| 「分ける」ということ、もう一度。
『人は世界を〔分類・秩序・体系化〕という仕方によって理解しようとしている』 っていうのあって、わたしこれそうだな〜、って思ってる。
前に【分類】【カテゴリー】【分節】をネットで調べて見たことがあった。 これらは微妙にその意味が異なってる感じがしてる。 前に調べたのをざっと書きだして見ると、
(1)【分類】 〔同類のものをまとめ、いくつかの集まりに区分すること〕〔全体を共通性にしたがって大きく分け、分けたものをさらにまた共通性に従って細分し、これ以上分けることのできない個体の一つ手前(種という)まで順次分けていって段階づけ、体系化することをいう〕
(2)【カテゴリー】 〔哲学で、アリストテレス以来の用語。事物を分類する際、もはやそれ以上に分けることのできない、最も根本的、一般的な基本概念(属性、量、状態、関係等)。最高の類概念。範疇。〕とか、〔哲学で、あらゆる事象をそれ以上に分類できないところで包括する一般的な基本概念。最高類を意味する。〕
こういうのから、わたしの、 「分類」を、〈さまざまな物事を、共通性によって(共通する要素を抽象、個別的なものを捨象し)括りまとめ、同じものとして見て、分ること。〉ってしたんだと思う。(ちなみに、現象学では「捨象エポケー」みたいなことを言っていたと思う。) 「カテゴリー」を、〈事物を分類しようとするとき、もうそれ以上に分けることができない、最も根本的・一般的な基本概念〉 ってしたんだと思う。(1)に〔これ以上分けることのできない〕っていうのもあるから、「分類」のなかで、〔これ以上分けることができない〕ものを「カテゴリー」ってして、ちょっと区別することにした。
(3)【分節】 〔全体をいくつかの区切りに分けること。また、その区切り〕とか、〔言語学で、言語に見られる音の単位の区切れ、意味の単位の区切れ。個々の音をはっきり発音すること、また、発生器官の調節や運動を言う。〕 とか、〔心理学で、統一的・全体的構造をもつものの部分は、独立した要素として分割できず、全体性の分化としての構成要素であること〕てあった。
〔統一的・全体的なものを独立した部分に分割できないような〕っていう見方は「ゲシュタルト的」ってわたし見てる。
(4)【ゲシュタルト】 〔《形態・姿などの意》知覚現象や認識活動を説明する概念で、部分の総和として捉えられない合体構造に備わっている、特有の全体構造をいう。形態。〕
そして、メルポンは、『…もっとも、問題は、多くの仮説のなかからあえて一つの仮説を試みることにあるのではなく、一つの新しいカテゴリー、「ゲシュタルト」というカテゴリーを導入することにあるのであって、・・・』って言ってる。 「ゲシュタルト」っていうのは、これ以上分けることができない分類って見ることになるんだけど、わたしのばあい、ゲシュタルト的なものをその内に分けるときには「分節」っていう語を使うことにした。
(5)【区別】 あるものと他のものとが違っていると判断して分けること。
【分類】【カテゴリー】【分節】【区別】みたいなの、わたしこれらをまとめて「分け」って言うことにした。 「分けること」、「分け方」みたいな。
あと、 「分類」っていうの、「概念concept」と関係してるみたいだった。
【概念】 〔概念とは、個々の対象、いわゆる個物(個体)よりも複数の個物を包括的・概括的に捕捉する〕とか、〔〈犬〉という概念が単数、複数の犬の心像、イメージを思いおこさせることなどもあって、概念は心像、イメージも合わせて意味し、あるいはそれらと同一視されることがまれではない〕とか、〔個々の物について、知覚・記憶に現れる表象とは別に、一般的なものを考えるときに心のなかに生じるものを「概念」とよび、これが判断の基本要素となる〕
『概念は、言葉として表され、その意味となる』っていうのがある。 「分類されたもの」を「概念」ってして、それに「名(語)」を付けてるってして見た。「概念」を「意味」ってしよっかな〜、って思ったんだけど、メルポンは、『sensという意味』っていうことも言ってるから、「意味」を二つに、「感性的意味」と「言語的意味」に分けて見た。「概念」っていうのは「言語的意味」の方に入れて見てる。 「言語的意味」っていうのは、たとえば辞書みたいなんで、ある「語」の意味(概念)を「言葉で」表されているよね。ん〜ん、言語化って見してもいいなかな。それに対して、言葉で表されてない意味――個別的で経験的な“そのようなもの”みたいな――のもあるんじゃないかしら、って思ってそれを「感性的意味」、ってしてわたし区別して見た。
「分ける」っていうことに関係する「語」の意味をざっとおさらいして見ました。
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