■32302 / inTopicNo.62) |
超越論的分析論Y−3
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□投稿者/ うましか -(2023/08/06(Sun) 10:15:51)
| 2023/08/06(Sun) 10:16:42 編集(投稿者)
pipitさん、おはようございます(/・ω・)/
久しぶり?の日曜午前のカント沼浴
既に暑い、、、(´;ω;`)ウッ…
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T 超越論的原理論 第二部門 超越論的論理学 第一部 超越論的分析論 第一篇 概念の分析論 第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて
□全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き 第三節 (第十項) 純粋悟性概念またはカテゴリーについて
◆ しかし、私が最も一般的な意味で綜合≠ニ理解しているのは、様々な諸表象を互いに加え合わせ、それらの多様性を一つの認識として包括する働きのことである。 そうした綜合が純粋≠ナあるのは、その多様なものが経験的に与えられているのではなく、ア・プリオリに与えられている(空間及び時間における多様なもののように)ときである。 私たちの諸表象の全ての分析に先立ってこれらの諸表象がまず与えられていなければならず、いかなる概念もその内容からみれば&ェ析的に発現することはあり得ない。 だが、多様なものの綜合が(この多様なものが経験的に与えられていようと、或いはア・プリオリに与えられていようと)、まず認識を産み出すのであって、この認識は、なるほど最初はまだ粗雑で混乱していることがあり得るし、それ故分析を必要としはするが、にもかかわらず、綜合こそ、本来その諸要素を収集して認識となし、統合して或る種の内容となす、そのものに他ならない。 それ故、この綜合は、私たちが私たちの認識の最初の起源に関して判断しようとするとき、私たちが注目すべき第一のものである。
--- No.32053 からの続き ---
◇ 私たちが後でみるであろうように、綜合一般は構想力の単なる作用であり、〔構想力は〕魂の、たとえ不可欠であっても、盲目的な機能の単なる作用であって、この機能を欠けば、私たちはどこにおいても、どんな認識をも決して持つことはできないであろうが、しかし、私たちがこの機能を意識するだけでさえ稀である。
◇ しかしながら、この綜合を概念へと≠烽スらすのは、悟性に帰属する機能であって、このことによって悟性は私たちにはじめて本来の意味での認識を提供するのである。
† 原佑訳上巻、p.221〜p.222参照。 † その他に、中山元訳2、p.69、石川文康訳上巻、p.133〜p.134を参照。 †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。 † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。 † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。 † ◆〜は原典における段落とします。
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Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302 X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639 X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874、 W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529 V−1 No.29992、V−2 No.30063 U−1 No.29963 T−1 No.29833、T−2 No.29850
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第一部 No.29833,29850 第一篇 No.29963 第一章 No.29992,30063 第一節 No.30139,30154,30529 第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639 第三節 No.31693,32053,32302
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