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■20578  超越論的感性論 第四項:X−2
□投稿者/ うましか -(2022/01/29(Sat) 17:57:10)
    2022/01/29(Sat) 18:02:24 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    No.20569 (pipitさん)

    >継起は、時間について考える時、よくセットで思い浮かぶ概念です。
    >記憶ということも、時間との関係で時々考えてます。
    >記憶を、像を作ることとすると、想像力、あるいは構想力となるのかな、とか。

    なるほどー(゚Д゚;)

    うましかな私は「継起」と訳された"Aufeinanderfolgen"についてとくに考えていませんでした(;´・ω・)。

    「継起」について、先ずヒュームの因果性を調べてみました。ヒュームによれば、「因果性とは,空間に隣接し時間的に継起する二つの種類の出来事の間の,人間が想像する必然的結合(necessary connection)の関係である.」(岩波哲学・思想事典、p.103「因果性」、田村 均による解説)


    (;´・ω・)沼の香りがしてきた…



    *******

    T 超越論的原理論
    第一部門 超越論的感性論

    第二節 時間について 〔Von der Zeit〕 
     第四項 時間概念の形而上学的論究 〔§4 Metaphysische Eroerterung des Begriffs der Zeit〕

    ◆〔1 *1〕 時間は、 1  何らかの経験から抽出されたいかなる経験的な概念でもない。なぜならば、同時存在〔Zugleichsein〕ないしは継起〔Aufeinanderfolgen〕は、時間の表象が、ア・プリオリにその根底に置かれていないならば、それ自身、知覚の内へと入り込んでこないであろうからである〔*2〕。時間の表象を前提してのみ、人は、いくつかのものが同一の時間に(同時的に〔zugleich〕)、ないしは異なった時間に(継起的に〔nach einander *3〕)存在するということを表象し得るのである。

     *1 第一版では冒頭に番号付け
     *2 石川文康訳(上巻)では次のように訳される。「なぜなら、時間の観念がアプリオリに根底にないとしたなら、同時に存在することやあいついで起こることが知覚されることさえないだろうからである。」(p.86) ちなみに、石川は“Vorstellung“を「観念、イメージ、思い、思い浮かべられるもの、想像」と訳す。石川の訳語についての考えは、上巻のp.x〜p.xviiを参照。
     *3 “nach einander”を石川訳では「あいついで」と訳す。

    ◆2 時間は、全ての直観の根底にある一つの必然的な表象である。人は、たとえ諸現象を時間の内から除き去ることを十分にできるにせよ、諸現象一般に関して時間自身を廃棄することはできない。それゆえ、時間はア・プリオリに与えられている。時間においてのみ、諸現象の全ての現実性は可能である。現象はことごとく無くなることはあり得るが、時間自身は(現象の可能性の普遍的な条件として)廃棄されることはあり得ない。

    --- No.20568 からの続き ---

    ◇ 3 このア・プリオリな必然性に、時間の諸関係についての確然的な諸原則の、或いは時間一般についての諸公理の可能性もまた根拠付けられている。時間は一次元だけを持っている。様々の諸時間は同時的にではなく、継起的に存在する(様々の諸空間が継起的にではなく、同時的に存在するのと同様である)。

     ※1 時間はあいついで起こるように存在し、空間は同時に存在する?(;´・ω・)

    ◇これらの諸原則は経験からは引きだされ得ない。なぜなら経験は、厳密な普遍性をも、確然的な確実性をも与えるはずがないからである。

    ◇私たちは普通の知覚がそのように教えると言い得るだけであって、そのようになっていなければならないと言うことはできないであろう。これらの諸原則は、総じて経験がそのもとでのみ可能であるという規則とみなされ、だから私たちに経験に先立って〔vor〕教えるのであって、経験を通じて〔durch〕教えるのではない。


    † 原佑訳上巻、p.160〜p.161参照
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    X−1 No.20568、X−2 No.20578
    W−10 No.20434
    W−7 No.19817、W−8 No.20105、W−9 No.20168
    W−4 No.19542、W−5 No.19668、W−6 No.19682
    W−1 No.18802、W−2 No.19157、W−3 No.19216
    V−7 No.18378、V−8 No.18764
    V−4 No.17945、V−5 No.18058、V−6 No.18323
    V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841
    U−1 No.16741、U−2 No.16783
    T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495

    *******

    第一項 No.16440,16454,16495,16741,16783
    第二項 No.17515,17588,17841,17945,18058,18323,18378,18764
    第三項 No.18802,19157,19216,19542,19668,19682,19817,20105,20168,20434
    第四項 No.20568,20578
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