□投稿者/ うましか -(2022/01/28(Fri) 19:38:24)
| 2022/01/28(Fri) 19:39:12 編集(投稿者)
pipitさん、こんばんはー
やっと感性論の時間についての節にはいることができました(;´・ω・)
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T 超越論的原理論 第一部門 超越論的感性論
第二節 時間について 〔Von der Zeit〕 第四項 時間概念の形而上学的論究 〔§4 Metaphysische Eroerterung des Begriffs der Zeit〕
◇ 時間は、 1 何らかの経験〔einer Erfahrung〕から抽出されたいかなる経験的な概念〔empirischer Begriff〕でもない。なぜならば、同時存在〔Zugleichsein〕ないしは継起〔Aufeinanderfolgen〕は、時間の表象が、ア・プリオリにその根底に置かれていないならば、それ自身、知覚の内へと入り込んでこないであろうからである。時間の表象を前提してのみ、人は、いくつかのものが同一の時間に(同時的に〔zugleich〕)、ないしは異なった時間に(継起的に〔nach einander〕)存在するということを表象し得るのである。
※1 時間(の表象)は 経験に先立ち(経験の)根底に置かれている。
◇ 2 時間は、全ての直観の根底にある一つの必然的な表象である。人は、たとえ諸現象を時間の内から除き去ることを十分にできるにせよ、諸現象一般に関して時間自身を廃棄することはできない。それゆえ、時間はア・プリオリに与えられている。時間においてのみ、諸現象の全ての現実性は可能である。現象はことごとく無くなることはあり得るが、時間自身は(現象の可能性の普遍的な条件として)廃棄されることはあり得ない。
※2 時間はア・プリオリに与えられている。 ※3 現象は無くなっても時間自身が廃棄されることない。それは全ての直観の根底にある一つの必然的な表象である。
† 原佑訳上巻、p.160参照 †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。 † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。 † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。 † ◆〜は原典における段落とします。
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X−1 No.20568 W−10 No.20434 W−7 No.19817、W−8 No.20105、W−9 No.20168 W−4 No.19542、W−5 No.19668、W−6 No.19682 W−1 No.18802、W−2 No.19157、W−3 No.19216 V−7 No.18378、V−8 No.18764 V−4 No.17945、V−5 No.18058、V−6 No.18323 V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841 U−1 No.16741、U−2 No.16783 T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495
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第一項 No.16440,16454,16495,16741,16783 第二項 No.17515,17588,17841,17945,18058,18323,18378,18764 第三項 No.18802,19157,19216,19542,19668,19682,19817,20105,20168,20434 第四項 No.20568
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