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■20434  超越論的感性論 第三項:W−10
□投稿者/ うましか -(2022/01/16(Sun) 13:46:12)
    2022/01/16(Sun) 13:48:06 編集(投稿者)

    pipitさん、こんにちはー

    山下本の読解、おつかれさまです!m(__)m

    なかなか投稿できませんが、pipitさんの考察は楽しみにしてますよー(/・ω・)/



    うましかは、久しぶりのカント沼です!


    *******

    ◆ しかしこの空間以外には、ア・プリオリに客観的と呼ばれ得るでもあろうような、主観的な、しかし何か外的なもの≠ニ連関づけられたいかなる他の表象もない。{だから、すべての外的現象のこの主観的条件はいかなる他の表象とも比較されえない。酒の美味は、その酒の客観的な諸規定の一つではなく、したがって現象とすらみなされた客観の諸規定の一つではなく、その酒を味わう主観がもつ感官の特殊な性質に属する。物体の直観にはその諸性質が結びついているが、いろいろな色は物体のそうした諸性質ではなく、光によって或る仕方で触発される視覚の感官の変様でしかない。これに反して空間は、外的な諸客観の条件として、必然的にこれらの外的な諸客観の現象ないしは直観に属している。味や色は、諸対象がそのものでのみ私たちにとって感官の客観となり得る必然的な条件では全然ない。それらは、特殊な有機的組織の偶然的に付加された結果としてのみ、現象として結合しているに過ぎない。だからそれらは、いかなるア・プリオリな表象でもなく感覚に根拠付けられているのであり、しかもそのうえ美味は感覚の結果としての感情(快と不快の)にすら根拠付けられている。また誰一人としてア・プリオリには、色の表象をも、何らかの味の表象をも、もつことはできない。しかし空間は直観の純粋な形式にのみ関わり、それゆえ、いかなる感覚(なんらの経験的なもの)をも、それ自身のうちに全然含んでおらず、だから空間の全ての様式と規定は、形態ならびに関係の概念が成立すべきであるときにはア・プリオリにすら表象され得るし、また表象され得なければならない。空間を通じてのみ、諸物が私たちにとって外的な対象であるということが可能なのである。}〔なぜなら、人は、空間以外のいかなる表象からも、空間における直観からのようにはア・プリオリな諸綜合的命題を導き出し得ないからである(第三項)。だからそうした表象には、精確に言うと、いかなる観念性も全然帰属しないのであって、たとえそうした表象が、たとえば、色、音、温かさの感覚をつうじての、視覚、聴覚、触覚という感官様式の主観的性質にのみ属するという点では、空間の表象と一致するにせよ、そうであり、しかも、色、音、温かさは、たんに感覚であって直観ではないので、それ自体ではいかなる客観をも、少なくともア・プリオリには認識せしめはしないのである。〕

     ※1 { }内は第一版のみ
     ※2 〔 〕内は第二版のみ

    --- No.20168 からの続き ---

    ◇このようなことを注意した意図は、人がいま主張された空間の観念性をはるかに不十分な実例によって解明しようと思いつくことを予防するためである。つまり、それというのも、例えば色や味などは、当然諸物の性質として考察されるのではなく、私たちの主観の変化、そのうえ異なった人間にあっては異なり得る変化として考察されるからに他ならない。なぜなら、この場合には、もともとそれ自身現象に過ぎないものが、例えばバラが、経験的な意味において物自体そのものとみなされているが、それでもこの物自体そのものは色に関してはあらゆる人々の眼に別様に現象し得るからである。

    ◇これに反して、空間における現象という超越論的概念は、次のような一つの批判的警告なのである〔*1〕。
    すなわち、その警告とは、空間において直観されるものは、総じて何一つとして事象自体ではなく、また、空間は、ひょっとすると諸物自体そのものに固有であるかもしれないような諸物の一つの形式ではなく、むしろ、対象はそれ自体では私たちには全然未知である、というものであり、
    だから、私たちが外的な対象と名づけるものは私たちの感性の単なる表象以外の何ものでもなく、この感性の形式が空間であるが、しかしこの感性の真の相関者、言い換えれば物自体そのものは、空間というこの形式を通じては全然認識されもしなければ、全然認識されることもできず、しかもそうした物自体は経験において決して問題とはならないという、警告なのである。

     *1 以下の訳は、有福孝岳訳(岩波,全集4)、p.105〜p.106も参考にした。

    † 原佑訳上巻、p.159参照
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    W−10 No.20434
    W−7 No.19817、W−8 No.20105、W−9 No.20168
    W−4 No.19542、W−5 No.19668、W−6 No.19682
    W−1 No.18802、W−2 No.19157、W−3 No.19216
    V−7 No.18378、V−8 No.18764
    V−4 No.17945、V−5 No.18058、V−6 No.18323
    V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841
    U−1 No.16741、U−2 No.16783
    T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495

    *******

    第一項 No.16440,16454,16495,16741,16783
    第二項 No.17515,17588,17841,17945,18058,18323,18378,18764
    第三項 No.18802,19157,19216,19542,19668,19682,19817,20105,20168,20434
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