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No43166 の記事


■43166 / )  Re[15]: knowing itselfさんへ
□投稿者/ knowingitself -(2025/05/14(Wed) 15:07:51)
    パニチェさん レスありがとうございます

    >> 永井氏の哲学スタイルがそうなっていて、過去のどの哲学者のテキストを読むときにもこの点に変わりはないと思います。永井氏の思考の跡をいきなり語るというより、過去の哲学者のテキストとともに語る。

    >> その中でも、私の印象ではやはりウィトゲンシュタインからの影響は特に大きい。ウィトゲンシュタインはかなり読み込んでおられて自家薬籠中の物にしていると思います。

    >おそらく以下は平行線になるとは思いますが。。。
    私ことパニチェもウィトゲンシュタインや永井均氏を知る前から「比類なき先言の<私>」を探究していました。

    >永井均氏も以下に記されているように同じだと思います。
    だからウィトゲンシュタインを借りて自分自身の哲学をしているといいうよりも、ウィトゲンシュタインを(借りてではなく)道具として用いているということだと思います。

    ウィトゲンシュタインを借りて自分自身の哲学をすることと、ウィトゲンシュタインを道具として用いることは、同じことだと思います。

    「ウィトゲンシュタイン入門」という新書を使って永井哲学の一端を示していますね。もっともこの書の場合は、ウィトゲンシュタイン哲学の一般解説書としても十分通用しますね。版がたえず重ねられていて、書店の棚から消えているのをみたことがありません。

    >『それは、かんたに言えば「私はなぜ、今ここにこうして存在しているのか」という問いであった。小学校の三、四年生のころ、自分でも問いの意味がよくわからないながらの、よくそんなことをぼんやりと考えていたのを覚えている。小学校高学年から中学生になるころには、もっと明確に「なぜこの子(つまり永井均)が自分であって、隣にいる子が自分ではないのか」という疑問をしばしば考えた。無数にいる人間といわれる生き物の中に、自分という特別のあり方をしているやつが一人だけいて、こいつ(両親によって永井均と名づけられた一人の少年)がそれである、ということが不思議でならなかった。(永井均著「ウィトゲンシュタイン入門」P15〜P16)』※P14〜P15にも記されてます。

    ここには永井氏の哲学的な主題がシンプルに提示されていますが、この主題を語るためにウィトゲンシュタイン哲学を背景として使うことを永井はこの書だけでなく、方々でやってます。その場合も決してウィトゲンシュタイン言説を捻じ曲げたり、牽強付会な論を強引に押し通さないところはさすがだと思います。


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