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純粋理性批判B165-166
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□投稿者/ pipit -(2023/10/24(Tue) 20:06:17)
| 2023/10/24(Tue) 20:10:41 編集(投稿者) 2023/10/24(Tue) 20:07:56 編集(投稿者)
みなさまこんばんは。 No34321の英訳のpipit日訳です。
「私たちはカテゴリーによらなければ対象を思考できない。
私たちは思考物に対応する直観によらなければ思考物を認識できない。
さて、私たちの直観は感覚的であり、私たちの認識は対象が与えられる限りにおいて経験的である。
経験的認識は経験である。
すなわち経験が可能な対象のアプリオリな認識以外には、アプリオリな認識は私たちには不可能である。」
(pipit雑感) なんか分かり難いなぁ(T . T)
カント的には
●カテゴリーは経験の条件。
●アプリオリな認識は、経験によらない認識。
●思考物を認識可能にするのは、経験。
↓ カテゴリー(思考の形式)や時間、空間(感性の形式)を対象とした考察だけが、かろうじてアプリオリな【認識】になる、ということなのかなぁ。 認識には経験が不可欠要素だけど、経験によらない認識がアプリオリな認識とすると、経験の内と外を限界づける境界線としての経験の条件という思考物はアプリオリな認識として耐え得る、ということかなぁ ちがうかなぁ ややこしいなぁ (T ^ T)
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