□投稿者/ うましか -(2021/12/31(Fri) 00:16:18)
| 2021/12/31(Fri) 00:17:30 編集(投稿者)
pipitさん、こんばんはー 今年も残すところ今日一日となりました。
pipitさんのカント沼のおかげで、ようやくカントを読みはじめることができました。ありがとうございましたm(__)m
私の不味い投稿を読み込んで返信してくださる、管理人のパニチェさん、おくたがわさんにも感謝ですm(__)m
皆さん、よいお年を! (/・ω・)/
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◇しかしこの空間以外には、ア・プリオリに客観的と呼ばれ得るでもあろうような、主観的な、しかし何か外的なもの≠ニ連関づけられたいかなる他の表象もない。
◇{以降、第一版のみ →}だから、すべての外的現象のこの主観的条件はいかなる他の表象とも比較されえない。酒の美味は、その酒の客観的な諸規定の一つではなく、したがって現象とすらみなされた客観の諸規定の一つではなく、その酒を味わう主観がもつ感官の特殊な性質に属する。物体の直観にはその諸性質が結びついているが、いろいろな色は物体のそうした諸性質ではなく、光によって或る仕方で触発される視覚の感官の変様でしかない。これに反して空間は、外的な諸客観の条件として、必然的にこれらの外的な諸客観の現象ないしは直観に属している。味や色は、諸対象がそのものでのみ私たちにとって感官の客観となり得る必然的な条件では全然ない。それらは、特殊な有機的組織の偶然的に付加された結果としてのみ、現象として結合しているに過ぎない。だからそれらは、いかなるア・プリオリな表象でもなく感覚に根拠付けられているのであり、しかもそのうえ美味は感覚の結果としての感情(快と不快の)にすら根拠付けられている。また誰一人としてア・プリオリには、色の表象をも、何らかの味の表象をも、もつことはできない。{→ 続く}
--- No. 20105 からの続き---
◇しかし空間は直観の純粋な形式にのみ関わり、それゆえ、いかなる感覚(なんらの経験的なもの)をも、それ自身のうちに全然含んでおらず、だから空間の全ての様式と規定は、形態ならびに関係の概念が成立すべきであるときにはア・プリオリにすら表象され得るし、また表象され得なければならない。空間を通じてのみ、諸物が私たちにとって外的な対象であるということが可能なのである。{以上、第一版のみ }
◇〔以降、第二版のみ→〕なぜなら、人は、空間以外のいかなる表象からも、空間における直観からのようにはア・プリオリな諸綜合的命題を導き出し得ないからである(第三項)。だからそうした表象には、精確に言うと、いかなる観念性も全然帰属しないのであって、たとえそうした表象が、たとえば、色、音、温かさの感覚をつうじての、視覚、聴覚、触覚という感官様式の主観的性質にのみ属するという点では、空間の表象と一致するにせよ、そうであり、しかも、色、音、温かさは、たんに感覚であって直観ではないので、それ自体ではいかなる客観をも、少なくともア・プリオリには認識せしめはしないのである。〔以上、第二版のみ〕
† 原佑訳上巻、p.158〜p.159参照 †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。 † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。 † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。 † ◆〜は原典における段落とします。
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W−7 No.19817、W−8 No.20105、W−9 No.20168 W−4 No.19542、W−5 No.19668、W−6 No.19682 W−1 No.18802、W−2 No.19157、W−3 No.19216 V−7 No.18378、V−8 No.18764 V−4 No.17945、V−5 No.18058、V−6 No.18323 V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841 U−1 No.16741、U−2 No.16783 T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495
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第一項 No.16440,16454,16495,16741,16783 第二項 No.17515,17588,17841,17945,18058,18323,18378,18764 第三項 No.18802,19157,19216,19542,19668,19682,19817,20105,20168
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