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Re[20]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/09/21(Thu) 19:45:09)
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No33030の、 〈「私」をetre au mondeとして見る〉、と関係することとして、
「私」と「身体」と「世界」の関係。そして「身体」と「知覚」との関係で、メルポンの、前に書いたの、ちょっと書きだしておく、
『私は絶対的な根源である。私の実存は、私の経歴、私の自然的・社会的環境から由来するのではない。私の実存はこれらに向かってゆき、これらを支える。』 『私は私の身体の前にいるのではない。私は私の身体のなかにいる。いやむしろ私は私の身体である。』 『身体とは、われわれが一つの世界をもつ一般的な手段である。』 『身体は「世界における(への)存在」の媒体である。身体をもつということは、生きるものにとって、一定の環境にくわわり、若干の企投と一体となり、たえずこれに自己を拘束するということである。』 『〈身体の媒介〉というものは、たいていのばあい、私によって見逃されているものである。』 『身体の理論はすでに知覚の理論である』
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