568、X−2 No.20578、X−3 No.20699
    W−10 No.20434
    W−7 No.19817、W−8 No.20105、W−9 No.20168
    W−4 No.19542、W−5 No.19668、W−6 No.19682
    W−1 No.18802、W−2 No.19157、W−3 No.19216
    V−7 No.18378、V−8 No.18764
    V−4 No.17945、V−5 No.18058、V−6 No.18323
    V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841
    U−1 No.16741、U−2 No.16783
    T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495

    *******

    第一項 No.16440,16454,16495,16741,16783
    第二項 No.17515,17588,17841,17945,18058,18323,18378,18764
    第三項 No.18802,19157,19216,19542,19668,19682,19817,20105,20168,20434
    第四項 No.20568,20578,20699,20772
    第五項 No.20986
    第六項 No.21262,21969,22067,22690,23032
    第七項 No.23091,23113,23247
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