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■32320 / inTopicNo.61)  Re[6]: 超越論的分析論Y−3
  
□投稿者/ pipit -(2023/08/07(Mon) 00:42:47)
    2023/08/07(Mon) 06:33:08 編集(投稿者)

    うましかさん、こんばんはー(^O^)

    No32302
    > ◇ 私たちが後でみるであろうように、綜合一般は構想力の単なる作用であり、〔構想力は〕魂の、たとえ不可欠であっても、盲目的な機能の単なる作用であって、この機能を欠けば、私たちはどこにおいても、どんな認識をも決して持つことはできないであろうが、しかし、私たちがこの機能を意識するだけでさえ稀である。<

    綜合と統合は機能が違うということなのかなぁ
    (・・?)


    > ◇ しかしながら、この綜合を概念へと≠烽スらすのは、悟性に帰属する機能であって、このことによって悟性は私たちにはじめて本来の意味での認識を提供するのである。<

    綜合は構想力の作用で、
    その総合を概念へともたらすのは悟性...

    カントが概念についてなんか言ってたなぁ、悪魔ちゃんとの会話で出た覚えが、、、と検索して見つけました。

    No31680
    > 引用するね。カントの文章の中山元先生訳、第二巻p196、[]は中山先生補註、A103-104
    『[物を掴む ベグライフェン という語から派生した] 概念 ベグリッフ という語そのものが、そのことに留意するきっかけとして役立つかもしれない。[物を掴むという]この意識こそが、次々と直観してきた像や、再生された像など、多様なものを集めて、一つの像としてまとめる働きをするからである。』
    引用終了<

    多様なものを集めるのは構想力の作用で、一つの像としてまとめる働きは悟性なのかなぁ。

    日中は暑かったけど、さっき外に出たら涼しく感じる風が吹いていました。
    この私の認識にも構想力の綜合が機能してるなと思いました。
    カントの純粋理性批判はもっと根本的な対象認識全般についてだと思いますが、
    pipitの日常でも像の再生や産出の試みができないと何もストーリーが作れない。

    ストーリーを作ることを止めたとき、みえる風景はどんな感じなのかなぁと、ふと思いました。

    うましかさん、カント文への向き合い?おつかれさまでした!

引用返信/返信 削除キー/
■32302 / inTopicNo.62)  超越論的分析論Y−3
□投稿者/ うましか -(2023/08/06(Sun) 10:15:51)
    2023/08/06(Sun) 10:16:42 編集(投稿者)

    pipitさん、おはようございます(/・ω・)/

    久しぶり?の日曜午前のカント沼浴

    既に暑い、、、(´;ω;`)ウッ…

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて

    □全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第三節 (第十項) 純粋悟性概念またはカテゴリーについて

    ◆ しかし、私が最も一般的な意味で綜合≠ニ理解しているのは、様々な諸表象を互いに加え合わせ、それらの多様性を一つの認識として包括する働きのことである。
    そうした綜合が純粋≠ナあるのは、その多様なものが経験的に与えられているのではなく、ア・プリオリに与えられている(空間及び時間における多様なもののように)ときである。
    私たちの諸表象の全ての分析に先立ってこれらの諸表象がまず与えられていなければならず、いかなる概念もその内容からみれば&ェ析的に発現することはあり得ない。
    だが、多様なものの綜合が(この多様なものが経験的に与えられていようと、或いはア・プリオリに与えられていようと)、まず認識を産み出すのであって、この認識は、なるほど最初はまだ粗雑で混乱していることがあり得るし、それ故分析を必要としはするが、にもかかわらず、綜合こそ、本来その諸要素を収集して認識となし、統合して或る種の内容となす、そのものに他ならない。
    それ故、この綜合は、私たちが私たちの認識の最初の起源に関して判断しようとするとき、私たちが注目すべき第一のものである。

    --- No.32053 からの続き ---

    ◇ 私たちが後でみるであろうように、綜合一般は構想力の単なる作用であり、〔構想力は〕魂の、たとえ不可欠であっても、盲目的な機能の単なる作用であって、この機能を欠けば、私たちはどこにおいても、どんな認識をも決して持つことはできないであろうが、しかし、私たちがこの機能を意識するだけでさえ稀である。

    ◇ しかしながら、この綜合を概念へと≠烽スらすのは、悟性に帰属する機能であって、このことによって悟性は私たちにはじめて本来の意味での認識を提供するのである。


    † 原佑訳上巻、p.221〜p.222参照。
    † その他に、中山元訳2、p.69、石川文康訳上巻、p.133〜p.134を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節 No.31693,32053,32302

引用返信/返信 削除キー/
■32296 / inTopicNo.63)  日記
□投稿者/ pipit -(2023/08/06(Sun) 08:17:18)
    カテゴリーをプログラムと考えた時、アプリオリに与えられている感性的環境とどのように連関させるか、になるのかなぁ

    どう連関させるかは、プログラム内でプログラムとして規定していく、ってかんじなのかなぁ



引用返信/返信 削除キー/
■32287 / inTopicNo.64)  Re[23]: B157
□投稿者/ pipit -(2023/08/06(Sun) 00:18:32)
    2023/08/06(Sun) 08:05:07 編集(投稿者)

    みなさまこんばんは(*^ω^*)

    No32050の続きですー

    ↓原文のDeepL英訳

    The consciousness of itself is therefore still far from being a cognition of itself, regardless of all categories, which make up the thinking of an object in general by connecting the manifold in an apperception.

    ↓同箇所のJ. M. D. Meiklejohnさん英訳

    The consciousness of self is thus very far from a knowledge of self, in which I do not use the categories, whereby I cogitate an object, by means of the conjunction of the manifold in one apperception.

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap50


    (pipit感想)

    The consciousness of itself
    is therefore still far from being a cognition of itself,

    をDeepLに日訳してもらうと

    「したがって、それ自体への意識は、それ自体への認識にはまだほど遠い、」

    regardless of all categories,
    which make up the thinking of an object in general by connecting the manifold in an apperception.


    ・・・・・・・・・


    カテゴリーを使用することで知覚の中において多様を結合し、対象全般の思考を構成することになるが、そのカテゴリーにかかわらず(カテゴリーを使用したとしても?)
    自分自身に対する自己意識 ≠ 自分自身に対する認識 ということ??

    (客体としての自分という対象)の知識が、「自分自身に対する認識」ということなのかなぁ。

    カント的には、各表象が「我思う」という一つの意識へ統合される。
    その際に発生する「我」ありの意識は、「我」の客観的規定には達しないものということかなぁ。
    認識発生の形式であり、対象を規定するものではない、ということかなぁ。

    先を読んでみます (T ^ T)クッ

引用返信/返信 削除キー/
■32253 / inTopicNo.65)  うましかさんへ(^ ^)
□投稿者/ pipit -(2023/08/04(Fri) 06:21:25)
    2023/08/04(Fri) 06:31:13 編集(投稿者)

    おはようございます

    No32251
    > もし知性の発達が、他の動物と比べてということならば、他の動物は、一応人間である私うましかより悩みの種が少ないのかな〜、、等と意味不明なことを考えつつ、カント認識論に則するならば、人(の知性)が「悩む」とは、どのような状況をいうのだろうか、、、と。
    >
    > カント先輩オシエテオシエテ〜( ;∀;)<

    言われてみれば、悩む、って、、、
    pipitの場合は、かといって他の動物になりたいとも思わないんですよねー


    > (´・ω・`)シランガ〜ナ沼
    >
    >
    > 【どうでもよい追記】
    >
    > こんな記事みつけた、有料なので途中までしか読めずストレス(´-ω-`)
    >
    > https://mainichi.jp/premier/health/articles/20230720/med/00m/100/019000c

    記事、途中まででもおもしろかったです。ご紹介ありがとうございます!

    私はカント哲学に元気をもらってる気になってるのですが、鳥さんの俯瞰眼から観たらどうなんでしょうねー
    ( ^ω^ )
引用返信/返信 削除キー/
■32251 / inTopicNo.66)  pipitさんへ (;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2023/08/03(Thu) 23:42:15)
    2023/08/04(Fri) 00:24:59 編集(投稿者)

    No.32175,32246 (pipitさん)

    >すこしずつでも読み進みたいと思いながらも、雑用&怠け心で進めてません
    (><)
    >勉強せずについつい

    (;・∀・)ついつい、、、日中の疲れで寝てしまうか、横道に逸れてしまう〜


    >人間は知性が発達した分、悩みも多くなるのでしょうが、その反面、やっぱり人間の知性ってすごいなぁと思う時もあります。

    うーむ、、悩みですかー(;´・ω・)

    うましかの悩み(内緒ですが)は、知性が発達した結果の産物なんでしょうか。。。

    もし知性の発達が、他の動物と比べてということならば、他の動物は、一応人間である私うましかより悩みの種が少ないのかな〜、、等と意味不明なことを考えつつ、カント認識論に則するならば、人(の知性)が「悩む」とは、どのような状況をいうのだろうか、、、と。

    カント先輩オシエテオシエテ〜( ;∀;)


    (´・ω・`)シランガ〜ナ沼


    【どうでもよい追記】

    こんな記事みつけた、有料なので途中までしか読めずストレス(´-ω-`)

    https://mainichi.jp/premier/health/articles/20230720/med/00m/100/019000c





引用返信/返信 削除キー/
■32246 / inTopicNo.67)  日記
□投稿者/ pipit -(2023/08/03(Thu) 21:16:45)
    みなさまこんばんはー(*^ω^*)

    すこしずつでも読み進みたいと思いながらも、雑用&怠け心で進めてません
    (><)

    勉強せずについつい見てしまうYouTube

    奈良県庁前の芝刈り鹿さん
    https://youtube.com/shorts/1fiGqPgwQAU?feature=share


引用返信/返信 削除キー/
■32175 / inTopicNo.68)  うましかさん、おはようございます(o^^o)
□投稿者/ pipit -(2023/08/01(Tue) 07:33:59)
    2023/08/01(Tue) 19:39:09 編集(投稿者)

    うましかさん、おはようございます(^○^)

    亀さんの行動とかびっくりですよねー
    ほのぼのしました(*^ω^*)

    人間は知性が発達した分、悩みも多くなるのでしょうが、その反面、やっぱり人間の知性ってすごいなぁと思う時もあります。

    昨日、『クレイジージャーニー』というテレビ番組で
    数学者の杉原厚吉先生を初めて知ったのですが、すごい!と驚きました。

    【錯視アート】方程式が導き出す魔法の立体。
    数学の道はモノづくりへと続く
    http://www.asahi.com/ad/globalj/meiji/

    二方向からの見え方でそれぞれ式をたて、連立方程式で解いて、解があるなら作品が作れる、というところがおもしろいなぁと、難しい数学はさっぱりわからないpipitなりに思いました。
    解がないものは(とりあえずは)作れない、というところもおもしろかったです(*^◯^*)

    しばらく暑い日が続くのかな、うましかさんもどうぞ無理なさらないでくださいね。
    今日もみんな同じ地球でまわりましょう!
引用返信/返信 削除キー/
■32165 / inTopicNo.69)  pipitさん、こんばんはー(・ω・)ノ
□投稿者/ うましか -(2023/08/01(Tue) 00:56:30)
    2023/08/01(Tue) 01:06:46 編集(投稿者)

    No.32063(pipitさん)

    亀さんと鹿さんの動画、なんだか魅入ってしまいました〜

    私うましかはいちおう人なんですが(;´・ω・)

    ほんの一瞬、亀界と鹿界にうらやましさを感じました

    沼1号(゚Д゚; )マジっすか
    沼2号(;゚Д゚)マジらしいっす


    >亀さんで思い出した、亀さんたちがひっくり返った亀さんを助けるYouTubeショート
    https://youtube.com/shorts/Pf4nSFe_vXc?feature=share

    水溜まりのカメたち:「こいつこまってるやん! 助けたろ」… 汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ(`・ω・´)ゞ

    >これはシカさんのYouTubeショート
    https://youtube.com/shorts/jlPLX3OjZF0?feature=share

    奈良のシカたち:「ゲリラ豪雨やん! 雨宿りしよ」… 汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ(`・ω・´)ゞ


    番外編

    雨宿りするシカをスマホで撮影する人々 … 不満足な○○(;´・ω・)



引用返信/返信 削除キー/
■32063 / inTopicNo.70)  YouTubeショート日記
□投稿者/ pipit -(2023/07/31(Mon) 00:28:30)
引用返信/返信 削除キー/
■32062 / inTopicNo.71)  Re[5]: 超越論的分析論Y−2
□投稿者/ pipit -(2023/07/31(Mon) 00:14:04)
    うましかさん、こんばんは!
    暑くて参りますね(><)

    No32053
    > ◇ しかし、私が最も一般的な意味で綜合≠ニ理解しているのは、様々な諸表象を互いに加え合わせ、それらの多様性を一つの認識として包括する働きのことである。
    >
    > ◇そうした綜合が純粋≠ナあるのは、その多様なものが経験的に与えられているのではなく、ア・プリオリに与えられている(空間及び時間における多様なもののように)ときである。<

    アプリオリに与えられている多様を一つの認識に、って、カントはどのような事態をイメージしてるのかなぁ


    > ◇私たちの諸表象の全ての分析に先立ってこれらの諸表象がまず与えられていなければならず、いかなる概念もその内容からみれば&ェ析的に発現することはあり得ない。<


    概念が分析的に発現することはあり得ない?
    (・・?)
    先に多様があって、概念はその多様を一つに包括する、ということかなぁ。


    > ◇だが、多様なものの綜合が(この多様なものが経験的に与えられていようと、或いはア・プリオリに与えられていようと)、まず認識を産み出すのであって、この認識は、なるほど最初はまだ粗雑で混乱していることがあり得るし、それ故分析を必要としはするが、にもかかわらず、綜合こそ、本来その諸要素を収集して認識となし、統合して或る種の内容となす、そのものに他ならない。<

    > ◇ それ故、この綜合は、私たちが私たちの認識の最初の起源に関して判断しようとするとき、私たちが注目すべき第一のものである。<

    【認識の最初の起源】に関して判断するなら、注目すべき第一が、綜合という働き、、、

    わたくしも(?)暑いから普段にも増し増しで頭働かないです(ーー;)
    地球がもう少しクールダウンしてくれるといいですね!
    何事もバランスって難しいかもですけど...

    猛暑が続きそうですが、うましかさん、どうぞご自愛くださいませ!
引用返信/返信 削除キー/
■32053 / inTopicNo.72)  超越論的分析論Y−2
□投稿者/ うましか -(2023/07/30(Sun) 17:29:26)
    2023/07/30(Sun) 17:30:05 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    カント沼の亀こと?うましかです(。´・ω・)?

    暑すぎていつも以上にアタマが働かず、沼に入るまえに甲羅干してます〜


    ( ノД`)シクシク…


    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて

    □全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第三節 (第十項) 純粋悟性概念またはカテゴリーについて〔Von den reinen Verstandesbegriffen oder Kategorien〕

    ◆ 一般論理学〔Die allgemeine Logik〕は、既に何度も言ったように、認識の全ての内容を捨象して、どこからにせよ他所から表象が己に与えられることを期待するのであって、かくしてその表象はまず概念へと変ぜられるが、このことは分析的に〔analytisch〕行われる。
    他方、超越論的論理学は、ア・プリオリに提供された感性の多様なものを持っているのであって、この多様なものを超越論的感性論は、純粋悟性概念に素材を与えるために超越論的論理学に提供したが、この素材が無ければ超越論的論理学は全ての内容を欠き、従って完全に空虚となるに違いない。
    ところで、空間と時間は、ア・プリオリな純粋直観の多様なものを含むが、にもかかわらず私たちの心がその下でのみ諸対象についての表象を受け取り得るところの、私たちの心の受容性の諸条件に属しているのであり、従って、それらの諸条件はそれらの諸対象の概念をもいつでも触発しなければならない。
    しかしながら、私たちの思考の自発性は、この多様なものが、まず或る種の仕方で、見渡され〔durchgegangen〕、受容され〔aufgenommen〕、結合され〔verbunden〕、かくしてこのことから一つの認識が作られることを要求する。この働きを私は綜合〔Synthesis〕と名づける。

    --- No.31693 からの続き ---

    ◇ しかし、私が最も一般的な意味で綜合≠ニ理解しているのは、様々な諸表象を互いに加え合わせ、それらの多様性を一つの認識として包括する働きのことである。

    ◇そうした綜合が純粋≠ナあるのは、その多様なものが経験的に与えられているのではなく、ア・プリオリに与えられている(空間及び時間における多様なもののように)ときである。

    ◇私たちの諸表象の全ての分析に先立ってこれらの諸表象がまず与えられていなければならず、いかなる概念もその内容からみれば&ェ析的に発現することはあり得ない。

    ◇だが、多様なものの綜合が(この多様なものが経験的に与えられていようと、或いはア・プリオリに与えられていようと)、まず認識を産み出すのであって、この認識は、なるほど最初はまだ粗雑で混乱していることがあり得るし、それ故分析を必要としはするが、にもかかわらず、綜合こそ、本来その諸要素を収集して認識となし、統合して或る種の内容となす、そのものに他ならない。

    ◇ それ故、この綜合は、私たちが私たちの認識の最初の起源に関して判断しようとするとき、私たちが注目すべき第一のものである。


    † 原佑訳上巻、p.221参照。
    † その他に、中山元訳2、p.68、石川文康訳上巻、p.133を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節 No.31693,32053

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