TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■35284 / inTopicNo.85)  Re[16]: つれづれなるままに
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/05(Tue) 19:51:42)
    そこはかとなく

    「空間」と「時間」

    「空間」はある程度「所有」できるかも。っていうか所有できないと生きてけない。最小限の空間の所有は「身体」ね。「空間」は「場所」っていって言ってもいいかな。

    こういうのに比べて「時間」っていうの、所有できないんじゃないかしら?っていうか〜、あってもなくても私の生にとってはあまり関係ないのかも?
引用返信/返信 削除キー/
■35276 / inTopicNo.86)  Re[15]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/04(Mon) 19:15:20)
    ウクライナ人が、ロシア人っていう殺人民族の攻撃を退けることができないのは、
    兵器不足だけかしら?
引用返信/返信 削除キー/
■35260 / inTopicNo.87)  Re[14]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/03(Sun) 17:09:46)
    No35230 の、
    〔世界のなかに(へ)存在する「私」〕っていうより、
    〔世界のうちに(へ)存在する「私」〕のほうがよかったかな。

    「存在論」っていうのあるみたい。
    ウィキペディアによると、
    〔存在論(英: ontology、独: Ontologie)は、哲学の一部門。さまざまに存在するもの(存在者)の個別の性質を問うのではなく、存在者を存在させる存在なるものの意味や根本規定について取り組むもので、形而上学ないしその一分野とされ、認識論と並ぶ哲学の主要分野でもある。〕
    っていうことみたい。
    ここに〔形而上学〕っていうのあるけど、これを〈形而上(神・霊魂・世界全体)の学〉ってして見たとき、
    No34845で見たように、
    現象学がテーマとする「世界」っていうのを「生きられた生活世界という地平」のことってしたとき、
    メルポンの、「世界における(への)存在」の「存在」、そして、哲学的問いかけを「ある(存在する)ということはどういうことか」っていうこと、ってしたとき、
    メルポンのは、ウィッキにあるような「存在論」(形而上学ないしその一分野)じゃない感じがしてる。
    あと、〔認識論〕ってあるけど、わたしこの「認識」っていうのも問題ね、これはまたいつか。

    あと、
    No33030の、
    『私を世界における(への)存在として露呈する』の『露呈する』なんだけど、
    No27145で、「現象学」っていうのを見たんだけど、
    〔おのれを示す当のものを、そのものがおのれをおのれ自身のほうから示すとおりに、おのれ自身の方から見えるようにさせる〕こと、とか、〔現象学とは、「己れを示すものを、それが己れを己れ自身から示すとおりに、己れ自身のほうから見させる」ことである〕
    っていう意味での、なのかも。

    そこはかとなく、いろいろ想像しちゃうのね。

引用返信/返信 削除キー/
■35230 / inTopicNo.88)  Re[13]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/01(Fri) 20:08:16)
    No35201のハイデガーの――(H)
    No25556のメルポンの――(M)
    の、わたしの憶測と感想。

    (H)によると、「君タチガ『存在する』トイウ言葉ヲ使うトキ、イッタイ君タチハ何ヲ意味スルツモリナノカ、」って、プラトンは「『存在する』トイウ言葉ヲ」って言ってるみたい。
    でもハイデガーにおいてはいつのまにか『今日、「存在」という言葉を』って、「存在」になっちゃってる。

    わたしのばあい、「存在する」っていう言葉と、「存在」っていう言葉、なんか使い方(意味)が異なる感じがしてる(雰囲気的にね)。

    (M)で、メルポンにおける「哲学的問いかけ」は、
    『結局は「何があるのか」、さらには「あるとは何か」ということである。』(滝浦静雄/木田元 共訳) 
    『最終的には「何が存在するか」という問い、「あるというのはどういうことか」という問いである。』(中山元 訳)
    っていうことみたい。
    「ある」っていうの、動詞的だと見てるから、「存在する」ってなるんだと思う。「存在」っていう名詞的なんじゃなくて。
    「何があるのか」→「何が存在するのか」
    「あるとは何か」→「存在するとは何か」
    「あるということはどういうことか」→「存在するということはどういうことか」
    でいいんだと思う。
    「何が存在のか」とか「存在とは何か」とか「存在ということはどういうことか」じゃなくて。

    (1)「存在する」という言葉で何を意味するつもりなのか?
    (2)「存在」という言葉で何を意味するつもりなのか?

    プラトンの場合(1)、メルポンも(1)の方なんだと思う。
    (2)はハイデガーに聞かないとわかんない。

    わたしが「ある」っていうのを使うときは、「○○がある」みたいに、かな。
    「ある」を「存在する」として、「○○が存在する」。
    で、「○○」に、「存在」と「存在する」を入れて見るのね。
    (a)「存在が存在する」
    (b)「存在するが存在する」
    ってなるんだけど、前に書いたけど、(a)のように、「存在」っていうのがどこかに“ある”わけじゃない、ってわたし思ってる。
    (b)だと、な〜んとなく見える感じだけど。

    メルポンに倣って、幼児で見て見るね。
    幼児にとって、初めて見る「もの」ばかり。
    初めて見る「もの」を「○○」ってするね。幼児にとってはまだ「○○」がなんなのか知らない(fremd)のね。
    幼児は「○○」を見て、〈これなあに?〉って、言いかえると〈「○○」ってなあに?〉ってなってるんだと思う。
    でもね、その前に、
    幼児は「○○」に志向して(意識が向いて)、〈「○○」(何か)がある〉、ってなってるんじゃないかしら?
    簡単に、〈○○がある〉→〈○○とは何か〉っていう流れ。
    この〈○○がある〉っていう〈ある〉に問いかけてるのが、メルポンの言う「ある(存在する)ということはどういうことか」、なんじゃないかしら、って。

    「存在する」ことにかんしてのを、「存在」で見ちゃうと分け分かんなくなっちゃうのかも?わたしのばあい。

    わたしのこのごろのテーマ、〔世界における(への)存在としての「私」〕のなかの〔存在〕を〔存在する〕と言いかえると〔世界のなかに(へ)存在する「私」〕っていうことになるかな。

    なんか言葉で上手に表現できないから長くなっちゃけど、こんな感じ〜、っていうことで。

引用返信/返信 削除キー/
■35229 / inTopicNo.89)  Re[12]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/01(Fri) 20:07:11)
    知性がプアーな政治家さんやその糞の言、

    もういいかな。
引用返信/返信 削除キー/
■35224 / inTopicNo.90)  Re[11]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/30(Thu) 19:49:25)
    話しが違うけど、
    「結果」と「原因」

    米軍のオスプレイっていう機械が墜落したみたい。
    たしか前にも自衛隊のオスプレイっていうのが墜落した、っていう記憶がある。

    「飛行機っていう機械が墜落した」を「結果」ってしたとき、その「原因」を調べるよね。

    その「機械」には原因がない、っていうことが前提にある、っていうのは「原因」にはならないのかしら?



引用返信/返信 削除キー/
■35201 / inTopicNo.91)  Re[10]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/27(Mon) 18:55:39)
    わたしの整理のために、もう一つ。
    前に書いたけどもう一度書き写しておく(探すのめんどくさいから)。

    【『存在と時間』ハイデガー/訳者原佑(はらたすく)・渡邊二郎訳/中央公論新社2003】の書き始めに、
    *****************
    「・・・・トイウノハ、君タチガ『存在する』トイウ言葉ヲ使うトキ、イッタイ君タチハ何ヲ意味スルツモリナノカ、ソレヲ君タチガトウノ昔カラ熟知シテイルノハ、明ラカナコトダカラダ。ダガワレワレハ、以前ニハソレヲワカッテイルト信ジテイタノニ、イマデハ困惑ニオチイッテイルノダ。・・・・。」(1)
    いったいわれわれは、「存在する」という言葉で何を意味するつもりなのか、この問いに対して、われわれは今日なんらかの答えをもっているのであろうか。断じて否。だからこそ、存在の意味への問をあらためて設定することが、肝要なのである。それではわれわれは、今日、「存在」という言葉を了解できない困惑にだけでもおちいっているのであろうか。断じて否。だからこそ、あらかじめ必要なのは、この問いの意味を明らかにするなんらかの了解を、まずもってふたたびめざめさせることである。「存在」の意味への問いを具体的に仕上げることが、以下の論述の意図である。あらゆる存在了解一般を可能にする地平として時間を学的に解釈することが、以下の論述の差しあたっての目標なのである。
    そうした目標をねらうこと、そうしたもくろみのうちに含まれていて、このもくろみによって要求されている諸研究、およびこの目標へいたる方途、これらのことは、序論の役目を果たす解明を必要としている。(p5)

    (1)プラトン『ソフィステース』244a
    *****************

    これと、
    No35200のとを絡めようかって思って。

    いまのわたしの今回の物語り、
    No33030 の、
    『コギトは私を状況あるものとして、あばき出さなくてはならない。』
    『私を「世界における(への)存在(etre au monde)として露呈する』(アキュートアクセントは省略)
    って言ってるから、それをわたし、
    〔世界における(への)存在としての「私」〕
    ってして見てるんだけど、
    ここに『存在』っていうのあるじゃん。
    前に「存在」っていうのも調べて見たのを想い出して、も一度見て見ようかと思って。

    このつづきは後で。


引用返信/返信 削除キー/
■35200 / inTopicNo.92)  Re[9]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/27(Mon) 18:48:02)
    や〜っと見つけた〜。
    No25556
    だった。

    ちょっと補足しとく。
    【『見えるものと見えないもの』1964滝浦静雄・木田元訳みすず書房1989】
    のなかの「問いかけと直観」のところ、
    【「メルロ=ポンティ・コレクション」著者モーリス・メルロ=ポンティ/翻訳者中山元/発行所筑摩書房1999】
    にもあったので、見比べて見たのね。
    あと、
    滝浦静雄/木田元共訳の原注(1)のもじばけしてるところ、アキュートアクセントなくして、Meditations。

引用返信/返信 削除キー/
■35189 / inTopicNo.93)  Re[8]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/26(Sun) 21:17:39)
    ん〜ん、ちょっと違う。
    もうちょっと探して見る。
引用返信/返信 削除キー/
■35188 / inTopicNo.94)  Re[7]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/26(Sun) 21:14:37)
    前にわたしの書いたのを調べてるんだけど、
    No25889
    どんなんだったけ?って。

引用返信/返信 削除キー/
■35103 / inTopicNo.95)  Re[6]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/19(Sun) 17:20:18)
    これまでに書き写したところの憶測と感想しとかなくっちゃって、

    No34697の(a)
    メルポンの、『ハイデガーが示唆してるように、「世界」というものの知覚がないかどうか』
    というのが、
    No34770の(g)の、
    ハイデガーの、
    『そもそも世界というものが存在しているのかどうか』
    のことについて言ってるんだとして、
    そして(e)で、『「世界」という現象』って、ハイデガーは言ってる。

    メルポンの『「世界」というものの知覚』とハイデガーの『「世界」という現象』
    っていうのから、
    メルポンは、「現象」っていうのを〈知覚されたもの〉のうちに見てるのかも? って。
    あ、わたしの憶測だからね。

    『「世界」というものの知覚がないかどうか』とか『そもそも世界というものが存在しているのかどうか』、
    こういう問い、え、なんで?ってわたし最初不思議だったんだけど、こういう問いが生まれてくるのが現象学なのかな?って最近はね。

引用返信/返信 削除キー/
■35091 / inTopicNo.96)  Re[5]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/18(Sat) 16:33:27)
    世界における(への)存在としての「私」の物語り、つづけるね。

    No35038で、人(私)を「学者」と「自然的人間」という分け方して見たんだけど、前に思ったのを想い出したので。
    No33642のときのに戻るけど、

    「私は私の身体である」(「私」=「身体」)、から、「身体(体・脳)」にかかわることとして、神経系のお勉強したんだけど、生命維持(生きられている)のための身体のオートマティック性っていうのを、わたし忘れてたことに気づかされたんだけど、
    ちょっとメルポンのと絡めて見た。

    大脳の前の方を〈思・考・判断・意志〉する場所ってして、私と世界とのかかわりにおいて、
    主知主義の人(私)って、「脳」の大脳皮質以外の「脳」(身体)の働きを、メルポンが言ってる、
    No33337のような、
    『私によって見逃されているものである。』
    みたいな?

    【モーリス・メルロ=ポンティ著 『知覚の現象学』1945中島盛夫訳法政大学出版局2009】で、メルポンは、
    『…最後に、今しがたわれわれは、生物学的存在は人間的実存と噛み合わされ、その固有のリズムと無関係ではないと、述べた。とはいえ、「生きる」(leben)ことこそ本源的な営みであって、そこからしてしかじかの世界を「体験する」(erleben)ことが初めて可能になるなるのであり、われわれは知覚する前に、そして関係的な生活に先だって、まず飲食し呼吸せねばならず、また人間的諸関係の生活に入る前に、視覚によって色彩と光に、聴覚によって音響に、性感によって他人の身体に臨んでいなくてはならないことに変わりないと、われわれはここに付言しておこう。・・・・』(p269)
    って言ってる。

    学者さんだって、わたしのようなふつうのひと(自然的人間)と同じように、『飲食し呼吸せねばならず』よね。
    飲食欲、睡眠欲、さらに呼吸、循環などの身体維持に欠かせない「生きられてる」という根源的営みは、身体のオートマティックな営みによるものなんじゃないかしら。無意識とか、本能って呼んでもいいかな?本能っていうばあい性欲も含まれるのかも。このようなことを“自明のこと”としてしまえば、なにもこのことについて問うことはしないのかも。でも、メルポンの精神的景観はこういうことも射程内に入ってる気がする。

引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -