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■33722 / inTopicNo.1)  純粋理性批判を読んでみる。51
  
□投稿者/ パニチェ -(2023/10/05(Thu) 20:14:55)
    トピ主:pipitさん



    引き続きよろしくお願いします。

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■33872 / inTopicNo.2)  パニチェさんへ
□投稿者/ pipit -(2023/10/11(Wed) 09:44:53)
    パニチェさんこんにちは。
    『51』の設置ありがとうございます!
    どうぞよろしくお願いします。m(_ _)m
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■33874 / inTopicNo.3)  日記
□投稿者/ pipit -(2023/10/11(Wed) 09:53:41)
    2023/10/12(Thu) 07:26:38 編集(投稿者)

    みなさまおはようございます(^_^)

    No33854
    数学的カテゴリーは相関者を持たず、力学的カテゴリーは相関者が見いだされる、とのことで思い出したカントの論文があります。

    『運動静止論』カント1758年。

    pipitが目を通したのは、雑誌『現代思想』1994年3月臨時増刊『カント』掲載の井上洋一さん訳文で、力学の相対性について論述されています。
    pipitは理系科目にも無知なので詳細はわかりませんが、大橋容一郎さんの解説が載っていて、『(略)本文を一読して目を引くのは、物体の運動(および静止)に関して、その徹底的な相対性の主張、慣性力の否定、ライプニッツ流の(論理的規則は別にしての)連続律の否定といういずれも大胆な断言であろう。(略)』とありました。

    相関関係の中でしか思考による『理解』は不可能なのかなー、と、ふと思いました。

    『運動静止論』はケーニヒスベルク大学での私講師カントとしての講義予告小論だそうで、pipit的にはおもしろく感じる文章などものっています。

    『今や私はめまいを覚え、問題の球が静止しているのか運動しているのか、運動しているとすればどこに向かってどんな速度で運動しているのか、まったくわからなくなってしまう。こうして私は、私の用いている運動と静止という表現に何らかの欠陥があることに気付きはじめる。私はこの表現を決して絶対的な意味で用いることはできず、つねに相対的な意味で用いることしかできない。私はある物体について、それがどの物体から見て静止しているかを定めることなしには、それが静止していると言ってはならない。また、ある物体がそれに対して関係を変えているところの諸対象を同時に示すことなしに、ある物体が運動していると述べてはならない。』
    (カント『運動静止論』井上洋一さん訳)『現代思想』1994.3.臨時増刊カントp365

    まだ私講師の時のカント先輩ですね、
    ふぁいとー
    o(^▽^)o

    あ、そういえば、冒頭でカント先輩こんなこと言ってたー

    『(略)進取の気性に富んだ人々が多く見受けられるが、世の人々は彼らの意見を大目に見てくれる。つまり、彼らの意見を吟味も熟考もしない〔で無視する〕のである。そこで、そうした人々の一人に数えられる幸運を得ている私は、あえて運動と静止の概念を、また特に静止の概念と結びついた慣性力の概念を考究し、それを拒斥しようと思う。もっとも、ヴォルフやその他の著名な学問体系という製粉機にむりやり注ぎ込まれずに残された思想などは、すべて穀物の殻のごときものであるとして捨ててしまうことが習性となっているような人々は、〔そうした思想を〕一目見ただけで、それが吟味するに値しないものであると見定めて、そのような考察全体が不当なものであると考えてしまうのだろう。』
    (同本p363.364より引用)

    この後、カントという製粉機....とついつい浮かんでしまうのですが、
    別の思想の踏み台となることもすごいことだと個人的には思っています。

    人間の知性について、様々なことを思います。
引用返信/返信 削除キー/
■33991 / inTopicNo.4)  日記
□投稿者/ pipit -(2023/10/16(Mon) 22:27:54)
    2023/10/16(Mon) 22:33:54 編集(投稿者)

    微分多様体の超入門。
    謎の数学者さん

    https://youtu.be/LW3JCnCxAXE?si=fF6cGElkhpw_FtXL

    をみました。

    ---------------------

    どうして多様体(たようたい、英: manifold, 独: Mannigfaltigkeit)が気になるかというと、カントが直観に関する用語として多様という言葉を使用しているからです。
    (多様に関するpipitの過去投稿)
    No29838
    No33462

    『カント事典』弘文堂、p328.329より抜粋引用します。

    『多様[(独)das Mannigfaltige;Mannigfaltigkeit]
    カント認識論の基礎概念の一つで、人間の認識のための所与、素材について言われる。
    (略)
     感覚や時空の可能的部分のみならず一般に意識内容をカントは「表象(Vorstellung)」の名で呼んでいるが、多くの表象という意味で「表象の多様(das Mannigfaltige der Vorstellungen)」という表現を使い、これが悟性によって客観的に綜合統一されて、一般に「経験(Erfahrung)」と彼が呼ぶものが成立すると考える。ここでも多様は、悟性の綜合作用に対する所与として理解されている。(略)(岡村信孝)』
    抜粋引用終了

    -----------------------

    冒頭に書いた、謎の数学者さんの超入門のYouTube見て、

    ここでカント哲学に妄想は進み、

    私の中で展開される多様、という捉え方もできるけど、
    私が世界における多様体の内の一つとなる、という捉え方をしたとき、

    一人の感性 が、 いろんな一人一人の感性 と 共になって それぞれの悟性理性により 共有する一つの客観世界が生じる

    そんな世界のイメージが私に生じました。

    いろんなこと誤解してると思いますがm(_ _)m

    ちょっとライプニッツのモナドも思い起こすなー

引用返信/返信 削除キー/
■34321 / inTopicNo.5)  純粋理性批判B165-166
□投稿者/ pipit -(2023/10/19(Thu) 23:08:13)
    2023/10/19(Thu) 23:43:17 編集(投稿者)

    No33794の続きです。

    次は、B165の
    『第二七項 知性の概念の根拠づけからえられた結論』(中山元先生訳、第二巻p172)
    の箇所!

    まずは原文のDeepL英訳を...

    § 27 Result of this Deduction of the Concepts of Understanding

    We cannot think of an object without categories;
    we cannot know a thought object without impressions that correspond to those concepts.
    Now all our impressions are sensuous, and this cognition, insofar as the object of it is given, is empirical.
    Empirical knowledge, however, is experience.
    Consequently, no knowledge a priori is possible for us, but only of objects of possible experience*.

    ほほぉ、最終行はなかなか刺激的な?文章!?

    『no knowledge a priori is possible for us, but only of objects of possible experience*.』

    J. M. D. Meiklejohnさんはこの箇所を
    『no a priori cognition is possible for us, except of objects of possible experience.』
    と訳されていました。
    この文章をDeepLで日訳すると
    『先験的な認知は、経験可能な対象を除いては不可能である。』

    pipit私見では、
    アプリオリな認識は、【《経験が可能な対象》についての認識】以外には不可能である。
    と言ってるのかな?と思いました。

    明日以降に英訳文を読んでみます!


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■34613 / inTopicNo.6)  日記
□投稿者/ pipit -(2023/10/23(Mon) 17:05:55)
    ボーカロイド曲を聴く時、わたしは、曲を作った人の心を聞いている気持ちになる。

    でも、もしかして自分の心をも聞いてるのかなー と 朝思った。

    でも、AIが曲も作れるようになったなー

    その曲は、だれの心を 奏でているのかな ?

    多くの人の 心 ?

    コンピュータの作者やらなんやらを全部含めて ?

    どんな世界になっていくのかなー

    ♪ ハテ(feat.IA) Qeiru さん
    https://youtu.be/_hmUrUKHEqg?si=OI0RIy6AOJ3gvYGu


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■34641 / inTopicNo.7)  純粋理性批判B165-166
□投稿者/ pipit -(2023/10/24(Tue) 20:06:17)
    2023/10/24(Tue) 20:10:41 編集(投稿者)
    2023/10/24(Tue) 20:07:56 編集(投稿者)

    みなさまこんばんは。
    No34321の英訳のpipit日訳です。

    「私たちはカテゴリーによらなければ対象を思考できない。

    私たちは思考物に対応する直観によらなければ思考物を認識できない。

    さて、私たちの直観は感覚的であり、私たちの認識は対象が与えられる限りにおいて経験的である。

    経験的認識は経験である。

    すなわち経験が可能な対象のアプリオリな認識以外には、アプリオリな認識は私たちには不可能である。」

    (pipit雑感)
    なんか分かり難いなぁ(T . T)

    カント的には

    ●カテゴリーは経験の条件。

    ●アプリオリな認識は、経験によらない認識。

    ●思考物を認識可能にするのは、経験。


    カテゴリー(思考の形式)や時間、空間(感性の形式)を対象とした考察だけが、かろうじてアプリオリな【認識】になる、ということなのかなぁ。
    認識には経験が不可欠要素だけど、経験によらない認識がアプリオリな認識とすると、経験の内と外を限界づける境界線としての経験の条件という思考物はアプリオリな認識として耐え得る、ということかなぁ
    ちがうかなぁ
    ややこしいなぁ (T ^ T)

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■34643 / inTopicNo.8)  Re[6]: 純粋理性批判B165-166
□投稿者/ pipit -(2023/10/24(Tue) 20:15:05)
    2023/10/24(Tue) 20:16:24 編集(投稿者)

    No34641の部分のJ. M. D. Meiklejohnさんの英訳も引用しておきます。

    We cannot think any object except by means of the categories;

    we cannot cognize any thought except by means of intuitions corresponding to these conceptions.

    Now all our intuitions are sensuous, and our cognition, in so far as the object of it is given, is empirical.

    But empirical cognition is experience;

    consequently no a priori cognition is possible for us, except of objects of possible experience.[25]

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap52
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■34666 / inTopicNo.9)  Re[7]: 純粋理性批判B165-166
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/10/25(Wed) 19:07:22)
    ひさびさに、お邪魔しま〜す。
    pipitさまのカントのの日訳のところ、わたしから見たのを書いて見ま〜す。

    神にくらべて、私たち人間は、経験可能な対象のうちでしか、アプリオリな認識というものを持っていない。
    対象は、経験によって、感覚的に直観され、それを思考し認識している。その際、思考はカテゴリーによってなされている。

    こんな感じの。

    以下は補足ね。

    あくまでも私たち人間における思考のカテゴリー(事柄の性質を区分する上でのもっとも基本的な分類)を、カント(という名の人間)は、大きく「量」「質」「関係」「様態」と分け、これをアプリオリとした。

    どうかしら?とっても簡単に見ちゃったけど。
    あ、これ、あくまでも(自称)メルポン派のわたしに見られたものね。
    だから捨て置いていいよ。

引用返信/返信 削除キー/
■34667 / inTopicNo.10)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2023/10/25(Wed) 19:41:22)
    悪魔ちゃん、お久しぶり!書き込みありがとう(^O^)

    No34666
    (悪魔ちゃん)
    > 神にくらべて、私たち人間は、経験可能な対象のうちでしか、アプリオリな認識というものを持っていない。
    > 対象は、経験によって、感覚的に直観され、それを思考し認識している。その際、思考はカテゴリーによってなされている。<

    すごくすっきりまとまってるね!
    そう考えればいいのかと思ったよ Σ(・□・;)


    > あくまでも私たち人間における思考のカテゴリー(事柄の性質を区分する上でのもっとも基本的な分類)を、カント(という名の人間)は、大きく「量」「質」「関係」「様態」と分け、これをアプリオリとした。
    >
    > どうかしら?とっても簡単に見ちゃったけど。<

    うん。

    不思議だなぁ、カントのぐにゃぐにゃ文が悪魔ちゃんが書き込んでくれるとすっきり文意に思えてしまうなぁ。

    過去に、悪魔ちゃんの問いに答えるために引っ張ってきたカント文章が、すっきり文に感じることも多くて、

    (あれ?こんなハズでは??)と思うこともよくあったことを、思い出したよ。

    ありがとうね!
引用返信/返信 削除キー/
■34734 / inTopicNo.11)  御礼
□投稿者/ 田秋 -(2023/10/26(Thu) 23:29:09)
    こんばんは、pipitさん

    あの書き込み、ありがとうございます。大変大変感謝しています。

    でも相手が相手ですからね。

    ボクは大丈夫です。重ねてありがうございます。お礼を申し上げます。

    返信ご無用ですので。


引用返信/返信 削除キー/
■34737 / inTopicNo.12)  田秋さんへ
□投稿者/ pipit -(2023/10/26(Thu) 23:42:47)
    こんばんは♪
    田秋さんの励まれてるお姿を見ていると、私も将来、仏教やカントの講義を受けたいな、と、思えてきます。
    多種多様な勉強、おつかれさまです!



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