| 「私的言語と言語ゲームのあいだに優先順位をつけることは、ついにはできない。 ここでもまた、私の言語の中にある言語ゲームの中に私の言語がある、というあの構造は必然なのだ。」
上記は「私・今・そして神 開闢の哲学」永井均 p206より引用
ワ・タ・シと語ることは言語ゲーム以外の何ものでもない。言語ゲームから逃げることは不可能。
もちろん永井氏は、ある種のウィトゲンシュタイニアンのように、後期ウィトゲンシュタインを前期の発展バージョンとして、前期を切り捨てたりなどしない!これは当たり前でしょう。なんといっても、〈私〉の哲学の人だから。
〈 〉という記法が示すのは、独在と頽落の終わることなきこの拮抗運動なのだ。(「〈私〉の存在の比類なさ」永井均p 112より引用」
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